『海』
ぼくは、海をながめているのが好きです。
海をながめている時、ぼくは『ぼく』でいられた。
飾り立てたり、気取ったりしないで、ただの『ぼく』でいた。
ぼくは、「言葉」の意味がよくわからなくて、ずっと戸惑ってきた。
人々は様々なものに、色々なラベルを貼つける。
ぼくにもそう。『ぼく』ではないものを示すラベルを貼つける。
ぼくには、その意味がわからなかった。
だれもぼくの話しを聴こうとはしない。
ぼくの話しはよくわからないものだし、
どうでもいいことだから。
話しを、ただ受け入れる、なんてしやしない。
わかりそうなところをかいつまんで、
「理解した」つもりでいる。
『理解なんてものは概ね願望に基づくものだ』
というセリフ、本当、よく本質をついてると思う。
だから、ぼくは自分の 題名 を自分でつけた。
ありふれた言葉に、自分というもの、を込めたんだ。
ぼく は 『ぼく』。
はじめっから、ずっと、ぼく は 『ぼく』。
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「忘れられない遠い昔の出来事。切ない思い出。誰にも内緒にしている大事な秘密。理屈で説明できない不思議な体験。等々、何でもいいんだが、お客さんたちが持ち込んでくる記憶に題名をつけること、それが私の仕事なんだ」
「題名をつけるだけ? たったそれだけ?」
「物足りないかね。しかし言わせてもらえるなら、君が考えるほどたやすい仕事ではないんだよ。まず、人々が語る物語に耳を傾け、それが自分にとってどれほどつまらないものであろうとも、すべてを受け入れなければならない。根気と心の広さが必要だ。更にそれを詳細に分析し、依頼者と記憶をもっとも親密に結びつける題名を、導きだす」
「なぜ題名が、必要なんだろう」
「実に適切な疑問だ」
――略――
「題名のついていない記憶は、忘れ去られやすい。反対に、適切な題名がついていれば、人々はいつまでもそれを取っておくことができる。仕舞っておく場所を、心の中に確保できるのさ。生涯もう二度と、思い出さないかもしれない記憶だとしても、そこにちゃんと引き出しがあって、ラベルが貼ってあるというだけで、皆安心するんだ」
――略――
「何かコツはある?」
「飾り立てたり、気取ったりしないことだ。ありふれた言葉にこそ、真実が宿っているんだ」
―― 『海』から「ガイド」 小川洋子 ――
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海の近く、神奈川県茅ヶ崎に
『海』という本を置いておきました
ジミーさんの営む『とまり木』に
すっと、はさんで置いておきました
どなたか、ひろってくれるといいなぁ