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モデルさんの肖像権、撮影者の著作権

写真とは撮影者と被写体との関係性で成り立っており、その関係性が崩れた時に必ずと言ってよいくらいに問題は起きる。

チョメチョメ大学、チョメチョメ流と息巻いていた人はセクハラ系で問題視され写真業界からあっけなく消えた。このようにそれなりに名のある方から超有名な方となると、このなんとか流の家元さんのように行き過ぎたセクハラ系では何かと問題になってたりはするが、この表題の肖像権と著作権問題でモデルさんと争う事など全くと言ってもよい程聞いた事もないのである。それは仕事として写真撮影という部分においては本当に撮影者とモデルさんがプロ同士、もしくは撮影者がプロとして撮影しているからなのであろう。

では何故この肖像権と著作権が争う感じの表現を近年多々見かけるようになり、問題視されているのだろうか。

今更言うまでももなく、こんな事がネタとなる日本の写真自体が歩んできた道としては、写真撮影の一般化、いわゆる普及に大きく貢献してきた『写ルンです』をはじめとする使い捨てカメラの登場があり、そしてそれに替わり誰もが手に出来るようになった携帯電話にカメラ機能が付いた事、何より撮影後そのまま世界中に向けて発信できるアプリの登場と重なったスマートフォンの普及が大きい。それまで「写メ」などと言っていた時代はまだまだ可愛いらしかったが、今はその時代から比べてもカメラとしてのクオリティも格段に良くなり、実際にカメラ機能を売りにしている機種まであるくらい常に進化を続けている。それほどまで写真撮影というものが一般化して、承認欲求や広告の流れと共にSNSとの連動性によっても写真公開が当たり前となり、分母が大きくなった分この手の問題が表面化しやすくなった。

そこに相まって、マキナフォトグラフィカ、カメラ自体も高価な特殊機械としてのカメラだった時代から、技術革新により全てのオート機能が撮影者を飛び越えてカメラによる撮影の独り立ちしを助け、フィルムからデジタルになった時に技術面から経済面まで全てがクリアされた。そしてやれ顔認証だ瞳認識だ、鳥だ飛行機だスーパーマンだ!と目を瞑っていてもシャッターさえ押せば良かったモノが、10秒前に遡って記録するなどといったシャッターさえ押さなくとも良くなり、カメラを超えた機能の充実はこの歴史をすべて体感してきた身、技術革新とともに写真業界を歩んできた身にとってもそれはまるで魔法の箱のようになってしまった。しかしカメラ任せで何でもやってくれるようになったカメラに戸惑いを隠せないながらもつまらなくなってマニュアルカメラに移行している人も多いと聞く。

しかし一般的には機能全部入りカメラが安くなっておかげで、高画素を補う手ブレ防止機能、カメラが何でもやってくれる、アプリが撮ってさえおけばライティングも変えてくれる時代に入り、写真撮影はボクらの時代がそうであった技術職からは大きく離れ、プロアマ問わず庶民的になってしまった。逆にこの撮影ではない技術的な急激な発展の為に、世間知らずまでもがカメラを持ち始め、公の撮影を始めたが故にタイトルのような問題が多々上がってくるようになっているのである。つまりは社会的にも未熟な者が被写体が人であることも認識せずに、全てを無視し、撮影経験の蓄積による学びもなく、常識もないままカメラ頼りの無法者が写真撮影をするようになっている事で起きているのである。

本来撮影者側立場であるボク自身としては、グレーゾーンはグレーのまま触らないでいる方がグレーで済んでいた面もあった。そもそも冒頭で写真撮影は関係性と言ったように、職業撮影者はギリギリの線で撮影をして仕事として収入を得ている部分もある。関係性だけで白黒つけないで居られる方が一番仕事はしやすい業種なのである。撮影ポジションにしても目立つバカモノが明確なルールを作らせ、「そこ」でしか撮影できない様になってしまっている。

