「何もしない」
「何もしない」の著者ジェニー・オデルはソーシャルメディアのようなサービスは人々の生活を便利にする一方で、利益を上げ続けるために人々の注意を利用しその悪影響が大きくなっていると指摘する。本書では、そうしたサービスに対して様々な「その場での抵抗」を通して、自らの形態を資本主義的な価値体系にやすやすと占有されないようするためにどうすべきか、6章のエッセイを通して提示する。
世の中で「生産的」と認識されていることに疑問を投げかける著者は「何もしない」時間や空間に身を置くことが注意経済への「抵抗」としてまず何よりも大切だと考える。
「何もしない」ことで2つのツールが手に入る。最初のツールは「修復」にかかわるものである。それは活動家的な意味でのセルフケアを意味し「自己保存であり、政治闘争の行為」である。昨今商業目的で利用される、単に高級なバスオイルを買うことではない。2つ目のツールは「研ぎ澄まされた聞く力」である。そこに存在するものを知覚するために、動かかずにじっとしているということだ。著者が引用する「静寂とは何かが欠落していることではなく、すべてがそこに揃っていることである」という音響生態学者のゴードン・ヘンプトンの言葉がある。自分は注意経済のど真ん中で四六時中ネットに張り付いているので大事なことを思い出させてくれた気がする。
何かを真に理解するには、そのコンテキストを理解することが必須であることは直感的に理解できる。著者は趣味、あるいは「抵抗」であるバードウォッチングを通して、コンテキストを理解するプロセスは時間や空間と密接な関わりがあるものだったと語る。知覚する存在として、生息地や季節のヒントをもとに目前の鳥の種類やなぜそこに存在するのかを理解していた。
ソーシャルメディアが問題なのは出会う情報が空間的にも、時間的にもコンテキストが欠けている点であると著者は指摘する。誰にどんな情報が届けられるかわからないという点は日々のタイムライン、フィードに流れる情報を見るとわかりやすい。炎上が起こりやすいのもコンテキスト欠如によるものなのだろうか。
2021年はアテンション・エコノミー (注意経済) に関する情報に多く触れた。今回出会った「何もしない」はこれまで集めた情報を整理して自分なりに注意経済とどう関わっていくか一定の結論を出すに至る本となった。
注意経済で調子が狂ってしまった人、どう折り合いをつけるか悩んでいる人におすすめされる本ではないだろうか。