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#113 過去最高の夏の平均気温?

夏の気温が異常だ。38度が当たり前で、クーラーも当たり前。その分電力使用は上昇し、エネルギー消費量は拡大する。不思議だが、電力各社からは電力消費を控えるようといったかつてのアナウンスは聞こえてこない。

他方で台風が大型化し降れば土砂降り以上の降水量となり、河川水位は極端に上昇して堤防が間に合わず、浸水被害が拡大する。人々のお盆の移動は天候が大きく影響する。

そもそもお盆に集中的に移動するということ自体、考えてみればおかしい。

暑いからクーラーをつけて、高速移動手段のなかでアイスクリームを食し、ネットで渋滞情報を確認して海や山にでかける。現地ではホテルに宿泊して限定のお土産を購入する。そこは人が集中する。需給によって物価も上がる。確実にエネルギー消費が拡大しGDPに反映する。

一方、身近なスーパーでをみると、たくさんの食料品が並び、お金さえあれば飢えることはない。その買い物には地方では都市部以上に自家用車が必需品となり、ガソリンの購入はライフラインになっている。

戦後の経済政策によって、経済的利益をもとめて地方から都市部に集中した人口は、お盆の社会的移動で高速移動手段に依存して人口減少と高齢化の故郷に里帰りするか疑似的にどこかで休息を得る。

その延命をするのが経済学だろうか?
近代経済学から新古典派から新自由主義の理論まで、基本は経済成長と拡大投資、GDPの信仰である。マルクス経済学者の斎藤幸平氏は、その問題点を指摘する。

大量に製造しては廃棄し、ごみを生み出すことで経済成長を促進する資本主義の価値への疑念である。かつで某大手広告代理店は、使い捨てにさせ時代遅れにさせ、モデルチェンジを頻繁に行うことを先導することを理念にした。

電子ジャーに花柄をつけたり、便利な調理器具機能をつけた電子レンジ、冷蔵庫は大型化し、乗用車も排気量が拡大してきた。

ネットではこうした家電や食卓・椅子・ベッド・寝具・衣類などあらゆるものがCtoCでアプリ上で取引されている。それは高度成長時代に購入したような商品で会ったりする。廃棄ではない再利用であるとして、これほどまでに家庭に不要な物品がある。言い換えるとそういうものを購入し続けたのだ。

いまやそうした生活があまりに貧相に思える時代にはいっている。セミの声を風鈴とすだれの下で、扇風機にあたりつつスイカを食べたのは昭和30年代までである。

ノスタルジックに回顧するのではない。戦後の来し方行く末をみとおしたとき、腰を下ろして見渡してみてはどうなのだろか。

なぜこうしたことを思ったのか?それは自分自身が年を重ねて半世紀以上生活してきた地元の古い木造家屋が取り壊され、あらたな建築様式のそれに代わり、狭隘な路地が整理されるにつれて、かつてスイカを食べたような時空間の間隙がなくなってきたと感じたことに由来する。それは秘密の世界である。

ところで、地球上の気温上昇以上に危険なのは巨大地震の可能性である。都市部の人口集中する太平洋沿岸に被害は想定されている。

地球の地下資源も海洋資源も食料も人口増加によっていずれは限界を迎える。そのいずれがいつかは、だれも明言しないほど不都合な真実である。

それをだましだましやっているうちに、実は自分自身をだましていることに気づくのは、近い将来いるだろうか?これを自業自得といってすますような悠長な時代ではないような気がする。