『老子』、現代語訳・原文・読み下し(全)

『現代語訳 老子』(ちくま新書)の現代語訳・原文・読み下しの部分のみを載せています。いうまでもないですが、校訂の注記、詳しい解説、用語説明などを読みたい方は、この新書を参照してください。そこでは他の大量にある注釈本との解釈の相違、そして儒教や『論語』『孟子』などとの関係、日本の神話や神道との関係についても論じています。

『老子』は精神と身体の自由、国家・王権は社会と民衆のためにあるという意味での民主主義を強調した東アジアにおいてもっとも大事な古典思想であると思います。

 日本の文化・思想にとっても神話時代、文明化の時代、さらに徳川時代まで、さまざまな形で影響をあたえました。東アジアにおける国家の思想・宗教の基本は儒教でしたが、その基層では『老子』の思想はきわめて重要な位置をもっていたと考えています。

 そのような位置をもつ『老子』の思想を東アジアにおいて復権することを目指し、中国語・韓国語をはじめとする多言語に翻訳していくことを希望しています。それは大きく言えば、東アジアにおける諸文化の相互尊重、諸国家の間の平和と協調、そして民主主義のために一つの思想的基礎をあたえるのではないかと考えています。

 私が『老子』を読もうと決めたのは、倭国神話の研究のためには『老子』の思想をどうしても詳しく知る必要があることを確認したためです。たとえば『古事記』の編者である太安万侶は『老子』を暗記するまで読んでいたことは明らかです。『現代語訳 老子』(ちくま新書)を書き終えたので、現在は、もっぱら神話の復元のための研究に集中していますが、それと同時に『老子』を中心に東アジアに関わる諸問題を考え続け、仕事をするつもりでおります。

 このページがさまざまな交流の場となることを願っております。

『現代語訳 老子』(ちくま新書)では『老子』全八一章を第一部「「運・鈍・根」で生きていくこと」、第二部「星空と神話と「士」の実践哲学」、第三部「王と平和と世直しと」の三部に分けて並べ直しました。『老子』各章を81講で解説していくという形になります。『老子』は多面的な著作ですので、現代の私たちが読むためにはテーマごとに並べた方が分かりやすくなると考えたためです。

 以下のテキストでも、それは同じですが、ここでは、本とは逆に、「王と平和と世直しと」「星空と神話と「士」の実践哲学」「「運・鈍・根」で生きていくこと」の順にならべてあります。それは、①『老子』の国家社会思想、②宇宙と神話についての考え方、③人生論の順序で読んだ方が分かりやすいかもしれないと考えたからです。『老子』というとどうしても人生哲学という感じがあると思いますが、その前に『老子』は国家社会の哲学であるからです。

(よって81講から1講という順序で並んでいます。その講が本来の『老子』の第何章にあたるかは、見出しの最後の( )内を参照してください)。


第一部 王と平和と世直しと

第一課 王権を補佐する

 老子の思想は、東アジアの歴史において「徳政」の原理をはじめて本格的に提供したものである。もちろん儒学にも王が「仁政」に勤めなければならないという思想はあったが、その王を判定するのは終局のところ「天」であった。それに対して、老子は王が無為をさとった賢人となり、身命をかけて社会と民衆に奉仕することを要求した。そして、士の社会的義務として、そのような王を擁立し、補佐し、さらに必要に応じて王を批判し、追放することさえも要求した。
 このような老子の思想は、秦漢帝国の形成期の政治に大きな影響をあたえた。たとえば秦の始皇帝即位時の相国、呂不韋はもと大商人で、始皇帝の父の最大の援助者として立身した人物であるが、彼が財力をかたむけて編集した『呂氏春秋』は老子の思想の影響を帯びている。そもそも始皇帝の母はかって呂不韋の寵姫であったが、彼はそういう密接な関係も災いして相国を罷免され自殺に追い込まれた。この経過が始皇帝を専制主義的な法家政策の採用に追いやった可能性が高いともいう。
 この秦に対する抗議は老子の故国、楚から起こった。とくに重要なのは最初に秦に対する叛乱に立ち上がって短期間であったが楚王となった陳勝が楚の日雇い農民という身分から出身したことで、彼が蜂起にあたって呼号した「王侯将相、いづくんぞ種あらんや」(王の血筋は決まっている訳ではない)という言葉は『老子』の影響を受けていると考えるほかない。陳勝の後をうけた漢の建国者、劉邦も庶民の出身であり、劉邦の軍事勢力の中心にいたのは劉邦と同郷の人々であって、劉邦の死後に相次いで丞相となった蕭何(しようか)も曾参(そうさん)も、本来は胥吏(しより)という民衆から徴用された下級官吏であり(蕭何(しようか)は県の主吏掾、曾参(そうさん)は郷の獄吏)、曹参を始めとして彼らの中には、老子の思想を信奉する人々が多かったのである。
 考えてみれば、こういう庶民出身の人々が反乱し、巨大な帝国の国家中枢を占拠するというのは、世界史でも希有な事態である。『老子』は、この叛乱と帝国の建国において主導的なイデオロギーの役割を果たしたと考えてよい。儒教は、この『老子』の思想と対決する中で始めて国家思想として自己を作りかえることに成功し、漢帝国の国教として国家思想の中枢の位置を占めることができたのである。


