「思う/思います」多用問題を徹底解決する3つの方法/類語言い換えでよいのか?
文末表現「思う」を使いすぎることってないですか?
私が最もよく使ってしまう書き言葉は「思う」です。
拙著『一生使える Webライティングの教室』(先月下旬刊行)では12万文字以上のなか、「思う」が出現するのは2回ほどです。
見直し前:10回以上出現
見直し後: 0回(途中経過) →2回(最終)
※2箇所は「思う」にしないと違和感のある箇所でした。
「思う」を減らそうとしたのには理由があります。
昨年、内容は良いのに「思う」を連発される本を拝読し、もったいないと感じたからです。
■この記事を書いている人
・Webコンサルタントで、大学の非常勤講師。
・Webライティングの講義を受け持つ。
0. 「思う」の多い文章は読みにくい
作文、感想文、レポート等の紙媒体からWeb記事やメールでも日本全国「思います」使いすぎ現象が起きています。
多くの人が「思う」の多い文章を読みにくいと感じているようです。
様々なサイトで「思う」の言い換え/類語を質問している人がいる。
作文、読書感想文で「思う」禁止令の出ている学校がある。
検索エンジンで検索されている。
「思う」と検索すると「思う 類語」で月間4,800回検索されており、他の言葉に言い換えられないか調べている人がいる。
具体的に「すごいと思う 類語」等で検索している回数を入れると1万回を超える。(※キーワード調査ツールUbersuggestで調査した結果)
そこで、「思う」を豊かな表現に変える方法を3つ紹介しましょう。
1. 「思う」を思い切って消す
真っ先に試すのは、消すこと、削ることです。
特にWebライティングでは思い切って削ぎ落とすことが重要です。
Webでは短い文のほうがよいですし、「思う」がなくても意味は通じます。
文の内容が書き手の意見であることは当たり前なので、消しても問題ありません。
しかし、「自信がない」という理由から消しづらいのではないでしょうか?
自信がないと断定できず、「思います」をつけてしまいますよね。
例文:
1) 彼の言っていることは正しいです。
2) 彼の言っていることは正しいと思います。
文を書いた人の主観が入るので、1) でも書いた人が思っているだけであることは分かるのですが、それでも「思います」をつけたくなる気持ち、分かります。
国民性が関係しているのかもしれません。
杉野幹人氏は『超・箇条書き「10倍速く、魅力的に」伝える技術』のなかで、日本では他国よりも意見と人格が同一視されがちであると述べられています。
世界中から人が集まる会議で日本人がその場では意見を言えず持ち帰ろうとすることについてグループで考察された話です。
意見を言いづらいのに、さらに「思います」を消すのはハードルが高いですよね…。
『超・箇条書き「10倍速く、魅力的に」伝える技術』では情報過多の時代なので、情報を絞り短く伝える必要性があるとし、余計なものは削ぎ落とし、短く意見を述べることをすすめています。
では、言い切れないときにはどうしたらよいでしょうか?
2. 「思う」を推量表現にする
推量表現「だろう(でしょう)」を使いましょう。
内容に関する書き手の心的態度を表す表現、推量表現を使うとよいです。
私は「思います」を削除できない場合には、「でしょう」を使うことが多いです。
言い切るよりもやわらかい、他の可能性を残した言い方になります。
「私はこう思いますがいかがでしょうか」と言いたいときには「ではないでしょうか」をよく使います。
日本語教育の論文によると、初級日本語教科書では必ず「だろう(でしょう)」と「と思う(と思います)」について解説され、類語であり言い換えができると紹介されているようです。
(参照:庵功雄 2009年.「推量の「でしょう」に関する一考察ー日本語教育文法の視点からー」、『日本語教育』142号)
例えば、例文「彼女はまだ私の手紙を読んでいないと思う。」について、「彼女はまだ私の手紙を読んでいないのだろう。」と表現してみます。
「思う」を類語の「だろう」に言い換えた文です。
さらに具体的に様々な例文を紹介しましょう。
例:
彼女はまだ私の手紙を読んでいないのだろう。
彼女はまだ私の手紙を読んでいないのではないか。
彼女はまだ私の手紙を読んでいないのかもしれない。
彼女はまだ私の手紙を読んでいないはずだ/に違いない/のだ。
