良い写真とは...
写真を作り出してくれるのは今も昔もフィルムの時もデジタルの時もカメラからと決まっています。暗箱に針穴を開けただけのカメラから百万円するカメラまで様々です。
もののついでに立ち寄るカメラ店でもらってくるカメラカタログも写真を撮るくらいの楽しさをともないます。そこに記載されているのはそのカメラの売りであり特徴。でも残念なことにそんなワクワク感を最近のカメラカタログでは感じられなくなってしまいました。それはカタログ作り手、企業の問題なのか、それを校閲するひとの問題なのか、そこに載せられるだけの技量を持たない撮影者しか起用していないからなのか?!
まず第一に作り手のレベル低下。それは印刷物となった写真を見る機会が確実に減っているがためのものであり、良い写真に接する量の少なさにあります。誰でも写真を撮る&発表出来る時代でもあり、それらが表示されるスマホやパソコン、ネットでの写真は莫大な無限の量。その中で見つける良い写真は、海の中で綺麗な魚を見つけるようなものであっという間に過ぎていくものであり、ずっと見続けられることはありません。
”パッと見の写真”は整った四角(視覚)のその中に違和感を持たせればよく、そうすることで見ている側の気を引くことが出来ます。アプリやフォトショップなどでの加工がこれで良い写真であると勘違いさせることはいくらでも出来ます。しかしそれは「観る」ではなく「見る」の時に限られます。
印刷物はそのまま動きもせずにそこにあります。願わくば写真展に足を運べればそのヨシワロシはわかるようになります。印刷物をずっとなにげに観続けることで視えて来るものがそこにあります。なぁ〜んにも出て来ない写真を見続けることは飽きるし苦痛でしかありません。その写真は何が良いのか考える時間を自分に与えてあげると視えないものまで視えてきます。
自分で撮影した良い写真、それをプリントして常に日常で自分で目につくところに飾っておきます。飽きが来たらアウト、新しいものが次から次へ視えてきたら良い写真であると言えます。
校閲する方は”仕事&仕事”の中にあります。文字校正や色校正は完璧、しかしそこにある内容が面白くなくてもそこまでが仕事。雑誌ならば編集長がダメ出しをすればやり直しは出来ますが、専門職である校閲はそこの内容に文句や意見をつけ加えることは出来ません。「写真差し替え」などと赤(ペンにて)を入れることは出来ない。ましてや撮り直しなどの指示など出せるはずもなく・・・。カタログ作成を編集プロダクションなどに外注していたとしても、立場上その編プロのクライアント、上司には企業戦士かも知れないですが写真素人の企業担当者。プロアマの逆転が起きてしまいます。編集プロダクションもカメラだけを専門にしているわけではないのでどっちもどっちな結論。喧嘩してまで良いものを作ろう!などという考えもないでしょう。現実には楯突いて出来の悪さや人選の悪さを指摘したところで良くなるではなくその意見者が外されるだけ。BMWというある車のカタログの撮影者に選ばれたのは某有名な方のジュニア。人選の理由は写真の良し悪しではなく某有名な方のジュニアであったからだと某広告代理店。そんなものですどの業界も。
そこで最後の砦となるサンプル写真撮影者、写真提供者ではあるのですが、これがどのカタログを見ても同じ方々、そこにあるのは「来た仕事はすべて受ける」という転びバテレンさん達ばかり。
あなたそのカメラ使っている現場、そのカタログ以外でみたことない
そしてその撮り下ろし写真も決して褒められたものではない。文字で誤魔化し説明する「そのカメラだから」「そのレンズだから」の写真。「待ってた」「やっと出会えた」って常にいろいろなメーカー、機種に出会える割には同じつまらない写真しか撮れていない方々。フォロワー何万いても写真は下手なままで一向に成長できていない寂しさ。アマチュアであるはずのヨドバシカメラ店員さん、マップカメラ店員さんの方が数段確実に上手い。そういう私も若かりし頃、まだ新宿西口ヨドバシカメラ各店舗が繋がっておらず、社員食堂があった頃にアルバイトしていた私もようやく最近写真の良し悪しが少しだけ見分けつくようになれました。
今のご時世、カタログやネット記事での寸評を鵜呑みにしてカメラ選びをする方々も少ないとは思いますが、カメラカタログは自分が所有した時の想像を掻き立ててくれます。時にはそのカタログの印刷の悪さにそのカメラから離れたり、そこのカメラの特徴を色味で離れたり(ってすべて離れるばかり?!)。
”下手糞の 上級者への 道のりは
己が下手さを 知りて一歩目”
スラムダンク安西先生もおっしゃっておられました。まずは自分の下手さを知ることから始めましょう。カタログ作りも物作りも写真撮影も。