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出産前の遺書

 四人目にして三回目の自宅出産。
四人目ともなれば
もう手慣れたもの‥

とは、
なるはずもない。
何回経験しても、
きっと毎回新しい。



四回目の出産にあたり
夫(当時の)からは
「遺書を書いてほしい」
と 頼まれていた。

それもそうだ、と思った。

万が一わたしに何かあった時
まだ幼い子どもたちに
メッセージは残しておきたい。

そこで、
出産時に何かあって
わたしが命をそこで終えた場合を想定し
子ども達への手紙を書き始めた。


「まずは
わたしたちの子どもになって
生まれてきてくれてありがとう。
今まであなた達と一緒に暮らして来られて
本当に楽しくて、心から幸せだったよ。


人の命にはどうやら
寿命というものがあるらしく、
今回の人生でやろうと
決めてきたことが終わらないうちは
あの世に行くことはできないらしい。
今回の人生を卒業できて
初めて
あちらの世界へ行けるんだって。

なので、
たとえ途中で終わったように見えても
天へ旅立てたなら、
それはきっと、
今回の人生を卒業できた
ということなんだよ。

だから、もしお母がお空に行ってしまっても
どうか悲しまないでください。
お母が卒業できたということだから。

そして、その卒業が
たとえ弟か妹の誕生と
引き換えに起きたように見えても
それは絶対に
その子のせいじゃないから。
そんなふうにだけは考えないでほしい。
もしお母にやり残した宿題があったなら
その子が来ても来なくても
きっとまだ宿題をやらされていただろうから。

みんなの仲間にもう一人
加わってくれたことに感謝して
喜んでね。
そして、
兄弟という仲間たちで
助け合って生きていってください。」



だいたいこんな内容だったと思う。

まずい、今思い出しても
また涙が溢れてきてしまう。


十五年前のその時も、
一人で書きながら号泣。
ちょうど荷物を届けてくださった
配達の方に、
聞かれてもいないのに
「今ちょっと映画観てて泣いちゃって」
と言い訳したくらいだ。


そうして書きあがった
感動の大作。

夫に「できたよ」と預けると

「あ、こういうんじゃないから」


なぬ?

「ぼくが(自宅出産を)
無理矢理やらせたんじゃなくて
自分の意思でやりました、って
一言書いてほしい」
そうな。


あっ
そう。

照れもあったんだろうけど‥


プレッシャーもあっただろうね。
そのプレッシャーたるや、
わたしの比ではなかったのかもね。

わたしにとっては
自宅出産や出産そのものに対する
準備も
自信も
不安も
喜びも
すべてわたし自身のもの。

悔いが残らないように
やれることはすべてやったつもり。



でも彼にとっては違っただろう。
家族の、夫婦の共同作業でありながら、
最終的には
自分では手の出せないところに
自分の運命を委ねてくれたんだから。




人生の課題は
まだまだ終わらないらしく
おかげさまで
まだこうして生きている。


四番目の子の臍の緒は
長女が切った。

陣痛が始まってから、
末っ子が生まれるまで
ずっと同じ部屋にいた三人の子が
どんなふうに過ごしていたのか?

三人の様子が
本当に三者三様で面白かったので
そのことを書こうと思っていたのに
その前に遺書のことを
思い出してしまいました。


次回こそそれを書こうと思います。


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