被団協のノーベル平和賞受賞! 「人新世」ではなく「核時代」の歴史学を!
今日、10月11日、日本被団協がノーベル平和賞を受賞というニユースが入りました。
これは核時代を乗り越える上で、日本がはたすべき役割を明瞭に示したものだと思います。核時代は死の勢力が、世界の中枢をにぎつた時代です。
その 時代認識について、私は2018年の歴史学研究会大会で、1950年以降を「核時代」とし完新世自体を「人新世」とすべきだと提案しました。その文章を公開します。
当時、私は国際地質学連合の作業部会もその方向に行くことを期待していました。作業部会は本来は完新世(hollocene)にかわるepochとしての人新世を産業革命の時代以降として提案する方向でしたが、開始を20世紀半ばに遅らせる意見が強くなり、小委員会のweb-siteには「たとえば核時代nuclear age」とありました。これは人新世を完新世にかわるものでなく、完新世を二分割し、下位層序としてのageに設定する方向です。現在は完新世核時代ということです。
新たな地質年代は世界的にその時代を代表する地層に記章(Golden spike)を打ち込むなどの厳密な手続きが必要なことからいっても、この完新世核時代に落ち着くように思ったのです。小委員会委員長のM・J・ヒートは、「1945年のニューメキシコの核実験にははっきりとした放射線のシグネチャーがない。どうすべきか」とした。これは広島・長崎の地が基準地となる可能性もあるということだと思います。
私は諸学で一致できるのは核時代の設定だと考え、下記の報告をしたのですが、
地殻災害と「人新世」の歴史学 保立道久
Ⅰ地殻災害予知と歴史学
3・11の直後、東電社長が「想定外」と発言したのに続いて、「地震学は予知できないものをできるといって巨大な予算をとった。防災が十分でなかったのはすべて彼らの責任だ」という地震学をスケープゴートとする悪質な言説がばらまかれました。これはどこかに司令部があったのではないかと思います。災害に茫然としていた社会で、これが大きな効果をもったのは記憶に新しいことです。今から考えれば、これは学術を組織的に攻撃するフレームアップでした。
地震学界では869年の貞観津波が大規模だったことは早くから知られていました。なにしろ2007年の『地震予知の科学』(日本地震学会編、東京大学出版会)には「東北から北海道の太平洋側のプレート境界では、過去の津波堆積物の調査によって、500年に一度程度の割合で、いくつかのアスペリティをまとめて破壊する超巨大地震が起きる」とあったのです。869年から1000年は1869年。地球科学は3,11を予測していたのです。私は3,11直後に東京大学地震研究所で開かれた研究会で、津波痕跡の調査をしていた地質学者がもう少し早く研究を社会に還元できていればこんなに人死にはでなかったと涙ぐむのをみました。何も知らなかった私は茫然としました。
3,11は予測されており、それを知りながら無知を偽装し、無知を組織して人の死を当然視するやり方がとられたということです。この攻撃に対して地震学は反撃できませんでした。歴史学を初めとする人文社会科学も、それを傍観していました。この経験を我々は忘れてはならないと思います。二度とあってはいけないことです。
私は地震研の研究者から依頼されて、科学技術学術審議会地震火山部会におかれた研究計画の見直しの委員会の専門委員を委嘱されました。そこでこのような地震学に対する攻撃はおかしい、地震学を支援するのは学術全体の仕事だと言いましたが、地震学の側にはM9までは予測していなかったという研究者としての強い自責があることを知りました。しかし、必要な予測は出していたのだからそれとこれは違うと思うのですが、ただ、その背景に、地震の予測とは何か、地震学の基礎研究と社会的役割の関連をどう考えるかについて地震学の中に若干の混乱があることを知りました。
