やっと見つけた私の魔女
小さい頃から本の虫だったワタクシ。
童話や伝承、絵本に神話、果ては漫画や小説の中にまでバンバン出てくる魔女という存在が、ずっと気になっていました。
和の文化がベースだった家に育ったこともあり(三食米)、洋風なものへの憧れも強かったのだと思います(ええ、オートクチュールの縫製を習い、パティシエになったくらいには)。
好き、というには語弊があり、気になる、知りたい、もっと知りたい、というのが正直なところ。
まだまだ浅いところではありますが、魔女狩りなど歴史的なこと、文化人類学的なこともサラッと調べたりして、魔女は本当にいたのか、どんな存在だったのか、そろそろ半世紀という長い年月をかけて、チックリチックリと自分の中にイメージを蓄積してまいりました。
十一年前からは、自らが被害を受けたわけではないのに、大きな災害を目にする度に、何かしなくてはと焦燥感に苛まれ、でも何をしたらいいのか分からずに、とりあえず避難袋に塩、炭、小鍋、マッチ、ナイフを入れて、家人に「サバイバルじゃないから」と笑われる日々を過ごし、自分でも気づかないままに、いろんな欠片を拾い集めてきていたようです。
ここ数年の様々な世の争乱に、当たり前のものが当たり前ではなくなる日は突然訪れるのだ、とりあえず出来るところから自給自足でもしてみるか、と思った時に、ふと魔女のことが頭を掠めました。
物語の中で、文献の中で、森(または集落のはずれ)に一人で住んでいる魔女。昔の森や山って、今より関りはあるけれど、深入りしてはいけない、もっとずっと恐ろしいものだったんじゃなかろうか。
そんな中、女性が一人で暮らすってどんなだろう?
日々学び、自然の理を知り、危険を回避しながら、その力をほんの少し借りて生きていく。
それって、サバイバルなんじゃなかろうか?
今は便利な道具がたくさんあって、火も水も、あるのが当たり前だけど、昔ってどうしてた?火ってどうやって起こしてたんだろう?
その原理を知っていて、火を起こすことができれば、それって知らない人から見たら魔法なのでは?
っていうか、私、火の起こし方知らない。
カチリと。音を立てて、最期のピースが嵌って、私にとっての魔女が姿を現しました。
『理を知りその力を使える者』
どんなことでも仕組みを知るのが楽しくて仕方ない私が、魔女になろうと決意した瞬間でした(一昨日)。
数年前に自ら封印していた占いに改めて手を出し(こちらもまだまだ学びの入り口です)、Instagramのハッシュタグから魔女活なるものがあることを知り、覗いてみては「なんか違う…」と残念な気持ちでいた理由が、ようやく解りました(笑)。
アロマもハーブも、確かに自然の力を借りることではありますが、私はもっと根源的な生きる力、その土地に根差した、生きることに密接した応用力が欲しいのです。
同じレベルのことで言えば、日本にいるなら、おばあちゃんの知恵袋的なことや、和漢や和食薬膳とかですかね(こちらは齧りかけ)。
もっと根源的なことで言えば、火を起こす仕組みを知り、何もないところでどこを探して、何を集めて、どうやったら実践できるのかを見つけていく。ほぼサバイバル(笑)。
そうやって目につくものを片っ端から考えてみると、もう驚くほど私は何も知らないのです。知りたくて知りたくて堪らない。
今当たり前にあるものを、分解して、理を知り、再構築する。
それが私の魔女活です。
まずは四元素と、日常のささやかなことから。それさえも果てしないですが(笑)、読んでお楽しみいただければ、なんなら一緒に実践して、生きる力の一部としていただければ幸いです。
さっき火のこと調べたらめっちゃ楽しいんですよ!
実践交えながら、次回から報告していきますね!
今週末まで仕事が山場でして、本当はこんなことしてる場合ではないんですが(焦)、今日は春分、新しいサイクルの始まりということで、一歩踏み出してみました。
一週間後の実践を楽しみに、仕事頑張ってきます。では。