1講 我から祖となれ、王となれ(第一六章)

 心を空虚にして、その極点で静寂を守ってじっとしていると、万物の気配が一挙に動き出して本源に復(かえ)って行き、私の心も本源に復(かえ)って行く。それは植物が繁茂すれば根が張っていくのと同じことである。根源に復帰すればすべては「静」であり、そのなかで「命」の根源に戻っていくことができる。そして「命」に戻れば、そこは永遠の今、「恒」である。その永遠の道を知ることが「明」である。それを知ることができなければ、自分の凶暴さを鎮めることはできない。そうではなく、私たちが永遠なるものを知るのは広大な世界に目を開いて寛容になるときである。世界が無限に広いからこそ公を共にすることができるのであり、公共とは個々人がみな独立の王となることである。人は王となって天を仰ぐが、天には「道」があり、すべては永遠の今だ。その中に身を没して去って行くまで何の心配もない。

到虚極、守静篤、万物竝作、吾以観復。夫物芸芸、各復帰其根。
帰根曰静、是謂復命。復命曰恒、知恒曰明。不知恒、妄作凶。
知恒容。容乃公、公乃王。王乃天、天乃道、道乃久。沒身不殆。

 虚を致すこと極まり、静を守ること篤(あつ)く、万物は並び作(おこ)れども、吾れ以て復(かえ)るを観る。夫れ物の芸芸(うんうん)たるも、各(おの)おの其の根に帰す。根に帰ればここに静にして、是れを命に復ると謂う。命に復るを恒といい、恒を知るを明という。恒を知らざれば、妄作して凶なり。恒を知れば容(よう)なり。容なれば乃(すなわ)ち公なり、公なれば乃ち王たり。王なれば乃ち天なり、天なれば乃ち道なり、道なれば乃ち久し。身を没するまで殆(あや)うからず。

As I keep my mind empty and quiet at the extreme point, all signs of life begin to move at once and go back to the origin. Also my mind goes back to the origin. Just as a plant thrives, so does its roots. When we return to the root, everything is "quiet," and we can return to the root of "life.". And when we return to life, it is eternal and eternal. To know the eternal path is' Myo. '. If you don't know, you can't quell your ferocity. Instead, it is when we open our eyes to the vast world and become tolerant that we know the eternal. It is because the world is infinite that we can share the public, and the public is that every individual becomes a king of independence. Man is a king and looks up to the heavens, but there is a path in the heavens, and everything is in eternity. There is nothing to worry about until he dies in it and leaves.


2講 無為の人こそ王にふさわしい(一三章)

 人が栄寵と屈辱に動転するのは、大病を病んで身体のうちそれしか目に入らなくなるようなものだ。なぜ名誉と屈辱に動転するかといえば、その下地は栄寵にある。まず栄寵をえて驚き、それを失って屈辱に動転するのだ。栄寵と屈辱に動転するとはそういうことだ。なぜ大病を貴んでそれを身体自体のように扱うのか。大病があるのは私に身体があるためだ。私の身体を無為にできれば私は大病ではなくなる。これと同じように、真に自分の身を為(おさ)めることを世の中を作為することより貴ぶ人間であって初めて、世の中を託すことができる。その身をもってすることを、世の中を作為するより大事だと思える人にこそ、世の中を委ねることができるのだ。

寵辱若驚、貴大患若身。何謂寵辱若驚。寵為下。得之若驚、失之若驚。是謂寵辱若驚。
何謂貴大患若身。吾所以有大患者、為吾有身。及吾無身、吾有何患。
故貴為身於為天下、若可託天下。愛以身為天下、若可寄天下。