つまり地震予測の出発点となった1962年の「ブループリント」といわれる文書には、「地震予知とは、いつ、どこで、どの規模の地震が起きるかを示すことだ」という定義がありました。しかし、この定義では、実際上、「地震予知」とは地震警報を発することと区別がつきません。これは警報を発する防災行政の責任を免除してしまう議論であり、60年代の地震学の社会的視野が狭く、理学の対象としてのhazards(異変)と社会的な現象としてのdisasters(災害)の相違を理解していないことの象徴でもあったと思います。委員会では、この点の議論が深まり、自然現象としての地震や噴火は災害の「誘因」に過ぎず災害の本質的な原因(「素因」)は社会の側にあるという災害科学の原則を明確にしました。災害に対して脆弱なのはいわゆる二次的な自然あるいは社会的自然である訳です。
委員会では、これを確認した上で、「予知」の概念を「地震予知」から「災害予知」に切り換えることになりました。「災害予知」とは「災害の姿を予め知る」ということです。「理学、工学、人文・社会科学の研究分野の専門知を結集して総合的かつ学際的に研究を進める災害科学においては、むしろ『前もって認知し、災害に備える』ことを幅広く捉えて『予知』という言葉を用いる」というのが、その結論でした(「災害の軽減に貢献するための地震火山観測研究計画の推進について」(建議、文部科学省H.P参照)。
これは非常に大事な決定であったと思います。災害科学というのが注目されるところで、つまり、ここで地震学は自己を地球科学の基礎分野であるのみでなく実用科学としての「災害科学の一部」であると規定した訳です。問題は、これが同時に地震学が他の諸学、人文・社会科学に対しても自己を災害科学の一部と規定するように要求したという意味をもつことです。それが根本になって、災害を「災害予知」文理融合的なというのの概念の変更が起きた訳です。歴史学にとっては予知の概念の「災害予知」への転換は決定的に重要なことで、私たちは自然科学的な予測に参加することはできませんが、歴史的な災害予知となれば一定の役割を果たすことができます。政府の公的な文書としての建議にも歴史学との学際研究の必要は明記され、歴史災害研究を行う組織の設立や研究者養成の方策を検討し、学際研究を推進するという文章が入りました。「歴史災害研究の組織」の設立の目処はたってませんが、一定の予算もつき、地震学のイニシアティヴの下に奈良文化財研究所、東京大学史料編纂所、新潟大学災害・復興科学研究所などが研究を遂行してます。
しかし、他の人文・社会科学の分野では災害科学という自覚はないと思います。これは問題にせざるをえまえん。ここではとくに法学についてふれたいと思いますが、そもそも2002年の地震本部長期評価は陸奥・房総沖のM8,2の津波地震を予測していました。中央防災会議がこれを無視し、岩手県陸前高田市以南の地域でハザード・マップが不十分となりました。東日本大震災における2万人近い死者の八割の犠牲者がそこででました(添田孝史『原発と大津波 警告を葬った人々』岩波新書2014)。この間の裁判は、東京電力原発事故の原因に長期評価を無視した政府の責任を認めました。災害対策基本法に規定された「地震予知情報」の範囲を規定する大震法の地域指定は南海トラフ地震関係に限られていましたが、もし長期評価を承認すれば、法的な筋としてはそこに東北が追加され、「予知」情報は法的な性格をもつものとなり、対策は万全になったはずです。ところが、この法が予想していた手続きが取られなかった訳です。
このような不作為は法治主義に反していますが、この経過についての法学者の発言をききません。日弁連災害復興支援委員会委員長で、現在、災害法について体系的に考える上で唯一の本、『大災害と法』(岩波新書)の執筆者、津久井進弁護士と対談したとき伺ったところ、災害法は研究も低調で、研究者も少ないということでした(対談「巨大災害の時代に問う 災害法、予知と歴史」『経済』201704)。かって渡辺洋三は災害法研究の遅れを指摘し、災害関係法を総体として検討し責任の所在を明らかにし、国民の生存権の保障という憲法の人権体系の中にこれを位置づけなければならないとしましたが(渡辺「現代と災害」『法律時報』197703増刊)、結局、事態に変化はなかったということです。調べて驚いたのですが、災害法についての論文自体がほとんどないのです。またそもそも災害対策基本法には原発事故が項目として入っておらず、「原子力災害特別措置法」には地震・津波・噴火などの地殻災害の規定がありません。