しかし我が愛妻はモデルであり、いろいろな撮影者達と日頃から接している。自称プロを始めプロもどきやハイアマチュアなど多種多様、その中の一部の腐っているみかんが問題を発生させている。余談ではあるが、問題を起こす輩達は皆一様にハンで押したようにソニーαミラーレスを使っているのが愛妻の機材ウォッチからわかる。素人が機材頼りにするカメラはソニーらしく、世間知らずはやはりソニーらしい(笑)。それはまるで統計学を得意とする琥珀翠に合わせるかのような統一感であり、そしてその琥珀翠の伴侶のボクがそのカメラ開発に携わり、しかも事もあろうに日本著作権協会会員であるのが皮肉であるかのようになってしまっている(苦笑)。

話を戻すと、タイトルにさせて頂いたこのふたつの権利は、同じ1枚の写真を巡り対立するかのようなこの両者ではあるが、実は全く違う階層に在る権利のために実際にはこの2つの権利が交わることすらない。しかも肖像権という権利を明確にする法律がないために裁判になった場合、その時々、極端に言ってしまえば裁判官や判事、陪審員によって判決は変わってくるのは目に見えている。

そもそも肖像権はあまりモデル業界では主張される事はない。モデルとして問題となるものはパブリシティ権が主であり、そのモデル業を生活の糧として行っている方々の商標のようなものが一番重要となっているのである。

今回このネタの発端となり、バカな事を言い出したSONYα使いは、自称法律使いの端くれであるらしいのだが「お金払ったらモデルの肖像権は撮影者にある」と言い出したらしいのである。法律の端くれならば、肖像権は買い取れない事くらいわかるようなものなのだが、愛妻が話題にして、正したその後α大好き遣いは謝罪するでもなく自らの手でなかったように消してダンマリしまったようだ。

詳しくは↓

これを読んだだけでも法律を知らない偽ブランドの法律の端くれ者が、そんな法律を持ち出すまでもなく写真撮影の『御作法』の一端すら知らずに自称大物ぶりを発揮してしまったというオチである。ソニーミラーレスが出て写真を撮り始めたカメラに撮ってもらっている輩の言い出しそうな事だというのが手に取るようにわかる。

しかし実際このような状況をよく耳にするようになってしまっている。アマだけではなくプロを名乗る輩についても最近の写真界隈ではカメラ機材の発展に逆行してクズ野郎が増えてしまっている嘆かわしい事態である。

先日も写真学校でも先生事をしているであろう輩の写真講座の広告が私のSNSに上がってきた。「リクエストの多い(らしい)「トップライト講座」受講生募集」の広告。しかしそこに添えられていた写真はトップライトではなく、斜め正面からのライト。コスプレ写真が流行ってから増えた自称プロの自称スタジオは普通のマンションの一室。天井は写真撮影には低くて、トップライトは座らせた状態でもようやく組めるか組めないか程の高さ。そんな輩に限って受講料をとり教えたがる。嘘を教えられた方はたまったモノではない。

今更そんな偽ブランドを売りつけるようなインチキ商売に文句付けるつもりはないが、そのインチキを本当だと思って安くはない受講料払って真剣に学び、またその間違った知識をトップライトとは!と真面目に次の生徒に教えてしまう負の連鎖が始まる。今以上に余計に写真業界、写真界隈をダメにしているクズのはじめの一歩だと思うと実に嘆かわしい限りなのである。

また脱線してしまったが、話を戻すと、肖像権はほぼ一般的に写っている人としての時に使われるケースが多い。しかも3人などの複数人が写っている時は消失してしまう権利だったりもする。ネット検索しても出てくる肖像権、主なものはこのように書かれている。

日本大百科全書(ニッポニカ)