人の寵辱(ちょうじょく)に驚くが若(ごと)くし、大患を貴ぶこと身の若(ごと)くす。何をか寵辱に驚くが若(ごと)くすと謂う。寵を下(した)と為す。之を得て驚くが若くし、之を失いて驚くが若(ごと)くす。是れを寵辱に驚くが若くすと謂う。何をか大患を貴(たつと)ぶこと身の若くすと謂う。吾れに大患有る所以(ゆえん)の者は、吾に身有るが為(た)めなり。吾れに身無きに及んでは、吾れに何の患いか有らん。故に、身を為すを天下を為すより貴ぶあらば、天下を託すべきが若し。身を以てすを天下を為すより愛するあらば、以て天下を寄すべきが若し。

A man who is moved by grace and humiliation is a man who suffers from a great disease and sees only that in his body. The reason why we are moved by honor and humiliation is that the foundation is grace. First of all, they are surprised by their grace and then they are humiliated by their loss. That's what it is to be moved by grace and humiliation. Why treat a serious illness as if it were the body itself? I have a serious illness because I am physically fit. If I can neglect my body, I will not be seriously ill. In the same way, you can trust the world only if you are a person who is more precious than taking action to make yourself (HEY!). You can entrust the world only to those who think that what you do with yourself is more important than what you do with it.

3講 正道を進んで、無為・無事・無欲に天下を取る(五七章)

 正道により政治を行い、緊急の奇策としてのみ兵を動かし、無事なままで天下の信頼をえて統治する。私がどうしてそれが可能と考えるかといえば、それは次のようである。そもそも、世の中に禁忌が多く民衆はそれに叛(そむ)くようになっている。そして民衆の武器所持が拡大しており、国家はいよいよ闇の危機にある。また人工による技巧の発達によって、邪な器物がいよいよ増えている。さらに法律がいよいよ明細な事項に渡るようになっているが、それが盗賊に走る人々をふやしている。こういう中で、有道の士が、無為の立場をとって民衆が自ずから変化するのを信頼し、静謐を好んで民衆が自ずから正しくなることを望み、特別な事をせずに民衆が自ずから豊かになるようにし、また自分を無欲にして、民衆も自ずから素樸な姿をみせるようになれば(天下を取ることが可能になるだろう)。

以正治国、以奇用兵、以無事取天下。吾何以知其然哉、
夫天下多忌諱、而民彌叛、民多利器、国家滋昏。人多伎巧、奇物滋起、法令滋彰、盜賊多有。
是以聖人云、我無為而民自化、我好静而民自正、我無事而民自富、我無欲而民自樸。

正を以て国を治め、奇を以て兵を用い、無事を以て天下を取る。吾れ何を以て其の然(しか)るを知るや。天下に忌諱(きき)多くして民いよいよ叛し、民に利器多くして、国家滋(ます)ます昏(くら)し。人に技巧多くして、奇物滋(ます)ます起こり、法令ますます彰(あき)らかにして、盗賊多く有り。是を以て聖人は云(いわ)く、我無為(むい)にして民自(おの)ずから化し、我れ静(せい)を好みて民自ずから正しく、我れ無事にして民自ずから富み、我れ無欲にして民自ずから樸(ぼく)なり。


4講 王の地位は落ちていた石にすぎない(第三九章)

 昔から変化には太一(たいいつ)(原初の一)がきっかけとなった。天は太一(たいいつ)をえて清澄となり、地も太一(たいいつ)をえて安寧になり、神気も太一(たいいつ)をえて霊(くす)しくなり、谷も太一(たいいつ)をえて、その女神が豊かに孕み、万物も太一によって生じた。そして侯王も太一をえて人を代表して天下の中心にすわったのである。しかし、恐(おそ)らくその極まりにおいて、天が清澄でなくなれば裂け、地が安寧でなくなれば地震に襲われ、神が霊しくなくなれば絶え、谷の女神が受胎する力を失えば生命は尽き、万物が再生の力を失えば世界は滅亡する。そして、侯王が尊貴、高邁さを失えば倒れてしまう。つまり、身分が貴いというのは本は賤しかったということで、地位が高いというのは最初は低かったということだ。だから侯王が、孤独なものとか、寡徳なものとか、僕であると自称するのはいわば当然なのだ。賤こそが本来の姿であることを忘れてはならない。間違うな。得もせず、地位と名誉のシンボルだといって車を数えてばかりいると、車はなくなるぞ。そもそも美しい琭玉などというものは欲すべきものではない。本をいえば、それは落ちていた石にすぎない。

