見出し画像

あの人もこの人も全部根っこは自分と一体なのだとしたら・・・王も奴隷もわたし

 この世から、差別とか搾取とか不公平が
なくなることが最大の望み。
ずっとそう思って生きてきました。
それこそがわたしのアイデンティティだと言ってもいいくらい。

服と映画のことしか考えていなかった大学生は
天安門事件をニュースで見たのをきっかけに
日本語教師を目指し、
アパルトヘイトや民主化運動に興味を持つようになり
90年代の日本の社会で最下層だった就労ビザの学生たちと
少しでも同じ目線で日本を見ているつもりでいました。

その後青年海外協力隊でタイのチェンマイへ、
任期後はチェンマイで大学院でマイノリティの研究、
カレン族の村で見習い生活・・・

当時は
いつか、自分が不治の病で余命数ヶ月
とわかる時が来たとしたら
そして
その頃どこかの国で民主化運動や
それを弾圧する動きがあったら、
民衆を守る人間の盾として
わたしの命を使ってもらおう
と思っていたくらいです。

人生の前半戦は、平和な世界を求めて。
けれど、
常にわたしは怒っていました、
そうでない現実に。


怒りの矛先はハチとかアリにも。

生まれながらにして「女王」と
一生を女王に尽くして働くか戦うかだけの人生と
そう決まっているなんて!
どうしてそんなことが許されようか。

例えばシロアリ。
女王アリは、ひたすら卵を産み続け
兵隊アリは巣を守るために戦うのが仕事
働きアリは、巣のためみんなのため、
女王の部屋の掃除までになって働いている


例えばピラミッド。
一人の王様のお墓と、それを人力で作った
大勢の労働者や奴隷。
同じ人として生まれて、どうしてそんな違いが許されるの?

余談ですが、ピラミッドを作るには
現代の技術を持ってしても、
人力で石を持って上がる以外の方法は
ないのだそうです。
ドローンで運ぶとか、重機で吊り上げるとか・・・
そういうのはできない規模や大きさらしいです。



けど、
ある時ふと思いました。

そもそも、アリにしても
食べたくもないのに高カロリー食を食べさせられ
産めよ増やせよと促されるばかりの人生。
女王アリにしてみたら
仲間と協力して尊い労働に汗を流す人生や
命を賭して大切なものをを守るため戦う人生に
憧れていたとしても不思議ではない。
誰が幸福で誰が不幸かなんて
その人にしかわからない。

それに、
もしもですよ?


「精神世界」の世界で言われているように
わたしたちはみんな
深いところで繋がっていて
本当はひとつの存在なのだとしたら
別に
可哀想とは言い切れないのかも、って。



例えば、わたしが部屋を散らかして
後でその部屋を掃除するとか、

一人で料理を作って
後でそれを食べるみたいに、

同じひとつの存在の、
その瞬間は別の役割だというのなら
自分に振り当てられた役
(あるいは生まれてくる前に自分で選んだ役)が
どちら側であろうとも、
潜在意識的には
どっちでもいいのかもしれない。
あくまで、潜在意識ですよ、
顕在意識はきっと辛いし嫌でしょう!




もしかしたら、
深い深いところでは全て承知で
役割を演じているかもしれないとしたら、
少なくとも過去の事象については
部外者のわたしが
怒ったり騒ぐことじゃないのかもしれないなって
以前ほどは怒らなくなりました。

今苦しんでいる人を見殺しにしていいとか
辛い目に遭っている人に
それも自分で決めてきた運命だから受け入れろとか
あるいは努力が足りないんだとか
そんなふうに思っているわけじゃないんです!!
人はみんな幸せになるために生まれてきたと思っています。

ただ
怒るだけじゃ何も解決しないし
怒るっていうことは
自分は正義だと思っているっていうことで
つまり、相手が悪だと思っているわけで
一歩も歩み寄らないし解決しない。

どうしてそういう仕組みになっているのか?とか
なぜそうせざるを得なかったのか?
どんな気持ちでそうしているのか?とか
考えて考えて、
答えにたどり着けるかはわからないけれど、
知らなかったことを知るために
私たちは生きているのかな、と思うのです。
みんなで幸せになるために。


いいなと思ったら応援しよう!