災害対策基本法は、基本的には行政組織法にすぎず、基本法といいながら災害の防護、救援、復興における国民の権利の原則を示す理念法としての役目は極めて不十分です。それでも日弁連などの努力もあって3,11をうけて重要な修正が加えられ、また法の運用に関わる様々な改善がなされました(岡本正『災害復興法学』慶應義塾大学出版会、2014)。しかし、これらは弁護士の方々の仕事で、予知の概念が災害予知にかわったことをふまえ災害法をどう見直すか、とくに大震法をどうするか、そしてこの間の災害を社会的な教訓とするために災害法の体系全体をどう組み直すかについて法学研究者の議論がみえません。日本国憲法の基本的人権、生存権、法の下の平等と居住権、財産権の諸条に基づいた災害法の体系について議論するのは法学界の責務だろうと思います。これだけの人死にが出たのに、議論が外側にみえてこないのは法学界がどこかおかしいのではないでしょうか。
明らかなことは、この議論は国家の防災組織そのものの検討を必要としていることです。それはかって学術会議で議論された地震火山庁、あるいはそれをふくむ防災省の構想、さらには自衛隊の一部の災害防護隊への改組などの問題をふくみます。その全体に人文社会科学が全面的に対応することなしには、自己を災害科学と規定し直すという地震・火山学界の意思は絵に描いた餅になるのではないでしょうか。拙稿(保立「地殻災害(地震・噴火)の予知と学術」『地殻災害と学術・教育』日本学術会議叢書2016)でも述べたことですが、防災行政・災害科学・地震噴火の予測研究を複合するシステムを一刻も早く構築すべきものと思います。
3・11後に研究を始めたにすぎない私などは、文理融合といっても無理して自分をそこにねじ込んでいるという感覚がきえません。北原糸子さんは昨年の歴史科学協議会大会報告に対するコメントで、「(これまでずっと地震災害の研究をしてきたが)過去の災害事例を研究しても、その成果が直ちに今の社会に役立つとは思えず、理工系の研究成果にもとづく防災研究に対していつも引け目を感じていた」といわれてます。災害史をほとんど独力で引っ張ってきた北原さんにしてそうなのか思います。ただ、いま災害の研究者には地震火山の研究者と同じように、いつどこで地震・噴火が起こるかと競争しながら研究してるという感じが生まれているのではないでしょうか。そして、地殻災害の研究はまったく新しい知識や方法を必要とするだけに入りにくいですが、多くの研究者が地殻災害の研究に参加しはじめました。その条件はこの間継続してきた歴史地震学会の活動、また歴史地震学の教科書というべき石橋克彦『南海トラフ巨大地震』(岩波書店2014)の出版、さらに阪神大震災を契機とした歴史資料ネットの運動が災害からの歴史資料を守り、地域の歴史文化を知る機会を各地で広げていることなどです。この仕事は本当に貴重なもので、その将来をどう考えるか、資料ネットの運動を先進的に担っている方々の意見にそって歴史学界としての意思統一をさらに深めることが必要だと思います。
Ⅱ「人新世」論とビッグ・ヒストリー
さて、以上のような状況は、歴史学の方法論にも関わってくると思います。とくに重大なのは、やはり文理融合の意味です。以下考えてみたいのは、最近、国際地質学会連合(IUGS)が「人新世Anthoropocene」という新しい地質年代の議論を開始したことです。「人新世」とは一言で言えば、現在は人間が地殻に対して直接に地質学的な力を行使する時代になっているという自然史認識です。歴史学から言えば、地球史における人類史の諸段階の問題と、地球の地層が人類の活動痕跡を含んでどのように地質化されるのか(地質学的年代)という問題は区別されるべきだと思います。しかし、ここには自然科学者の側からしても温暖化と生態学的変化の中での大地の改変と構造物の設置、コンクリートやプラスティックの大量使用、さらに地質資源収奪や水文学的な変化、また核放射性物質の散布・蓄積などは見逃しがたいという意識が現れていることも事実だと思います。