昔之得一者、天得一以淸、地得一以寧、神得一以霊、谷得一以盈、万物得一以生、侯王得一以為天下正。
其致之、天無以淸、將恐裂。地無以寧、將恐発。神無以霊、将恐歇。谷無以盈、將恐竭。万物無以生、將恐滅。侯王無以貴高、将恐蹶。
故貴以賤為本、高以下為基。是以侯王自謂孤寡不穀。此非以賤為本耶、非乎。
故致数輿無輿。不欲琭琭如玉。珞珞如石。

昔の一を得たるは、天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧(やす)く、神は一を得て以て霊(くすし)く、谷は一を得て以て盈(み)ち、万物は一を得て以て生じ、侯王は一を得て以て天下の正と為る。それこれを致(いた)すや、天は以て清きこと無くんば、将に恐らく裂けれんとし、地は以て寧きこと無くんば、将に恐らく発(うご)かんとし、神は以て霊(くすし)きこと無ければ、将に恐らく歇(や)まんとし、谷は以て盈(み)つること無ければ、将に恐らく竭(つ)きんとし、万物は以て生ずること無ければ、将に恐らく滅ばんとし、侯王(こうおう)、以て貴高なること無ければ、将に恐らく蹶(たお)れんとす。故に貴は賤を以て本と為し、高は下を以て基と為す。是を以て侯王は自ら孤寡不穀と謂う。此れ賤を以て本と為す耶(や)。非ざるか。故に輿を数(しば)うるを致(いた)さば輿無し。琭琭、玉の如きを欲せず。珞珞、石の如きか。


5講  知はどうでもいい。民衆は腹を満たし、骨を強くすればよい(三章)

 賢者と知識を尊ぶという風潮をなくせば、民衆の中での争論はなくなる。珍しい財宝に価値をおくことをやめれば、民衆の中で盗みをするものがなくなる。人々が欲しいものがみえなくなれば、人々が乱れることは少なくなっていく。有道の士の政治は、人々の心を虚しくさせるが腹を実たしてやり、その志を弱くするが骨を強くしてやる。つねに人びとが「無知・無欲」の境地にいるようになれば、国家のなかで賢才なるものが動く余地はなくなる。それによって無為の政治ができれば社会は治まっていくのだ。

不尚賢、使民不争。不貴難得之貨、使民不為盜。不見可欲、使民不乱。是以聖人之治、虚其心、実其腹、弱其志、強其骨。恒使民無知無欲、使夫知者不敢為也。為無為、則無不治。
賢を尚(たつと)ばざらば、民をして争わざらしむ。得難きの貨を貴(たつと)ばざらば、民をして盗みを為さざらしむ。欲すべきを見(しめ)さざらば、民をして乱れざらしむ。是を以て聖人の治は、其の心を虚しくして、其の腹を実たし、其の志を弱くして、其の骨を強くせんとす。恒に民をして無知無欲ならしめ、夫(か)の知者をして敢えて為さざらしむ。無為を為さば、即ち治まらざることなし。


6講 知をもって国を治めるものは国賊だ(六五章)

道を実践することの「善」(本性)は民に明知をあたえるということではなく、むしろ民を愚直にして安息させることにあるというのは由来があることだ。所詮、民衆が駄目なのは、彼らが知を求めるためである。それゆえに、知をもって国を治めようなどというのは国を破壊する賊である。不知と愚直をもって治めることこそ国の徳(はたらき)である。この両方を知ることが式盤を立てて予測するにふさわしいことであり、恒にこれらを知って式盤を立てて慎重に予測することこそ玄妙な徳というものである。玄徳は深く、遠いものであり、それは万物の気とともに根源に返っていき、大いなる道に順(した)がうことになる。

故曰善為道者、非以明民、將以愚之。民之難治、以其知。故以知治国、国之賊、以不知治国、国之徳。知此兩者亦稽式。恒知稽式、是謂玄徳。玄徳深矣遠矣、与物反矣。然後及至大順。

