suho

身体、精神、動き、エネルギー、自然のはたらきをテーマとした自身のための備忘録。 写真を少しやる齢50後半男性。 同じようなことに興味があればお声がけください♪

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  • ふと湧いてきたこと

    日常でふと湧いてきたことの書きとめ。

  • シンプルワーク

    身も心も空っぽにするための、日常でいつでもどこでもできるシンプルなワークをまとめています。

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    共鳴した先達の言葉集

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自ずと然る生活(2024.9.20改編)

シンプルに、自然に、無理なく、気楽に、平和に、個性的に、創造的に生きる、私なりの原則。 時と場所を選ばず、刻々の日常での地味な取り組みが素的になるコツ。 1.現象(経験)の起こるがままの自覚 現象とは、刻々の経験、すなわち「生」であることの自覚。 「意識」と呼んでも良いが、意識にはいろいろな意味合いがあるので、様々な感覚、心理的反応、認識、出来事の総体を「現象」(または経験)と呼ぶ。 現象は個々ばらばらではなく(例えば、私の肉体と、それをとりまく環境などという分断はなく)

    • 愛とは なんであれ 心理的な排除が全く起きてないこと

      • 1.現象の起こるがままの自覚(追記)

        「自ずと然る生活」「1.現象の起こるがままの自覚」の補足説明です。 日々の出来事、人間関係において起こる内面の反応の、あるがままの自覚というのは、そう簡単なものではない。 特に人間関係においてネガティブな反応(恐怖、不安、怒り、憎しみ、嫌悪)が起きた時は、内臓の重たい感じが嫌で別なことで気をそらしたり紛らわしたり、あるいは無理やりの解釈・合理化で気分を落ち着かせようとしたりと、いわば「ネガティブ逃避プログラム」が即座に強力に起動するからである。 ネガティブな反応は大抵の場合、

        • 自我の落ち着きのなさ

          自我の際限のない落ち着きのなさは 精神が本来のポジションで機能できない苦しみからくる もがきだと思う 心理的な苦しみは、まさにそれだと思う

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        自ずと然る生活(2024.9.20改編)

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        記事

          現象=観察=あるがまま

          現象は 感覚であり 感覚は観察であり 観察は無常であり 無我であり 縁起であり あるがままであり 寂静である はじまりも終わりもなく  現象がいまここであり 感覚がいまここであり 観察がいまここであり 無常がいまここであり 無我がいまここであり 縁起がいまここであり 寂静がいまここであり 心がさまよわなければ 心がもつれなければ 心がからまっていなければ 心が固着していなければ そもそもすべてが はじまりも終わりもない 自然のはたらきそものであることが 自覚される

          現象=観察=あるがまま

          魂とか

          神とか、神秘体験とか、悟りとか、覚醒とか、人生とか ありとあらゆる概念が この場に漂う断片であることが 完全に理解されれれば (はっきりと自覚されれば) それらに煩わされることはなくなる

          生それ自体

          生それ自体が、創造であり知性であり動きであり流れであり静寂であり無限であり完全である その理解が生を生たらしめる 生を止めることなかれ 一片を立たすことなかれ 一点でも保持することなかれ 一点保持すれば、またたくまに流れが滞り生がもつれる 常に生の流れを絶やさぬよう 刻々の起きてくることに注意深くあれ 刻々の注意深さが生を整え 生が整えば生が生として生きられる

          生それ自体

          心を空っぽにするには

          心の反応を抑えずに 全部そのままに見守ること 何も考えないようにしても 反応が隠れるだけで空っぽにはならない 心の騒がしい反応をそのままに それと一体となって中心から外から 全霊で見守ることで 心の反応とは別の次元に 空っぽの次元がもとからあったことに気づく

          心を空っぽにするには

          生命の開花

          ほとんどの人々は、よりよく生きたい、幸せに生きたいと願う。 この根本的な衝動は、生命(いのち)の自然な運動である、開花、表現の衝動そのもの。 生命がこの肉体を通じて十全に開花し表現できるよう身心を整えるのがマインド本来の機能。 心は、心それ自体の運動を刻々とあるがままに見守ることで整い、 身体は、適度な運動と適切な食事、十分な睡眠で整う。