IUGSの議論は、第四紀層序小委員会の下部におかれた作業部会(WORKING GROUP ON THE ANTHROPOCENE、設置2009年)で行われています。作業部会は本来は完新世(holocene)にかわるepochとしての人新世を産業革命の時代以降として提案する方向でしたが、開始を20世紀半ばに遅らせる意見が強くなり、作業部会のweb-siteには「たとえば核時代nuclear age」とあります。これは人新世を完新世にかわるepochでなく、完新世の後半の下位層序としてのageに設定する方向です。もちろん、議論は曲折するでしょう。しかし、完新世をやめて新たなepochを設定するというのは大事ですので、この議論が何らかの結論にいたるとすると、あるいは完新世核時代に落ち着くのかもしれません。小委員会委員長のM・J・ヒートは、2016年に国立科学博物館で開催されたシンポジウム「アントロポシーンにおける博物館」で、「1945年のニューメキシコの核実験にははっきりとした放射線のシグネチャがない。どうすべきか」と発言しています(http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/symposium.php)。地質年代は世界的にその時代を代表する地層に記章(Golden spike)を打ち込むなどの厳密な手続きが必要ですから、これは広島・長崎の地が基準地となる可能性もあるということです。これは、少なくとも日本社会と歴史学にとってはチバニアンよりも大事な問題です。
気になるのは、現状を人新世と規定するとすると、それは論理的には現状の環境破壊がそのまま地質化される、つまりは廃墟となるという未来予測を含むということなのではないかということです。そして実際、この作業部会のなかには人類が滅亡の道を歩んでいるというペシミズムがみえます。とくに問題なのは、人新世という概念を最初に提案したノーベル賞受賞者、パウル・クルッツェンは作業部会の重要メンバーですが、彼は環境破壊は止められない、高度な技術によって事態を乗り越えるほかないとします。たとえば二酸化硫黄を大気中にスプレーしたり、Co2を帯水層の隙間に注入したり、サイボーグ技術を発展させようというのです。これは極めて危険な構想であり、しかも世界の資本主義の投機的な動きにそったものですが、率直に言って、自然科学者は技術が作り出してしまった危機は技術によって乗り越えるほかないとして、こういう図式を受け入れる傾向が強いと思います。
日本の2016年度よりの第5期科学技術基本計画は、狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会の後にイノベーションによって新しい価値やサービスが次々と創出される「超スマート社会」(Society 5.0)になるという「人類史」構想を主張しています。そこでも環境危機や資源の枯渇そのものがイノヴェーションと経済的な好機とみなされているのは偶然の一致ではありません。それにしても、この「人類史構想」はおそまつなものですが、さすがに、本場はここまでおそまつではありません。つまり最近邦訳がでたD・クリスチャンet al.『ビッグ・ヒストリー』(明石書店、2018)はビル・ゲイツの支援をうけた研究プロジェクトの一つの成果だといいますが、クルッツェンの議論にそのまま依拠して、人新世は人類史の必然であるとします。これは16世紀以来の資本主義的な自然破壊を免罪するものでしょう。しかも、これを切り抜けるのは「人類」の共同責任であるというのは到底従うことはできません。この図式は1960年代に大きな問題となったいわゆる近代化論と相似するものとして警戒しなければならないように思います。ただ、これが様々なグローバル・ヒストリの動向を背景としているだけに一定の説得性をもっていることは注意しておくべきでしょう。とくにこの『ビッグ・ヒストリー』は、マクニール父子が代表するアメリカ流のグローバル・ヒストリの流派とは関係が深く、子どもの方のマクニールはクルッツェンの共同研究者です。
これに対して、歴史学がどう対応していくかを考えるとき、私は、同じく最近邦訳がでたC・ボヌイユ+J・B・フレソズ『人新世とは何か』(青土社、2018)が参考になると思います。この本は、人新世の議論の中にある自然科学的な分析を尊重しつつも、このような大きな語り(ビツグ・ナラティヴ)を拒否します。彼らは、それがヒト種という抽象概念を後ろ盾に階級・性別や歴史的・社会的な責任から切り離し、「帝国」が科学を囲い込んで地質と環境を管理するイデオロギーとなっているといいます。