故(ゆえ)ありて曰く、道を為(おさ)むるの善は、民を明(めい)を以てせんとするに非(あら)ず。将(まさ)に之(これ)を愚を以ってせんとすなり。民の治まり難きは、その知を以てすればなり。故に知を以て国を治むるは国の賊なり。不知を以て国を治むるは国の徳(はたらき)なり。此の両(ふた)つを知るは亦(すなわ)ち式を稽(かんが)えるなり。恒に知りて式を稽える、是(これ)を玄徳と謂う。玄徳は深し、遠く、物と与(とも)に反(かえ)る。然る後に乃(すなわ)ち大順に至る。


7講 政治の本道は寛容と保守にある(五八章)

政治が寛容で大まかだと民衆は素樸でのんびりしてるが、政治が形式で割り切っていると、国は滅茶苦茶になる。禍いには福が付きもので、福には禍いが隠れている。禍福のあざなえる縄がどういう結果を呼ぶかは誰にも分からない。そもそも正しさというものは絶対的なものではない。しかも正しいと思えば怪しくなったり、善いと思っても不吉になったりする。ようするに人間の迷走というのは、昔から同じことだ。だから有道の士は、おのれが方正であっても、人を裁断しないし、おのれは清廉であっても他人を傷つけない。真っ直ぐであっても自分勝手な肆意(しい)ではなく、明知があっても外から見えるのは微かな光だ。

其政悶悶、其民淳淳。其政察察、其国欠欠。
禍兮福之所倚、福兮禍之所伏。孰知其極。
其無正、正復為奇、善復為妖、人之迷、其日固久。
是以聖人方而不割、廉而不刺、直而不肆、光而不燿。

其の政(せい)、悶々(もんもん)たれば、其の民淳々(じゆんじゆん)たり。其の政、察々(さつさつ)たれば、其の国、欠々(けつけつ)たり。禍(か)や福(ふく)の倚(よ)る所、福(ふく)や禍(か)の伏(ふ)す所、孰(たれ)れかその極(きわみ)を知らん。其れ正(せい)無し。正は復(ま)た奇と為(な)り、善は復(ま)た妖(よう)と為る。人の迷えるや、その日固(もと)より久し。是(ここ)を以(もつ)て聖人は、方にして割(さ)かず、廉(れん)にして刺(やぶ)らず、 直にして肆(ほしいまま)ならず、光ありて燿(かがや)かさず。

第二課 「世直し」の思想

 老子の思想は、一面できわめて穏便な保守主義であったが、他面で時代の混迷を上から変革しようとする急進的なものであった。それは「見果てぬ夢」に終わったものの、しばらく後、二世紀に始まった道教の原点となった。その教典、太平経は、天命をうけた真人が有徳の君主に世界の救済を命ずるというものである。彼らはそれにもとづいて黄巾の大反乱に蜂起し、漢帝国を崩壊させた。まさに「世直し」であるが、そこに参加した庶民は「老子五千文」を暗唱していたという。
 ここで紹介しておきたいのは、この漢帝国の崩壊をへて、老子の思想を土壌として、中国史上初めての「無君論」といわれる思想が生まれたことである。その重要な例が四世紀の思想家、鮑敬言の思想である。この思想家の生涯はまったくわからないが、その思想の一端が、日本神話の記述にも相当の影響を及ぼしたのではないかといわれる、有名な神仙思想の書『抱朴子』に、次のように記録されている。
鮑敬言は老莊の書を好み、過激な説を立てる。その主張は次のようなものだ。太古に君主がいなかったのは当世より優れている。儒者は「天が人民を生み、人民のために君主を立てたのだ」(『左伝』文公一三年)というが、しかし、天が諄々と君主の必要性を人民に説いてきかせたのか? 君主になりたい者が天意を口実にしたのか? だいたい、強者が弱者を抑えつければ、弱者は強者に服従する。利口者は愚者をだまして奉仕させる。ここから君臣の道が起こり、力のない民が支配されるのだ。人が人に隷属し使役されるというのは、このように起こるのであって、青々とした天は、そこに何の関係もない。君臣関係が成立して諸悪が日日にひどくなると、塗炭の苦しみに疲れ果てて枷から脱けだそうと腕を振り回す者もでてくる。君主は朝廷で憂えおののき、人民は貧苦の余りわいわい騒ぐ。穀物や絹を朝廷に積み上げれば民は貧乏して飢える。百官が備われば、彼らは民が奉った税を座して食いつぶす。禁衛の詰所には徒食の輩がごろごろし、百姓は遊んでいる人々を養わねばならない。民は衣食にも事欠いて自給するだけでもひどい苦労。かてて加えて税金と苦役が加わる。下々は命令に応じきれず、凍えたり、飢えたり、法を犯して暴動するものも出てくる(『抱朴子』外篇、詰鮑巻。『抱朴子 内篇・外篇』(平凡社東洋文庫、一九九〇)の本田済の訳文を参照した)。
 ここには前近代社会には珍しいほど明瞭な王権批判・否定の思想がある。そしてその発想のほとんどは老子に依拠している。老子の思想はこのように中国思想の基層に脈々として流れ続けた。その系譜は、一九世紀の太平天国の反乱にまで続いたのである。


