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「自分がある、ない」ということ。なんにでも正解があると思ってたことに気づく。
好きなことを話していいと言われて、何を話せば良いかわからない子供だった気がする。そもそも、自分の人生は自分の好きに生きていいんだ、なぁんだ、と気づいたのは、かなり大人になってから。
昭和の小学生時代、プリンが大好きだった。今思えば食感とバニラの甘い香り、カラメルのほろ苦さがね。でも母は子どもの食事全般に厳しい制限をかけていた。
忘れられない思い出が、おばの家でたまたま余分に余ったプリンアラモード、じっと見つめて、もうひとつ食べて良いか聞くまでのあの長い緊張感、聞いた高揚感、声がなかなか出なかった。呆気なく許された驚きとプリンの美味しさ。ただ自分の欲しいものを欲しいというだけの事が、自然にできない家であり、こどもだった。
いま、多言語環境で子育てをしていて、子どもの学校選びの選択肢が多く、悩みに悩んだ。どの言語の学校にするか、私立か公立か、どのカリキュラムにするか。良い評判、悪い評判、将来性、子どもの民族構成はどうか、日本人のハーフはイジメられないか。散々悩んで、教育フェアや気になる学校のオープンスクールにも足を運び沢山のお話しを聞いてみた。決められない。決めきれない。うちの子の明るい将来の為にはどの学校がいいんだろうか。
ある人に、散々相談した挙句、結局は親のの好きなところに行かせればいいのよ〜、あなたが決めていいのよ、と言われたときはギクッとした。そうなんだった。なんでも決まりなんてなくって、本当は自分の好きにしていいんだった。
昭和の日本では、いつもだいたいルールや流行りやあるべき姿が決まっていて、そういった流れに真面目に従うのが美徳だった。
選択肢の多いなかから自分に合うものをえらびとる練習というのは、ただただ普段から自分の好きなことを小さなことでも大事にする事だった。
人と同じにしようとするクセは、安心感を求めていたことの表れだった。
正解のない世界なんだった。昭和育ちは、時々忘れてしまう。正解が与えられることを自然に求めてしまう。
選択肢の中から選ぶ練習を常にして、やっと「自分のある」状態になれる私なのだった。
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