これは正論で、私の受け止め方だと、ネグリの『帝国』が人間の身体的自然に対する生政治(バイオ・ポリティクス)の側面から世界資本主義を論じたのに対して、ボヌイユらは同じ問題を地質政治(ジオ・ポリティクス)として論じ、地質学的自然に踏み込んだと位置づけることができると思います。彼らは科学史家の立場から、帝国と資本が既存技術の合理性を知りながら、新しい技術に飛びついて、利潤を追求してきた過程を詳細に追跡しています。19世紀後半のいわゆる第二の産業革命が、世界的な物質代謝を組織し、鉄道・船・電信ケーブルに結ばれた二次的自然を作り出し、各地域の自然に生態学的な不均等を及ぼしたことを論じます。この中で、人間の物質代謝が直接に地質学的な力に転化する局面がふえ、とくに核物理学による核エネルギーとコンピュータの技術化がそれを決定的に深化したといいます。ボヌイユが、この二次的自然の構造が破壊によって組み上げられたものであり、この自然の構造それ自体が世界資本主義の強固な「下部構造」となっていることを強調するのは正しいと思います。
Ⅲ「資本主義」「死の勢力」「核時代」
地殻災害から少し離れすぎるように思われるかも知れませんが、少し理論的な問題をいわせてください。ことは災害素因を提供する脆弱な自然、いわゆる二次的自然をどう理解するかということに関わってきます。
資本主義を、この二次的自然とその基礎にある大地と土地所有の世界と離れて語ってはなりません。私は、商品としての資本、あるいは物象化論で歴史過程を整理してしまうのは(たとえばウォーラーステインのような議論をふくめて)一種の流通論主義で、それが自然をどのように二次的なものとして作りかえるかが問題の鍵であると考えています。つまりそこではいわゆる物象化ではなく、二次的自然への物化こそが問題になります(物象化と区別された物化の概念については、たとえば参照、平子友長「マルクスにおける物象化・物化と疎外の関係」『季論21』2018春)。そうしないと、世界を資本のみでとらえてしまい、それが土地所有との複合構成をもっていることを後景に追いやることになります。『資本論』は本来のプランでは世界を最終テーマとしていた訳ですが、近代世界は明らかに土地所有の世界的形態を作り出しました。これは現状の『資本論』の構成には入っていませんが、この「下部構造」の歴史的変化を系統的に追うことなしには問題は解決されません。レーニンの『帝国主義論』は現状分析ですから、そういう視野はありません。その点のみをとればむしろローザ・ルクセンブルグの仕事の方が歴史家には親しみがもてます。植民地主義は、大地、対象的自然に対する世界的領有の体系を国家の関与のもとに作り出しましたが、植民地主義はきえても、この物質的構造は形態を変えつつ、再編・強化されていることを重視すべきと思います。現在、私たちの前にある二次的な自然は、資源エネルギー所有、軍事的所有、開発的所有と大地の切り分け、都市農村関係の再組織などの複雑な所有関係のシステムの中にあり、しかもそれをつらぬく意思関係はコンピュータというなかば物質的な姿をとっている訳です。
このような世界的な物質代謝のシステムの中枢にあるのが原発であることはいうまでもありません。村上麻佑子「日本におけるTVAと原子力」(小路田泰直等編『核の世紀』東京堂出版2016)は、関東軍の満州開発→敗戦後のアメリカのTVAを真似た総合開発計画→原子力産業組織が一貫した人脈によって動かされていたことを示しました。原子力産業は戦争から生まれたという意味でも、大地を荒廃と死の絶対空間においこむことを前提にしているという意味でも死の産業だと思います。人類史的な時代区分ということをいえば、網野善彦がしばしば述べたように、現在が、人類が人類と地球を破壊する死の力をもってしまった時代であるということを強調すべきではないでしょうか。歴史学は、地質学的な時代とは区別して、まずこういう意味での核時代という概念から出発すべきだと思います。
1984年、芝田進午は『歴史学研究』誌上で、「核時代の歴史哲学、再々論」という論文を執筆し(同『核時代Ⅰ』青木書店所収)、人類の未来の絶滅(Futurecide)の可能性を意識した紀年法、核時代紀元を採用することを提案しました。私はこの論文が世界史は階級社会の成立以来、たんに貧と富の闘争の歴史であったのではなく、むしろそれをふくむ生の勢力と死の勢力の闘争であり、「核時代」の歴史学は後者に焦点を合わせるべきだとしたのは大事な視点であると思います。この論文は率直に言ってやや図式的なところがありますので、最近の歴史学が強調する「生存のための歴史学」というように考えた方がいいかもしれませんが、ただ逆に歴史学は死者を呼び起こし、声を合わせる学問であるともいわれます。そちらから考えると、「生存のための歴史学」とは死者たちの敵、死者を殺した「死の勢力」とは何であるかを中心問題とすべきようにも思います。