8講 王権の根拠と土地均分の思想(第三二章)

 「道」は恒遠な存在であって人が名前をつけられるようなものではない。それは大地に自然に生えた樸(あらき)(樹皮のある原木)は小さなものでも名がなく誰の臣(しん)下(か)でもないのと同じだ。もし、諸国の王がこの「道」を尊重するならば、万物は集まってきて祝福し、天地は合体して大地と自然の恵みを甘露のように降らす。そして民衆は大地の恵みを自分たちで等しく均分する。こうして大地が制(くぎ)られ正しい名義ができ、おのおのの限度が自覚される。そうすれば危ないことはなくなる。このように「道」が天下ですべての根源としてはたらく様子は、一つ一つの川や谷が大河と大海の源流であるようなものだ。
道恒無名。樸雖小、天下莫能臣。
侯王若能守之、万物将自賓。天地相合、以降甘露。
民莫之令而自均。始制有名。名亦既有、夫亦將知止。知止所以不殆。
譬道之在天下、猶川谷之与*江海
 *「与」は「於」の意味。
道は恒にして名無きなり。樸(あらき)は小なりと雖も、天下、臣とすること能(あた)う莫(な)し。侯王、もしこれを守ること能はば、万物、将(まさ)に自(おの)ずから賓(ひん)せん。天地は相合して以て甘露を降らさん。民はこれに令(れい)する莫(な)くして自のずから均(ひと)し。始めて制して名有り。名また既(すで)に有れば、それまた将(まさ)に止まるを知らんとす。止まるを知れば殆うからざる所以(ゆえん)なり。道の天下に在(お)けるを譬(たと)うれば、なお川谷の江海に与(お)けるがごとし。


9講 王が私欲をあらわにした場合は「さようなら」(第三七章)

「道」は恒遠な存在であって人が名前をつけられるようなものではない。もし諸国の王がこの「道」を守って勝手なことをしなければ、万物は自(おの)ずから豊かに生ずるだろう。しかし豊かになったところで王が不当な欲を貪れば、その時は、私はそれを鎮めて止めさせるために、無名の樸(あらき)(原木)を示す。自然そのものの樸をみればまさに足るを知ることができる。そして足るを知って静謐さが戻れば、天下はまた自ずから定まっていく。

道恒無名。侯王若能守、万物將自為(下に心)。為(下に心)而欲作、吾將鎮之以無名之樸。無名之樸、夫亦將知足。知足以静、天下將自定。

道は恒にして名無きなり。侯王、もし能(よ)くこれを守らば、万物は将(まさ)に自(おの)ずから為(な)らんとす。為(な)して欲を作(おこ)さば、吾れ将(まさ)に之(これ)を鎮(しず)むるに無名の樸(あらき)を以てす。無名の樸、夫れ亦(ま)た将(まさ)に足るを知らん。足るを知りて以て静かならば、天下は将(まさ)に自ずから定まらんとす。


10講 「無用の用」の経済学(第一一章)

車の三十もある輻(や)(スポーク)が一つの轂(こしき)(ドラム)を共にするが、車の用(はたら)きは轂(こしき)の穴の空無によって支えられている。粘土をこねて陶器をつくるが、内側の空無にこそ器の用(はたら)きがある。戸と窓をあけて室を作るが、内側の空無にこそ室の用(はたら)きがある。「有」なる物の「利」は、実は、その物のもつ「無」の用(はたら)きによっているのである。

三十輻共一轂、當其無有車之用。挺埴以為器、當其無有器之用。鑿戸牖以為室。當其無有室之用。故有之以為利、無之以為用。

三十の輻(や)、一つの轂(こしき)を共にす。其の無なるに当たって、車の用(はたら)きあり。埴(つち)を挺(こ)ねて以て器(うつわ)を為(つく)る。其の無なるに当たって、器の用(はたら)きあり。戸牖(こゆう)を鑿(うが)ちて以て室を為る。其の無なるに当たって、室の用(はたら)きあり。故に有の以て利を為すは、無の以て用(はたら)きを為せばなり。