          生命の開花

          場(ば)と共に在ること

          目前の現象全体、空間、非空間を全部ひっくるめて「場」と呼ぶ 「場」に限りは無く エネルギーそのものであり 自発的に運動・変化しており 静寂であり バランスそのものであり 「場」でないものはなく 世界は場の表現であり 私、あなた、彼ら、自然も 「場」の現れである 何か心に問題や行き詰まり、不安、恐怖を抱えている時 それは「場」を見失っているサイン 私・あなたは、本来「場」そのものであるため すぐに「場」を自覚できる 音、風景、風が肌に触れる感じそのままに 体が感覚するが

          場(ば)と共に在ること

          いまあるものの受容

          いまここにあるもの いまここにいる自分 いま生活している場所 いま一緒に暮らしている家族 いま務めている会社 いま任されている仕事 いま仲の良い友人 いま没頭している趣味 いま関心のある社会問題 それはもしかしたら満足のいくものかもしれないし、不満だらけかもしれない それはもしかしたら不安や不満を解消するためのもがきかもしれない もっと上のステージの自分になりたい もっと余計なものをそぎ落としてシンプルな自分になりたい もっと違う環境を獲得したい もっと心地よい場に移りた

          いまあるものの受容

          自ずと生じている「感覚」

          感覚というものは、よくよく注意すれば ひとりでに生じていることがわかる。 このような感覚を生み出そう、味わおう、と意図して生まれてくるものではない。 いつでも、どこでも、どんな時でも、寝ている時以外は、注意を向ければ環境音があるし、体が何かしらに触れている感覚はあるし、食べれば味覚があるし、匂いもあるし、温度感覚もある。 感覚は、我々の意図とは無関係に、ひとりでに生じているし、変化している。 我々が現象や世界、宇宙と呼んでいるものは、この「感覚」の総体のことである。 思考や感

          自ずと生じている「感覚」

          現象は陰陽

          中国の陰陽図に関心を持ったのは、30年くらい前だったろうか。 その頃は、これは何か根本的なことを表現しているものだ、何か自身が求めている大事なものだ、という漠然とした感覚だけがあり、その意味をよく知らなかった。 それで、これについて学びをすすめると、どうも現象の原理を表現しているとのこと。 現象とは相対する二極で成り立っているものだと。 その時は、確かにそうだなと、なるほど、男性と女性、昼と夜、喜びと悲しみ、平和と戦争、ありとあらゆるものが相対しているなと。 理屈としては理

          現象は陰陽

          取り戻しワーク【言葉の無い世界】

          言葉は、同時にイメージを喚起します。 例えば「空っぽ」と言う言葉を発すると 「空っぽ」のイメージが頭に立ち上がります。 イメージが伴わない言葉はありません。 言葉はイメージであり、既知のものであり、過去でもあります。 いま目前には刻々と未知なる新鮮な言葉なしの現象が立ち上がってますが 我々は、それをそのままに受け取ることなく 「いつもの風景」「変わらない景色」「繰り返す出来事」という印象で眺めています。これは無意識に言葉が立ち上がり、そのようにラベリングしているからです。 ち

          取り戻しワーク【言葉の無い世界】

          型が型に入ってどうする

          もともと身体や精神の生まれ持った特質・特徴いうものは すでに個性的な「型(かた)」 伸び伸びと自由闊達に表現した結果が、その人固有の「型」として現れる だけど多くは、自身のユニークな特質・特徴を脇にどけ 頭で考えた理想の型や、人が良しとしている型を実現しようとする 自己承認を得たいがために もちろん取り組みのきっかけとして、既にある型を経験するのは素晴らしいことだが、その型を正確に再現することを最終ゴールとしてエネルギーを費やすのは間違っている、というか勿体ない せっ

          型が型に入ってどうする

          起きっぱなしジャーマン

          自分が意識的に行動している、と感じることでも よくよく調べると、そうでないことがわかる。 「そんなことないよ。腕をあげてみようか。 ほら。いま意識的に腕を上げたよ。」 どれどれ、調べてみよう。 まず腕を上げようと思ったその思考は ほんとうに自分が意図して生み出したものだろうか? その思考は「自分が意識的に行動している、と感じることでも、よくよく調べると、そうでないことがわかる。」と言われたことへの反応として意図なしに生じた思考ではないか? ゼロベースから「腕を上げよう」と

          起きっぱなしジャーマン