世界平和の実現のためには、全世界共通語が必要で、その言語は日本語が適当です

なぜ、世界平和の実現のためには、全世界共通語が必要なのでしょうか?

それは、正義と関係があります。

人は、様々なことに対して自分なりの考えを持っています。これらの考えは、当人にとっては正しいことです。一般に、自分の考えは、自分にとっては正しく、自分の考えこそ自分にとっての正義なのです。

問題は、人それぞれ考えを持っていて、当然、中には意見の異なる人が出てくるものです。ある人の正義と、またある人の正義が食い違うとき、すなわち、意見が異なるとき、どちらが正しいのか、正邪を判定する必要が生じます。

この判定を平和的手段を用いて行うためには、言論戦を行うしか方法はありません。意見の異なる人同士が、お互いに意見を述べ合って、論じ合うことが必要です。

ここで、意見の異なる人同士が、共通して理解できる言葉を持っていれば良いのですが、言葉が通じない相手となると、実力行使を伴う戦争に訴えることしか方法がなくなってしまいます。

意見の異なる人に対して、どちらが正しいのか、正義を示すためには、言論戦を行うか、戦争に訴えるかしか方法はないのです。

ここで、平和を守るためには、意見の相違を言論戦によってのみ解決することを考えなくてはなりません。どちらが正しいのか、言論戦によって白黒つけるのです。

ここで、全世界的な平和を守るためには、全人類に共通する言語が必要なことが分かります。全人類の中から任意の2人を選んで、その意見の相違を言論戦によって解決するためには、全人類に共通する言語が必要なのです。

ここで、議論すること、意見を戦わせること、論戦をすること、論争をすることは、平和を乱すことではないのかという疑問が生まれます。しかし、議論をすることこそ、意見の相違に伴う正義の衝突を平和的に解決する方法なのです。ですから、議論をすることは、極めて平和的な行為なのです。

全人類に共通する言語がないと、言葉が通じない人同士の間で意見の相違が出たときに、どちらの意見が正しいか、議論によって決着をつけることができないことになります。この場合、どちらの正義が正しいかは、実力行使を伴う戦争によってしか勝負をつけることができず、平和を維持することができません。

それなのに、2021年11月28日現在、世界には全世界共通語がありません。これでは、議論による正義の証明が必ずしも叶わず、言葉の通じない人同士の意見の相違は、戦争の火種となってしまいます。

長々と書いてきましたが、結論を言えば、世界平和の実現のためには全世界共通語が必要です。この全世界共通語を用いて、人々が議論をすることにより、何が正しいのか、何が正義なのかが明らかになるのです。

では、全世界共通語にふさわしい言語は、一体何でしょうか?それは、日本語です。

なぜ、日本語が全世界共通語にふさわしいのでしょうか?それは、世界平和の実現のためのイニシアティブを取っているのが、日本人の竹本倫紀、つまり私だからで、世界平和の仕様も日本仕様になるからです。

では、なぜ、竹本倫紀が日本人なのかと言うと、日本が戦争をしない国だからです。日本は憲法9条があるため、侵略戦争も自衛戦争もしません。そのため、日本にいる限り、日本にいる人は戦争で死ななくて済むのです。竹本倫紀は、戦争で死ななくて済むことを非常に高く評価しており、日本で保障されている生存権は、世界一だと考えています。

平和な国で平和に暮らしながら、どうすれば世界平和を実現することができるのか、その事ばかり考えている竹本倫紀だからこそ、世界平和の実現をリードすることができるのです。

日本が平和な国であること。そのことが、日本語を全世界共通語にしようという動機につながっています。

日本語が全世界共通語にふさわしい理由の1つ目は、私が日本人だからでした。2つ目の理由は、日本が戦争をしない平和な国であることと深く関わっています。

日本は憲法9条があるため、戦争をしません。そのため、戦争によって滅亡する心配がありません。そのため、日本の文化は、未来永劫存続することになります。

外国はそういうわけにはいきません。外国は、自国が侵略されたときには自衛戦争を行いますから、外国の国民は戦争に巻き込まれて死ぬ恐れがありますし、戦争によって文化が滅びる恐れもあります。

文化は、人類の宝です。その文化が未来永劫存続することが期待できるのは、世界で唯一、日本文化だけなのです。その日本文化の中心にあるのが日本語です。日本語は、人類の宝を担う言語なのです。

このように、日本語は、現在から未来にかけて、人類の文化を担う大切な言語であることが分かります。このことも、日本語が全世界共通語にふさわしい理由として指摘できるでしょう。