彼女はまだ私の手紙を読んでいないようだ/みたいだ/らしい/気がする。
書き手の「どう思っているのか」「どの程度思っているのか」といった心的態度を具体的に伝えようとすると、「だろう」以外にも「かもしれない」「はずだ」等の様々な表現ができますね。
3. 「思う」を具体的に表現する
「思う」を具体的に表現するのもよいでしょう。
私は「思う」の言い換え、1000個くらい思い浮かびます。
では、3つの観点から見ていきましょう。
どのような心的態度か
心的態度による動作
事実
例として、「すごいと思いました」を挙げて説明します。
乱発される言葉ですよね。
1. どのような心的態度か
「すごいと思った」とは具体的に「どう」思ったのか。
気持ちにぴったり合うふさわしい表現は何でしょうか。
例文:
感銘を受けました。
感激で胸がいっぱいになりました。
心に響きました。
しびれました。
圧倒されました。
「すごいと思いました。」には様々な心的態度があるので、最も適切でふさわしい表現にするとよいでしょう。
2. 心的態度による動作
「すごいと思った」ことにより、身体がどう動作するのか、身体にどのような変化が起こるのか。
具体的に表現してみましょう。
例文:
目頭が熱くなりました。
しばし呼吸を忘れるほどでした。
思わず息を呑(の)みました。
胸がぎゅっとなりました。
思わず前のめりになっていました。
思わず見入ってしまいました。
興奮のあまり泣きそうになりました。
「思う」を動作で表現されると分かりやすいですし、印象に残りますね。
【編集手帳】
動作で表現することについては、「編集手帳」を執筆されていた竹内政明さんの提言から着想を得ました。
「編集手帳」とは?
読売新聞の一面コラムです。
他の主だった新聞各紙の一面コラムは500字~700字であるところ、「編集手帳」は最も短く、458文字しかありません。
短い文章を書くことは至難の業です。
500字未満って驚異的ですよね。
そんなエキスパートの竹内政明さんが『「編集手帳」の文章術』で、ご自身の文章の問題点として様々列挙されているなか、真っ先に挙げられているのが「思うが多い」ことです。
プロでも「思うが多い」ことを気にされているのですね。
私はさらに気をつけないといけません。
今回紹介したいのは、誰かの急逝を受けて追悼のコラムを書くとき、最後の一文を「合掌。」で締めくくることに反対する興味深い提言です。
「合掌している筆者の姿が行間に浮かんでくるような最後の一文を苦心してひねり出す。」については、「感情のほとばしりが書き手の身体に表れた」とも表現されています。
心的態度により、身体がどう動作するのか、どのような変化が起こるのか、具体的に述べるとよいでしょう。
3. 事実
事実に語らせましょう。
「すごいと思った」とは、具体的にどういうことなのか?
例:
彼の作品には私を惹き付ける何かがありました。
まさに言いたいことを言い当ててくださいました。
使える知識と技術がつまっている今まで出会ったことのない本です。
こんなに一瞬で直せるのですね。
貴重な意見をいただけて、大変勉強になりました。
4. 「思う」の最適な取り扱い方法
日本人にとって「思う」は削除しづらい言葉です。
反対意見を言われることが苦手。
「思う」を削除すると語気が強くなってしまう、より反対意見を言われそう。
しかし、人の意見は賛否あるのが普通です。
いちいち異なる意見の人から何か言われることに反応する必要はありません。
私にとって印象深い言葉を紹介します。
ある小説の一節です。
「なぜコンテストに応募しないのか?」
「みんなの反応を知りたくないのか?」
「有名になりたくはないんですか?」と小説家に聞かれたときの画家の言葉です。
思い切って「思う」を削除しましょう。
自意識過剰になる必要はありません。
はっきり伝えましょう。消せない「思う」は、具体的に意味を伝えましょう。
消せない「思う」には、何か意味があるはずです。
豊かな表現、具体的な表現に言い換えましょう。それでも残った「思う」は使いましょう。
それでも残った「思う」は「思う」を使うにふさわしいです。
最もしっくりくるのであれば残しましょう。
5. まとめ
「思う/思います」多用問題を徹底解決する3つの方法
思い切って消す
推量表現にする
具体的に表現する
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