現在の「新自由主義」といわれる動きは、私は、より正確には核時代における破局的な新競争主義というべきものだと思います。そこには何の自由もありません。この勢力は死を強いる力と道具、ブラックボックスをもつ人々の組織です。しかし「死の勢力」とはそれ以上のもので、彼らは人間社会に宿った悪霊として死の恐れと瘴気をふりまきます。彼らは現実の地殻を破壊するとともに、人間の内面の地盤を喪失させます。人間を対象的自然からも内面的自然からも抽象的な「自我」として切り離し、身心を分離しそこに自己破壊の衝動を植え付けます。人を痛めつけることによって差別と競争の感情を作り出し、それによって「死の勢力」は自身の特権と脅迫を合理化し誇示するという状況であることは、私たちが日々思い知らされていることです。そういう勢力が世界に宿っていることを表象できるようにすることが思想と学問の役割ではないかと思います。
核戦争の危機は現実の問題です。石橋克彦のいう「原発震災」が実際におきた国ですから、我々は地殻災害から核問題まで地続きのところにいるわけですが、そこにさらに核戦争が加わるというのは、芝田がいうようにまさにFuturecideでしょう。学術にとってはこれを阻止することは職能的な責務であろうと思います。私は、こういう状態のなかで保守と進歩の関係を考え直さなければならないと考えるようになりました。ある意味で現状を正しい意味で保守する、守るということを中心にして問題を考えざるをえないのではないかということです。もちろん、これは「進歩、前進的」ということの独自の価値を否定するものではありませんが、保守と進歩の関係は真剣な考慮を必要とする時代であると思います。国連において核兵器禁止条約の議論が行われています。今、世界の科学者コミュニティは、「新人世」にせよ、「核時代」にせよ、この世界を守ることを中心に議論を開始すべきものと思います。
その中で日本の歴史学は、芝田の言う核時代紀元を時間基準として打ち出すことを考えてよいのではないでしょうか。日本は、原爆による大量死を経験した世界で唯一の場であり、さらには伝統的な王家の元号を使用することを法定している世界でも稀な国柄です。この国の学術が核時代紀元を主張する意味は大きいと思います。
結局、世界の人々が世界を守ると合意するのは、歴史について、過去についても未来についても時間基準としては同じ客観性を採用することが必要だと思います。「核時代」は、そのためにもっともふさわしいものです。歴史学は、これまで「西暦」を利用してきました。しかし、西暦は基督教紀元であって、たとえばイスラム紀元と対等のものです。これを採用するのは他文明に対する寛容ではありません。現在の状況をみると、「西暦」はヨーロッパ中心主義の最後の砦の一つのように思います。しばらく前まで使用されていた地質時代、洪積世Diluviumはノアの大洪水Delugeのイメージが前提です。それが更新世に変更された以上、基督教紀元もしかるべき紀年法に切り換えるのが自然なことではないでしょうか。これが完新世核時代という議論に重なることはいうまでもありませんが、これは古生物学や考古学が放射年代測定法を使い始めた1950年を起点とするBP(before present)を採用するのともほぼ合致します。ようするに科学者に共通し文理を融合させた時間観念となる可能性がある訳です。
さて、この核時代は時代概念として学術的に詰めた議論が必要です。まずたとえば紀平英作『歴史としての核時代』(山川出版社1998)のような現代史の側の貢献が必要ですが、さらには紀年論、暦論、そして歴史学的な時間論全体を議論しなければならないでしょう。さらに独自の問題は、核時代の未来をどう考えるかということです。この場合は、私は、核時代とは、現在、地上に降り積もってしまった「核」の処理を時代の重荷として抱える時代と言うことになるでしょう。この時代は原爆と原発の廃棄物の放射能を標識としているのであって、それが元の水準に減少するのは10万年かかるといわれていますから、最大限、それだけ続くことになるのかも知れません。人類はそれだけのことをやったということです。もちろん、その間にいわゆる人類の前史が終わって歴史的に新しい社会が到来したという場合は、「核時代」という特徴は二次的なものとなるのかもしれません。