特に、現代は、核兵器の時代です。現在繁栄している国も、外国である限りは、いつ核戦争によって滅亡するか分からない時代なのです。アメリカが経済的に繁栄しているように見えますが、アメリカはロシアとの間に相互確証破壊の関係にあり、アメリカはいつ滅亡してもおかしくない状態です。ですから、私は、アメリカには移住しないのです。

人間は、何といっても生命が一番大切です。戦争は、その生命を脅かす最たるものです。ですから、生命が惜しい人は、日本に住むべきです。日本は、人類にとっての安全地帯です。なぜなら、日本は戦争をしない国だからです。

もっとも、日本国内には、戦争によって自国の領土を守ろうと考えている人もいるようです。しかし国連の敵国条項の枠組みを考えても、日本が例え自衛のために戦争を始めたとしても、それは、侵略政策の再現と解釈され、国連安全保障理事会の決議を経ずに行われる武力行使の対象となってしまうでしょう。日本は、憲法9条で戦争放棄して戦争ができないことと、現実の上で自国の防衛を武力に頼ることができないことの二重の制限があるため、結果として戦争をしないという結論になるしかないのです。

ですから、私は、自民党の考えている憲法改正案には反対なのです。自民党の憲法改正案は、日本が自衛戦争ならできるようにしようという主旨です。しかし、国連の敵国条項の枠組みを考えたら、日本の自衛戦争は、相手国から見れば侵略戦争に他ならないわけで、敵国条項の発動により日本が壊滅的な打撃を受けることは間違いありません。

つまり、日本は、戦争したら終わりなのです。日本の存在意義は、戦争しないでも国家が成り立つことを世界に示し続けることです。その使命を果たすなかで、日本は、日本文化を未来永劫保持できるのです。

このような考え方のため、私は、自衛隊は不要だと考えています。日本が外国に対して武力に訴えることは許されないからです。では、日本は何によって国を守れば良いのでしょうか?それは、言論戦です。日本の正義を外国に訴えていくこと、外国の邪義を論破していくことが、日本の国を守ることにつながります。

そのためにも、全人類共通語が必要なのです。

また、仮に自民党の憲法改正案が国民に支持され、憲法改正に至り、その結果、日本が自衛戦争を始めると、必ず日本は滅亡します。しかし、それで良いのです。憲法改正して戦争をする国になった日本には、存在意義がありません。だから、その存在意義のなくなった日本には滅亡してもらって、新生の日本を建設すれば良いのです。その際、自衛隊の保持は完全に否定して、一切の武装を解除し、本当に名実ともに戦争のできない国に日本を再編するのです。もちろん、米軍も駐留しません。

繰り返しになりますが、日本の存在意義は、戦争しないでも国家が成り立つことを世界に示すことです。日本の国防は、外交交渉によってのみ達成できます。日本の外交担当者は、日本語の優位性を外国に広告して、日本語による外交が世界の潮流となるように仕向ける必要があります。日本語が、滅びない言語だからです。

日本語の優位性とは、日本が戦争をしない国だから、戦争によって滅びる心配がないことにあります。日本が戦争をしない国であることの他に、日本語の他言語に対する優位性はありません。

平和的世界統一の鍵は、日本語が握っています。日本語による議論によって、世界の正義が示され、人々が暴力に訴えることなしに平和的に共存できる基礎が築かれるのです。

そもそも、日本国憲法は、第二次世界大戦で日本が敗戦し、戦争の反省から生まれた平和憲法なのです。日本国憲法が制定された当時の理想は、完全武装解除でした。その後、紆余曲折があって自衛隊がある国になりましたが、戦争放棄の原則は変わっていません。第二次世界大戦当時の人類からの贈り物、それが日本国憲法です。私は、その贈り物を享受して現代を生きています。

私たち人類は、戦争の悲惨を二度と繰り返してはならないのです。それなのに、現代の世界には、まだ局地紛争が残っていて、多くの人が生命を落としています。この状況に、一刻も早く終止符を打たなくてはなりません。

そのために、暴力によることなしに、正義を示すための方法として、議論が平和的に行われるようになる必要があります。そのためには、全人類共通語が必要です。そして、その全人類共通語にふさわしいのが、日本語なのです。その理由は、日本が戦争をしない国であり、日本文化が戦争で滅びることがないため、日本語が人類の文化の担い手としての役割を担うことになるからです。

世界平和を実現するために、私は、日本語を全世界共通語にするための活動を行っていきます。応援よろしくお願いいたします!

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