肖像権・しょうぞうけん』
承諾なしに、また正当な理由なく、自分の肖像(顔、姿)を写真や絵画、彫刻などに写しとられたり、公表あるいは使用されたりしない権利。法律による明文の保護規定はないが、プライバシーの権利の一部として理解され、民法上は、人格に固有の非財産的利益である人格権の一つとして認められている。この権利を違法に侵害した場合には、不法行為(民法710条)として損害賠償の責任が生じ、あるいは公表や使用の差止めがなされることもある。たとえば、顔写真が無断でマスコミの報道に利用されたり、商品広告に使われたりした場合に、この権利の侵害が問題となる。例外として、報道写真のように公共目的の場合、あるいは政治家や芸能人のような著名人に関する場合は、一般に違法性がないものと考えられる。肖像権は、国家権力との関係では、とくに刑事事件の捜査に際して問題となる。デモ行進参加者に対する警察官による写真撮影の適法性が争われた「京都大学管理法反対デモ事件」における最高裁判決(1969年12月24日)は、憲法第13条で保障された幸福追求権の趣旨から、「個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容貌(ようぼう)・姿態を撮影されない自由を有する」とした。ただし、現行犯の場合で証拠保全の必要性、緊急性があり、相当な方法による撮影であるときは適法であるとしている。また、身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影は、刑事訴訟法第218条2項で認められている。[浜田純一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について

ここニッポニカでもさらっと簡単に書かれているマスメディアの侵害と報道という逃げ道の併記は冒頭に述べたグレーの粋内にある。報道の自由、しかし広告が付いたり利益を上げる行為な訳なのであるからその報道も実は商売だったりする。わかりやすくスポーツを例題にあげると、企業に偏らない本格的な日本プロスポーツの走り、日本プロサッカーリーグ、Jリーグが始まった時に報道か否か、雑誌の表紙やポスターは報道ではなく営利目的ではないか?など裁判ギリまで話し合った事があった。企業が絡めば企業中心の権利権限として簡単に双方が理解し成り立つが、Jリーグ以降はプロ選手としての扱いがどのようになるのかが争点であった。しかしそこに利益を見いだそうとした大手広告代理店とリーグ、そしてプロブームで収益を増やそうとしたエージェント会社が絡んで渦の様になってしまったがために、本来単純な話ではあった選手肖像パブリシティ権も複雑化してしまった。今でもバスケットボール協会は選手肖像は協会が所持するとした文面が残ったままになっているが、各方面いろいろな権利関係はグレーのまま進行している。そして毎回オリンピック時期になると各方面で見られる「頑張れニッポン」キャンペーン。これも大手広告代理店が日本オリンピック委員会を巻き込んで仕掛けた企業案件である。こちらは協賛企業から大金をいただき、選手を縛り付けるように選手の肖像パブリシティ権を選手から剥奪してで使って来ていたが、これも日本オリンピック協会(広告代理店)が独占していた選手肖像権をパブリシティ権として室伏広治さんが勝ち取って崩したという経緯がある。

このようにグレーゾーンでうまく回して持ちつ持たれつでいたものを利益独占や占有を目論み、表だって白黒明らかにしてしまうと逆に現場では不都合が起きたりギスギスした関係にも成りかねない。しかしそれこそ法律を自由に操る者や本来の法律の端くれ、警察などもグレーなゾーンを巧みに使い分けており、捕まえる気にさえなれば、いかようにも逮捕が出来るように解釈は変えられるようになっている。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「肖像権」

『肖像権・しょうぞうけん』
自己の容貌,姿態をみだりに写真,絵画,彫刻などにされたり,利用されたりすることのない権利。人格権ないしプライバシーの権利の一種とされる。判例は,個人の尊厳および幸福追求権について定める日本国憲法13条を引証しつつ,国民の「私生活上の自由」が公権力の行使に対しても保護されるとし,かかる「私生活上の自由」の一つとして,なんぴとも承諾なしにみだりに容貌,姿態を撮影されない自由──それを肖像権と称するかどうかは別として──を有するとした(最高裁判所大法廷判決 1969.12.24. 最高裁判所刑事判例集 23巻12号1625)。公権力との関係では,とりわけ捜査上の必要といかに調節するかの課題があり,また私人による侵害に対し妨害排除や損害賠償が問題となる場合には,しばしば表現の自由との関連での問題が生じる。一方,著名人や有名人はその氏名・肖像において,商品の販売などを促進する顧客吸引力を有する場合があり,そこから生じる経済的な利益・価値を独占的に利用する権利をパブリシティ権という(→財産権)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について