11講 有(あ)り余(あま)りて有(あ)るを、取りて以て天に奉ぜん(七七章)  

天の道は弓を張るように動く。高く逆反っている弓束(ゆづか)を押し、両弭(はず)を上げる。有り余るものを減らし足らないものに補う。天の道は有り余るものを削って不足のところに補うのである。人の道は往々にして逆で、不足の者から削って余り有る者に奉らせる。有り余って有るものを取り上げて天下公共のものにするために、誰が動くか。それは有道の士だ。有道の士は行動する。しかし、手柄顔をせず、功をあげてもその地位に居座らない。賢明を顕すことはしない。

天之道、其猶張弓也。高者抑之、下者挙之、有餘者損之、不足者補之。
天之道、損有餘而補不足。人之道則不然。損不足以奉有餘。
孰能有餘而有、以取奉於天者、唯有道者乎。
是以聖人為而不恃、功成而不処。其不欲見賢。

天の道は、それ猶弓を張るがごときなり。高き者は之を抑え、下き者は之を挙げ、有り余る者は之を損し、足らざる者は之を補う。天の道は、有り余るを損して、足らざるを補う。人の道は則(すなわ)ち然らず。足らざるを損して以て有り余るに奉ず。孰(だ)れか能く有(あ)り余(あま)りて有(あ)るを、取りて以て天に奉ずるものぞ。唯有道者のみなるか。是を以て聖人は為(な)して恃まず、功(こう)を成して処らず。其れ賢(けん)を見(あら)わすを欲せず。


12講 倫理に欠陥のある人々が倫理を説教する(一八章)

 道義を破壊しておいて仁義を説教し、智恵をつかってこれは偉大な人為であるなどという大嘘をつく。そして親族の中で喧嘩をしていながら孝行(こうこう)を説教し、国家を混乱させておきながら忠臣づらをする。そういう人々がいる。

大道廃、有仁義。智恵出、有大偽。六親不和、有孝慈。国家昏乱、有忠臣。

大道を廃(はい)して仁義(じんぎ)有り。智慧出(いだ)でて大偽(たいぎ)有り。六親和せずして孝慈有り。国家昏乱(こんらん)して忠臣有り。


13講 朝廷は着飾った盗人で一杯で、田は荒れ、倉庫は空っぽ(五三章)

私に一介の士としての知があるとしたら、大道を行って、ただ曲がった道だけを恐れる。大道はこの上なく平坦なのに、民衆は小道を行きたがる。朝廷は掃除は行き届いているが、田は荒れ放題で、倉庫はまるで空っぽである。それにも関わらず、文様と彩りの綺麗な衣服を着飾って見事な剣を腰に帯びた輩(ともがら)は、飲食に飽き、財貨は有り余っている。こういう奴らを盗人(ぬすつと)の親玉というのだ。非道そのものだ。

使我介然有知、行於大道、唯施是畏。大道甚夷、而民好径。
朝甚除、田甚蕪、倉甚虚。服文綵、帶利劒、厭飲食、財貨有餘。是謂盜夸。非道也哉。

我をして介然として知有らしめば、大道を行きて、唯だ施(よこしま)なるを是れ畏(おそ)る。
大道は甚(はなは)だ夷(たいら)かなるに、民は径(こみち)を好む。朝は甚だ除(きよ)きも、田は甚だ蕪(あ)れ、倉は甚だ虚し。文綵(ぶんさい)を服し、利剣(りけん)を帯びたるもの、飲食に厭(あ)き、財貨有り余れり。是を盗夸(とうこ)という。道に非(あら)ざるかな。


14講 民衆が餓(う)えるの税を徒食するもののせいだ(七五章)

民衆が飢えるのは、支配者が税を貪(むさぼ)るからである。だから飢饉が起きる。民衆が不穏で治まらないのは支配者のやり方のせいだ。だから不穏なことが起きる。民衆が死ぬことを軽くみてしまうのは、生が苦しく、先行きに期待せざるをえないからだ。だから死んでもいいと思う。しかし、彼らは生が無であることを覚悟しており、生の幸運をただ尊んでいる人々より、結局は、人として賢明なのだ。

