立て付けのわるい引き出し
ミチムラです。
文章というものは、書いていないとなまります。これはどんなことにも言えることですが、文章、特に小説というのはその傾向が強いような気がします。
なんというか、引き出しの立て付けがとにかくわるい、そんな感覚。
だから、いまの僕はその引き出しを開くのをあきらめて、新しくあつらえた引き出しを開いて文章を書いています。
この引き出しは文章を書かず、小説も読まず、小説を書く上でなにもせずに2年半過ごしてきて生み出されたものです。
つまりはシンプルに人生経験がすこし上乗せされ、より装飾が排除された(あるいは装飾する技術がもとにもどっていない)、簡素で常識的な引き出しが、2年半のうちに勝手に生まれたわけです。
だから、3年前に書いた文章といまの文章では、ちょっと文体が違うような気がするんですよね。気のせいですかね。あいかわらず気持ちのわるい文章を書いているなら、それは自覚しきれていません、申し訳ありません、ぜひお引き取りください。
noteは基本的には口語体で書くし、みなさんそうなのですが、僕においては日常から仕事でひとと話す場面がとにかく多いので(レストランでソムリエをしています)、話し言葉で文章を書くのはむしろすらすらいきます。ありがたいですね。
だから、小説としての文体、話の展開やキャラクターの思考を、きちんと文章として閉じ込めることができるのか、不安です。
不安というか、なんというか、もともと大した能力もなかったので、なんとも言えませんね。
書きはじめたら、小説に関しても新しい引き出し、できてたりするかもしれないですよね、期待。
でもそれでいうと、むかしまったく思いつかなくてボツになった小説の筋が、すっと浮かんできたりするので、時間の経過は偉大だし、無駄に生きてないなあって思います。
とりあえずむかしボツにしたやつ、かたちにしようかなと思っています。
おわり
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