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いや、本当は3月の初め頃に「今年度の仕事まとめ」を投稿しようと思ったんです…。
それが、あれよあれよの間に3月が終わり、新年度が始まってしまい、そして4月ももう残り少なくなっている今日この頃。
意を決してパソコンに向かいました。
さ、集中してやろう。
(それができたら苦労はしない…いつも途中で余計なことに気を取られ「あぁ、いかん!もうこんなに時間がたってしまった」ってなるんです…)


ワークショップ

ありがたいことにちょこちょこご依頼をいただき、いろいろやりました。
私がこの記事で分類する「ワークショップ」は場づくり系です。(何かを指導する系は「講座」という表記にしてみます)
場づくり系ワークショップでは私は特に何か指導したりしませんので、そこに参加した人たちが各々自分で必要な学びや気づきを持ち帰ってもらったり、その学びや気づきを参加者同士で共有することで「なるほど!そんな見方もあるのかー」とか「私はそうは思わなかったけど、そう考える人もいるんだなぁ」とか、自分一人ではできない学び合いをしてもらったり、とにかく参加してくださった皆さんに自由に探求していただく感じです。

コミュニケーション系ワークショップ

佐久平女性大学に入学したはじめましてのみなさんと一緒に取り組みました。

実は、2期生の皆さんは卒業の冊子でこのワークを形にしてくださいました。もう大感激。
皆さんの居場所はどこも魅力的。
そして、そこで撮影された写真に写る皆さんがとてもとても素敵。

表現系ワークショップ

短大で日本語表現の授業を担当している関係で授業内でも取り組む機会があります。
その世代の子たちは自分を表現することに抵抗感を持っているので、とにかく丁寧に小さなステップを積み重ねるのですが、実際はそんな小さなステップよりなにより、「表現大好きなんでもやっちゃう!」子がクラスにひとりいればそれだけで、「えー!そこまでやっていいんだー」「なんか面白そうだから私も乗っかってみようかな」という空気感になるのです。ワークショップデザイナーにあるまじき他力本願ですが、ありがたいことです。
でも、そういう子を見て逆に「私はあんなふうに自分の殻を破れない」と後ろ向きになってしまう学生もいるのです。
そんな時、私は問いかけます。
殻を破るってどうすること?
殻を破る必要ってほんとにあるのかなぁ?

私が若い頃は「表現者たるもの自分の殻を破れなくてどうする!」みたいなことを散々指導者に言われました。某アナウンサー講習会では、都外のど真ん中で、衆人環視の中歌を歌わされたり。(私はそういうの大好きなので嬉々としてやりましたけど)
アナウンサーって「ナレーションはできるけど、感情を込めてセリフを言うのはちょっと…」みたいな方もわりといるので、「草田さんってすごいね。私自分の殻を破れないから」と言われたりしますが(「本当にすごい」と称賛してくださる方もいれば、「ようやるわ」感を滲ませる方もいますが。笑)、別に私、殻を破ってるわけじゃないですよ。
自分の殻を破ろうなんていう気持ちはこれっぽっちもありません。
ただ、いろいろ表現することが好きなんです。
自分は面白おかしいことが好きでやりたいからやってる、見てくれた人も「楽しかった!」って言ってくれる。Win-Winです。
そこに殻はありません。

私がいくつかの表現系のワークを通して学んでほしいことは自分の殻を破ることではありません。
「自分の頭の中にあることを他者に伝えるにはどうしたらいいのかな」と試行錯誤する中で、「受け取る印象って人それぞれ違うんだな」とか「こういう表現をすると伝わるんだな」とか、講師に教わるんじゃなくって自分で実感してほしいんです。
だから、私は何かを教えるわけではありません。各自で試行錯誤してもらう場を作るだけです。
安心安全な場で、表現が大好きな人も、そういうのがちょっと苦手な人も、思わず夢中になれるようなワークを体験してください。
私は進行役はお得意分野ですが、ファシリテーターとしては未熟だと思っているので、今年度も思わず夢中になるプログラムデザインをがんばります!

