科学小説「月からの手紙」13話
科学小説「月からの手紙」13話 アナンタ
世界が技術指向になるにつれて、情報システム保安の使命は一層重要性を帯びている。
1952年、当時の合衆国大統領トルーマンの司令で設置されたアメリカ国家安全保障局(NSA)は合衆国の軍事、経済上の優位を守るため、現在、月を含む全世界のあらゆる通信を傍受している。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロを契機に、テロリストおよび大量破壊兵器という脅威に対応する新たな安全保障政策の必要性が高まった。「大量破壊兵器の拡散に対する安全保障構想(PSI)」(2003年)への支持が広まり、 国連安保理決議1540号(2004年)が採択された。
前世紀から使われていた通信傍受ネットワーク「エシュロン」の大規模拡張も実施された。 その詳細は不明であるが、2011年のいわゆるネットワーク保安法では、プロバイダーには商務省承認済みのフィルタリング機器の設置が義務づけられた。ICSA認定基準でもあるウィルス除去を目的としたものであるが、公開されてない仕様の中には通信傍受機能が含まれているのではないかとの見方が有力だ。
「スパイダー」と呼ばれるその大規模通信傍受ネットワークには、すでに40カ国以上の政府機関が関与していると言われている。 2012年6月の「マルタ・サミット」出席の各国首脳陣をターゲットにしたテロや 2017年12月、ジョージア州アトランタにある疫病管理予防センターのテロ襲撃を未然に防いだのも、また、ネバダ州ユッカマウンテンの高レベル核廃棄物保管庫爆破を阻止できたのも「スパイダー」によるものが大きいと伝えられている。2010 年代以降、イギリスを皮切りに導入が始まった航空機搭載レーダーも大きな成果を挙げていた。天候にかかわらず、場合によっては地下数mまでの人の動きすら検出することが出来た。
21世紀に入り、NSAがとくに重点を置いてきたのがサイバーテロ対策である。 NSAでは、ミシガン大学のジョン・スティマーら大学院生チームが開発した手法を採用し、 膨大な予算と多くのスーパーコンピューター、優秀な科学者や技術者を動員して、 著名な国際ハッカーグループ「ザ・カルト」の開発した高度なステガノグラフィー技術を無力化することにも成功した。
ロシアにも1998年、連邦保安局(FSB)に、連邦規模の国勢調査のためという名目で「実行調査過程システム」(SORM-2)が発足している。21世紀にはいると、SORM-2 は通信省電子通信部も加わり機能を急速に強化した。テロ対策には国際協調体制が不可欠であるため、各国の情報機関は相互に情報共有を進めている。
こうして、組織的、超人的な情報収集・分析能力によって多くの反社会組織・個人の行動が24時間監視され、 毎年のように多くの事件が未遂、あるいは計画段階で摘発されてきた。 高度化した情報監視により、テロや犯罪の発生件数は2010年代初期の10分の1以下に激減している。
ところが、2030年代に入ると状況が一変した。
拠点を持たない、「アナンタ」という暗号名でよばれる国際サイバーテログループが暗躍 し、各国の対サイバーテロ組織(NSA同様、その内実は公表されていない)を悩ませている。 世界中で起こっている不審な交通・航空事故は、いずれも「アナンタ」の仕業ではないかと言われているが、明白な証拠があるわけではない。
2028年6月から1年間、情報関連企業や大学、政府機関で不審な事故死に会ったものが20人以上にのぼり、通信ソフトウェア技術者とその家族の失踪事件が7件立て続けに発生した。これらも 「アナンタ」の関与が噂されている。ルーターなどの通信機器にセキュリティー上の欠陥が見つかっても、その発見者と発見情報の双方が失われてしまったら...
4年半以上にわたり「アナンタ」を追跡してきた英王立統合軍事研究所の反サイバーテロ部長であるレベッカ・コクランによれば、「アナンタ」はネットワーク上の欠陥を自分たちだけが利用できる状況を作り出そうとしている可能性があるという。
各国の対テロ組織、保安組織は「アナンタ」の実体をつかもうと全力を挙げているが、その中心メンバーすら知られていない。その不気味さは、 まさに大地の下に眠り、世界の終わりと再生を見とどける巨大な世界蛇「アナンタ」そのもの である。
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参考文献
エシュロン (ウィキペディア)
世界中の通信を盗聴する巨大システム(田中宇の国際ニュース解説)
拡散に対する安全保障構想(PSI)(外務省, 2008年5月)
北朝鮮の核実験と国連安保理決議1718 (参議院)(寺林祐介, 「立法と調査」No. 262, 2006年12月)
国連安保理決議第1540号の各国の国内実施支援に関するARF声明(骨子)(外務省, 2007年8月2日)