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#82【放送後記】第11回ふりかけラジオ「機械仕掛けの日々の中で」

3月9日に第11回ふりかけラジオを放送しました。
今回の放送はこちらからお聴きいただけます。

あたふたと毎日過ごす中での話です。
カナル君の住む長野の松本では、この時期の春先に降る水気の多い雪を上雪(かみゆき)というのだそうです。雪を肌で感じて春を予感する感性は農民にあったのでしょう。ちなみに下雪というのもあるようすです。そもそも「かみゆき」の「かみ」とは、都・京都・上方をしめしたらしい。土地のにおいの中の農民が遠く都の風情へのあこがれを雪にたくしたとすれば、なんとも豊かな心情といえます。

いまは天気予報アプリで十分です。それが機械仕掛けの毎日です。キューブリック監督の「機械仕掛けのオレンジ」(1971公開)という映画があります。暴力と性をあつかっていますが背景音楽はベートーベンの第九です。それは、非理性と理性の混在です。

映画の標題の意味は、「表面上はまともで内面はどこか変」とうこと。オレンジとはマレー語の人間という言葉の発音の英語訛りらしい。「時計」とは現実世界で時間で動く生活。それにあやつられるオレンジ(人間)はどこかで不適応をおこす。不適応の極限は性や暴力に表象され、根源にはフロイトの言うリビドー=快感を生み出す仮想的なエネルギーがある。

松任谷由実の「月曜日のロボット」という曲もあります。通勤電車に乗ってofficeでコピーしている女性の自分。それは表面。どこかで自分が疲弊している。「労働の疎外感」を表す詞です。さいごはだれかにレスキューを要請する。それはだれか?

感性や欲望は無意識の中に抑圧されます。それが正常。でも、その容量があふれ「なにかの衝動」で一気に破れることもある。小さな諍いかもしれない。何かの嗜好や依存が極端だとアディクションとなります。そういうバランスをとりなが日常を生きているのが人です。特に思春期の日常はそうした抑圧感情との闘いかもしれない。

自然とは普通、あたりまえということ。太陽が出て雨も降り雪になりそして春が来る。法学では「自然法・自然権」といいますが、もともとナチュラルということです。だれも異議を唱えることができない。それを無視して意図的に動かそうとするとすると不具合がおこる。「自然法・自然権」の解釈はには幅がありますが、さまざまに「解釈すること自体」が自然ではないかもしれない。

日常生活は現実原則に従い動きます。その動きを止めることはまさに時計を止めることです。止めてもいいけど、時間ばかり気にしているオレンジばかりが増え、最後にはオレンジは搾られて誰かに飲まれる。前後左右、オレンジばかりの人の中にリンゴがはいると疎んじられるかもしれない。ましてや柿やクリなどもってのほか。となると、適度な付き合い方を身につけなくてはならない。それは非日常の世界も経験することで恢復できることでもある。

そういうことを、大江健三郎が小説「日常生活の冒険」でこことみている。旅する時間が欲しいなーとおもうこと。新宿や京都といった特急列車の行先をながめているだけでもそれは可能だ。上雪に思いを託すように、このラジオもそういう何かを託し内容はなく続けていくのが理想だと思っている。

「ふりかけラジオ」は隔週(毎月第2・4)土曜日の21時30分から、FM805たんばに乗せてお届けしています。
次回は、2024年3月23日の21時30分からの放送です。
FM805たんばの受信地域外の方も、こちらからインターネットサイマルラジオでお聴きいただけます。
それでは、また次回の放送でお会いしましょう。おやすみなさい。