対話系ワークショップ

イマーシブですよ、今話題の。没入感。
架空の設定に没入して対話するワークショップです。

これは安心安全な架空の場で演劇的手法を使って対話するプログラムなんですが、心理学にも似た手法があるんだそうです。
もしかしたら、担当したキャラクターの立場を借りて思わず本音が出た参加者がいたかもしれません。

そして、これもある意味没入型の対話のワークですよね。
架空の自治体の幹部となって2030年までの予算編成を擬似体験します。

今年はイマーシブ元年と言われているそうで、東京にテーマパークができたり、マーダーミステリーが広がってきたり「他者になりきる」没入体験の時代が来ている気がするので、こういうワークショップいいんじゃないかと思うんですよねー。

マーダーミステリーってご存知ですか?
会話を中心とした推理ゲームで、物語の中で起こった事件について登場人物になりきって会話しながら犯人を探します。
知らない人同士でも一緒にマーダーミステリーを体験するとすごく仲良くなり(某お天気お姉さんの熱愛もマーダーミステリーがきっかけだったらしいです)、他者の思惑を探りながら会話することでコミュニケーション力アップにも効果があるとか。
まさに私のワークショップと同じではないか!と思っているのですが。

実は、マーダーミステリーのゲームマスターをやってみたいんですよねー。
例えば、古い洋館で起こるミステリーのゲームマスターを不気味なばあや風にやれたりしますので、ご用命ありましたらぜひ。

そうそう、哲学対話もやりました。
ファシリテーターとしても、参加者としても。

・なぜ挨拶をしないといけないのか
・なぜ彼氏ができないのか
・人は学ぶ必要があるのか
・女性が社会で活躍する必要はあるのか
・目的を達成するためにはチームが一丸となる必要があるのか

哲学対話の問い(ファシリテーター)

・センスがいいとはどういうことか
・競争しなくても成長できるのか

哲学対話の問い(参加者)

いろいろやったなー、楽しかったなー。
「なぜ彼氏ができないのか」という問いについてクラスの学生と対話しましたが、これは意外に面白い方向に進んでいきました。
私の学校は女子大で女子しかいないからか、すごい正直な意見がじゃんじゃん出る出る。

「本当に彼氏が欲しいのか、なぜ欲しいのか」
「友達ではダメなのか、友達と彼氏の違いって?」
「彼氏は別れがあるけど、友達は永遠」
「結婚したら永遠になるのでは?」
「彼氏は別れても次を作ればいいから、彼には気を遣わない。でも、友達はずっと友達でいたいから嫌われないように気を遣う」
「彼がいなくても友達がいればいい、彼より友達の方が重要」
「私の人生、男は邪魔者でしかなかった」
「彼氏を作ろうと思ったらすぐできる技がある。結構ちょろい」    
などなど

哲学対話「なぜ彼氏ができないのか」

私、哲学対話は終わりが始まりだと思っています。
哲学対話って結論が出るわけじゃないから、いつもモヤモヤを抱えたまま終わるんですよ。
だから、帰り道はいつも自分の中でさらなる思考が始まって、ひとり哲学対話状態。
もちろん答えは出ないけど、なぜなんだろう、さらにそれはなぜなんだろうって考えるのって、なんだか楽しいのです。

「答えが出ない対話に意味あるの?」

・問いには必ずただ一つの答えがあるわけではない
・「意味」は他者から与えられるものではなく自分で見出すもの
・今、モヤモヤしていることに対して…
なぜモヤモヤしているのか深く考えてみると「自分」が見えてくる
・答えの出ない問いに対して粘り強く考えることが
変化の激しい時代を生きるためのヒント

哲学対話とは

ワークショップのまとめだけでこんなに長くなっちゃったので、全3回に分けます。
なるべく早く次の講座編を書きます。がんばります…。

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