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ボランティアを始めたきっかけ

「海外ボランティア?意識高いね。」「なんでまたカンボジア?」「何回も行ってるの?すごいね、一回いくらかかるの?」私がカンボジアでボランティアしているというと返ってくる反応は概ねこのようなものばかりである。その時、私は誇らしさと同時になんだか寂しさも感じる。ボランティアをしていない人との確かにある隔絶を感じるからだろうか。ボランティアを肯定的に見てくれていることは分かるのだが、よくそこに熱量を割けるよねと言うような物珍らしがるような視線を感じるからだろうか。


 私がボランティアを始めたきっかけは本当に些細なものだった。もともと旅行が好きで海外に興味があったことと、莫大な時間が大学生にはあるのだからどうせなら自分以外の人のために使うのもいいなと思ったからだ。社会人になったら数年は自分のことで精一杯になってしまうだろうから今のうちにやっとくか!ついでに友達も作ろう、というまあ浅いきっかけである。


 ボランティアと一口に言ってもたくさんの種類がある。国内ボランティア、海外ボランティア、被災地に関するボランティア、インフラに関するボランティア、あげたらきりがないくらいだ。そんな中で私が目をつけたのが教育分野のボランティアだった。なぜかというと昔読んでいた朝日小学生新聞の記事を思い出したからである。いつも真っ先に読むコーナーが裏一面のマンガだった。新聞を取ってくれていた親には申し訳ないが、小学生なんてそんなもんなのだ。マンガを読み終わった後に目にどうしても入ってくる記事があった。マンガの下にあるユニセフの記事だった。特に私にとって衝撃的だったのがブラジルのストリートチルドレンに関する記事だ。自分と同じ年齢の子どもたちだけで路上で暮らしているという内容は同じ世界だとは思えない。路上に置いてあるマットレスを低いアングルから撮った写真が脳にこびりついて仕方がなかった。

大学生になって法学部で学ぶようになると教育の重要性をより実感するようになった。貧困を脱するには教育が重要だが、貧しい家庭ほど子どもを労働力として必要とするジレンマがある。家庭には介入できないが、少しでも学習環境を整えたい、そう思って教育分野でのボランティア団体を探した。カンボジアを支援している団体に入ったのは内戦によって知識層が弾圧され、教育システムが破壊された歴史があったからだ。


 ボランティアというと意識高い系などと思われがちだがそんなことはない。ただ偶然の連続によってボランティアという世界に人が運ばれてくるだけなのだ。この社会にはボランティアに興味があって参加する人、就活のためにやってみる人、ボランティアに否定的な人、肯定的に捉えてはいるけれども自分は参加しない人、いろんな人がいてどれも結局正解だと思う。ただ意外とボランティアは身近にあって、いろんなきっかけや理由を持った人がカジュアルに参加している。それを知ってもらえたら、一人のボランティア団体のメンバーとして嬉しい限りである。
 

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