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弱さを認めて自然界と繋がる

ある日、つま先が痛くて、靴が履けなくなった。ブーツやスニーカーなら履けるのだけど、パンプスが履けないのだ。炎症が起きているようで、無理やり足を靴に突っ込むと、トゥの左右両方からキュッと圧迫され痛みが走って直立不動、歩けない。数日後にちょっとしたお出かけを控えていた。そこへスニーカーやサンダルでは行けない...どうしたものか、と悩んだ。


観察してみると、右足の親指、爪の根元あたりに痛みの根っこがあるようだ。巻き爪なのか?もしかして爪の先が食い込んでいるのか、と確かめると、そうではない。目立った傷は見えないのだが、左端、爪の脇からぷっくりと赤くなっている。隙間からバイキンが入ったようなのだ。


皮膚科が脳裏をよぎる。実は娘が先月、皮膚科でアテロームの切除をしたばかりだ。アテロームという言葉を初めて知ったのだが、でき物の一種だ。「口」が無いため膿みが自然に出てこられない。皮膚の下で化膿が進み、次第に腫れ上がってきて、熱を持ちうずき、とても不愉快なでき物だ。これができてしまったら、切開して中の膿みを掻き出すしかない。娘の場合も、局所麻酔をして処置をしてもらった。


私の指も化膿しているのならば、膿みを出してしまえば楽になるのだけれど...、と試しに押してみる。痛い.....。出ない.....。病院へ行くことを考えただけでうんざりしてしまう。


ふと思い出して、クレイを使ってみることにした。日頃、フェイスパックに使っているアロマフランスのホワイトクレイだ。

クレイは、粘土だ。ただの粘土ではない。火山灰や溶岩が共に自然の中で晒されて、年月をかけて熟成された、人間にとっては地球からの贈り物なのである。傷の回復を促したり、むくみを取ったりと、人はミネラルに富んだ土を太古の昔から利用してきた。


クレイのペースト作りは簡単だ。ただし、しっかりと計量するのがポイントだ。目分量で作ってはいけない。

例えば私は事前に調べた上で、次の様に作った。

測りを用意し、容器に精製水を15g入れる。そこにクレイ25gを振り入れる。混ぜてはいけない。振り入れたばかりは表面がパサパサで、この水分量で良いのか?と思うだろうが、このまま15分ほど置くとクレイが水分を吸って湿ってくる。お風呂に入る前に作り出せばちょうどいい。湯船に入る頃にはちょうど15分、多少上の部分が乾燥しているかもしれないが気にすることはない。かき混ぜる。そうすると、ぽってりとちょうどいい硬さの滑らかなクレイペーストが完成する。

この量でちょうど一回分、使い切りの分量だ。顔にたっぷりと塗ってから、足の親指をクレイで包み込む。石膏をはめるようなイメージで、厚く塗る。そのまま、足だけ出して湯船に浸かりながら乾燥する手前まで置いておく。あとは体を洗いながら流すだけだ。


その夜はベッドの中で、つま先が少しズキズキしているのを感じながら眠りについた。ところが翌朝恐る恐る触ってみると、昨日よりも痛みが引いているではないか。手応えを感じてその晩も同じようにクレイパックをし、こうして2度の施しで私の親指の痛みはすっかり消えてしまったのである。正直、信じられなかった。クレイが良いということは書物を読み、話には聞いていたが、こんな体験を自分がするとは思ってもみなかった。2度目の施術をした翌日、裸足になって波打ち際に立ち、足を海水に晒したのも良かったのかもしれない。


こうした自然療法は、受け手の体の状態によって、効果が変わってくる。体だけではなく、心の状態も関わってくると言って良いだろう。だから、例え体に良いことがわかっていても、押し付けにならないようにしたい。

反面、自分へ施すことは、そういった気遣いがなく、喜びでしかない。思う存分試してみればいい。実験めいた楽しみの過程には、私の体と物との対話がある。そうやって自然界と繋がり、自分と繋がることに幸せを見出している。

子供が親にかまってもらいたくて熱を出す事があるように、私も自然界との繋がりを確かめたくて、体や心の傷を病むのかもしれない。



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