もう一つ問題なのは、核時代という時代認識をもつということは、すぐにその前の時代、いままでの1万2000年間の完新世を人類史の時代区分としてどう呼ぶかという問題をもたらします。遠い話しと聞こえるかも知れませんがIUGSが「核時代」をageとして採用するというようなことになれば、これは近く公的に歴史学に問われるのかもしれません。茫漠たる問題ですので、ここで議論すべきことかは迷いますが、その回答は、たとえば核時代の以前を「野性の時代」(age of savage)とすることだろうかと考えます。ここでいうsavageとは第一にはレヴィ・ストロースが「野生の思考savage mind」という意味での自前の自然知にみちたという意味でのsavageです。人間社会は完新世における農業の開始後も、実質上は、この野生の労働によって支えられてきたのであり、たとえば日本がそこから最終的に脱したのはいわゆる高度成長期です。また19・20世紀社会はアメリカの野生の時代が作り出した食用食物なしには存立しえませんでした。もちろん、このsavageは第二にフロイトがいうような攻撃性という意味での野性の意味も含むのであって、ここ2500年ほど続いた「文明」は、実際には表層だけのもので、攻撃的な「野蛮な文明」「文明の野蛮」に過ぎなかったともいえると思います。20世紀における諸形態の戦争はその嗜虐性が頂点に達した時代であったということになります。
さきほどふれた科学技術基本計画のいう噴飯物の「人類史」に自然科学者が感心してしまうというのが、現実であることを忘れてはならないと思います。ともかく、これは対案が必要な訳です。以上に述べたことは大ざっぱではありますが、こういう二重の意味でのage of savageからnuclear ageへという形で人類史を区分するというような大ざっぱな仮説も実際に必要なのではないかと思うのです。
さて、中村桂子さんは「このまま進めば恐らく今後地質年代が対象とする長さだけ人類が続くことは難しいであろうから『人新世』の議論は無意味となる」と述べています(「『人新世』を見届ける人はいるのか」『現代思想』「人新世」特集、2017年12月)。最悪の可能性は「野蛮な文明」が続き、核戦争が展開し、いわば「ナウシカの時代」が到来して、完新世の下位のageであった核時代は短い過渡期として終わり、新たなepochとしての破滅の時代が始まることです。人新世は破滅新世となり、人類が現在まで地上に作り出してきたすべてが廃墟となり地層化するという暗い見通しです。これに対置でき、そして、過去と未来を守るということが歴史理論として納得できるような議論が必要なのではないかと思うのです。
まとめにかえて
3・11の地殻災害と原発事故を防げなかった責任はこの間の政府にありますが、その条件の一つに社会と学術の関係、また学術世界内部における自然科学と人文社会科学の関係があったことは否定できません。私は、この意味でも、日本の大学や学術における文系と理系の分断は重大問題であると思います。これを回復するためには、歴史学その他の人文社会科学と地質学・地震学・火山学との協同が、経過からいって持続的に追求されねばならないと思います。学術が相互に自閉した場合、自然科学が育てた技術はブラックボックスとなり、利潤を優先し、無知を装い、無知を組織することになれた「死の勢力」にとらわれるでしょう。その意味で、学術的な文理融合は決定的な意義をもっています。
なぜ、上のようなやや茫漠としたことまで申しあげたかは、それに関わっています。ともかく自然科学の議論は時間のスパンが長いのです。歴史学は自然科学との間で、地殻災害にせよ、「人新世」にせよ、極めて長い地殻の時間を意識しながら、意見を交換せざるをえない時代に入ったと思います。
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