そもそも肖像権とはカメラやスマホを向けられ、撮影される意志を示された時に「撮らないで下さい」「やめて下さい」と意思を示さないとその写真においての撮影される側の肖像権は消失する。表情で拒絶した場合は司法の判断に委ねる事にもなってしまうかも知れないが、撮影しないで欲しいことを伝えないとパブリシティ権はどこまでも付いていくが肖像権はなくなる(主張できなくなる)。

世界大百科事典 第2版「肖像権」

しょうぞうけん【肖像権】
人の肖像は,その人と密接に結びついていて,その人の人格価値そのものであるから,人の肖像を正当な理由や権限なくみだりに他人が写真,絵画,彫刻その他の手段で作成(複製)すること,これを公表することについては,肖像本人に,作成についての拒絶権,公表についての拒絶権があると考えられ,これが肖像権である。 肖像権については,日本の法律には規定がないが,デモ行進中の者を警察官が写真撮影し,これに抗議した参加者が警官竿で傷つけた刑事事件で,最高裁1969年12月24日判決が憲法13条を根拠に〈何人も,その承諾なしに,みだりにその容貌・姿態(〈容貌等〉という)を撮影されない自由を有するものというべきである。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について

ここに結論付けられている「何人も承諾なしに、みだりにその容貌・姿態を撮影されない自由を有するものというべきである」という1969年の裁判、憲法第13条幸福権を基にした判例ではあるが、今では死角がないくらいに監視カメラで撮影されている事を踏まえれば、肖像権など全く無いに等しいが、やはりこれも新たに司法に委ねざるを得ない。

また肖像権は正面顔なのか横顔なのかにもよる場合もある。基本的に横顔での肖像権を主張したところで、画面いっぱいの横顔以外にあまり意味を持つことはない。しかしあくまでも肖像権とパブリシティ権は違うという認識は必要であり、あとあと揉めるのがイヤだったら撮らない事であり、公に発表しない事である。しかし発表してこその写真でもある。特に仕事ならば発表しなければ趣味になってしまう。そのジレンマは日々付き纏う。そこで再びのグレーゾーン。この写真は大丈夫、この写真は止めておいた方が良いなどという事も被写体との関係性になってくる。

雑誌掲載時、写真選定で悩んだ挙句に差し替えした写真もある。下着ではなく、アンダースコートモロ出しの激しいアクティブな写真であった。掲載前に本人にすると全然平気という事だったが、ちょうどレイアウト最終時当時に別件で協会からイチャ文付けられたために結果的に差し替えた事を今も後悔している。やはり認識の悪い協会を持つスポーツはメジャーにはなれない。プロの専門家オフィシャルフォトグラファー、オフィサーのいないといつまで経っても同じところを巡って終了となってしまう。

長々と肖像権だけ綴ってきたが、最後に一言だけ著作権についてまとめたい。著作権は何にでも発生する。極端に言えば、紙に鉛筆で「一」と書いただけのものも著作物であり、スマホ誤操作で何が写っているかわからない写真が撮れていたとしても、それは著作権が発生している。

しかしだ、だからと言って、ギャランティ払ったからと言って、著作権があるからと言って、被写体に写真あげない、見せないというのはどうかと思う。大体後々問題が起きる、起こす撮影者はソニーαミラーレスを使っており、そして撮影した写真を1枚もくれないらしい。そしてなおかつ「撮ってあげるよ!」というらしい。

また余談になるが、その昔よく連んで遊んでいた奴がボクの影響か写真を撮るようになり、事もあろう事か、ボクのいる目の前で女子に「撮ってあげるよ」と言い出した。「撮ってあげるじやなく、撮らせてくださいだろが!」そこからそいつとは疎遠になっていた。去年の「消された展」で約10年ぶりに再会したがカメラは持っていなかった(苦)

今後こんな変な写真業界はカメラ雑誌が無くなっていくのと同様に廃れて無くなっていくのであろう。日本写真家協会や日本なんちゃら写真家協会って何をやっている団体なのですか!? ソニーαのピントがないのを誤魔化すカリカリ写真に嫌気が刺している今日この頃、志高い人はそろそろ渡航準備したほうが良いのかもしれない。


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