民之飢、以其上食税之多。是以飢。民之不治、以其上之有為。是以不治。民之軽死、以其求生之厚。是以軽死。夫唯無以生為者、是賢於貴生。

民の飢(う)うるは、その上(かみ)の税を食(は)むことの多きを以てなり。是(ここ)を以て飢(う)う。民の治まらざるは、その上(かみ)の為(な)す有るを以てなり。是を以て治まらず。民の死を軽んずるは、その生を求むることの厚きを以てなり。是を以て死を軽んず。夫(そ)れ唯(ただ)生を以て為(な)すこと無き者は、是れ生を貴(たつと)ぶよりも賢(けん)なり。

第三課 平和主義と「やむを得ざる」戦争

 戦国時代の後期、秦の始皇帝の曾祖父・昭王は斬首二万(楚)、斬首二四万(韓・魏)、斬首四万(魏)、斬首一五万(魏)、斬首五万(韓)と戦争で敵国の人々を殺し続け、前二六〇年には趙との戦争で四五万人も殺戮したと伝えられる。これ以外にも戦争は日常の風景であった。この時代の世界で、これだけの戦争による大量死を経験したことは中国の歴史に巨大な影響をあたえた。民衆からでた劉邦が漢帝国を建設し、その漢帝国を巨大な民衆宗教運動、太平道の運動が黄巾の全国一揆を起こして凋落に追い込んだのは、明らかに、この戦争経験の余波である。
 老子の戦争論は、いわゆる平和主義、反戦主義に貫かれている。ただ注意すべきなのは、老子が自衛戦争の必要は否定せず、防衛的なゲリラ戦法の提案をさえしていることである。このような戦争論の基礎に、老子の「死」についての考え方があることも注意しておきたい。というよりも、老子は中国史上ではじめて起きた大量の戦争死を経験するなかで、人間の生死について考えざるをえなかったのであろう。そしてそれが老子の思想が前代の孔子ともっとも異なる点であった。


15講 固くこわばったものは死の影の下にある(第七六章)

 人が生まれたときは柔らかで弱々しいが、死体は筋肉と靱帯が硬直して堅くなる。万物も同様で、草木が生えるときは柔らかでなよなよしているが、死ぬと枯れてかさかさになる。だから、固くこわばったものは死の影の下にあり、柔らかで弱々しいものこそ生の仲間なのだ。ようするに、兵が強くても、ずっと勝ち続けることはできない。木が強ければ伐られて終わってしまうのと同じだ。こうして強大なものが地面の下にいって、柔弱なものが地上に残るのである。

人之生也柔弱、其死也筋肕堅強。万物草木之生也柔脆、其死也枯槁。
故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。
是以兵強則不勝、木強則竟。
強大処下、柔弱処上。

人の生まるるや柔(にゆう)弱(じやく)、その死するや筋肕(きんじん)堅強(けんきよう)。万物草木の生(は)え生(しよう)ずるや柔脆(にゆうぜい)、その死するや枯槁(ここう)。故に堅強なる者は死の徒、柔弱なる者は生の徒なり。ここを以て兵強ければ則ち勝たず、木強ければ則ち竟(お)わる。強大は下に処(お)り、柔弱は上に処る。


16講 戦争の惨禍の原因は架空の欲望を作り出すことにある(第四六章)

 天下に道理があれば、軍用の早馬も田園に戻って耕作を助ける。天下に道理がないと、雌馬までが徴発(ちようはつ)されて、首都近郊の戦陣で子馬を産む。(それだから、天下に道理があれば、実は牛馬も食料も必要な分は足りているのだ)。戦争の罪悪は大きすぎる欲に原因があり、その咎は欲得づくでことにあたることにあり、その禍(うれい)は実は不足などないことを認知しようとしないことにある。それだから、実は足りていることを知っているという余裕こそ、もとも大事な安足なのだ。

天下有道、却走馬以糞、天下無道、戎馬生於郊。
罪莫大於可欲、咎莫大於欲得、禍莫大於不知足。
故知足之足、恒足矣。

天下に道有れば、走馬の却(しりぞ)けられて以て糞(たづく)りし、天下に道無ければ、戎馬(じゅうば)の郊(こう)に生ず。罪は欲すべきより大なるは莫く、咎(とが)は得るを欲するより大なるは莫く、禍(うれい)は足るを知らざるより大なるは莫し。故に足を知るの足るは、恒に足る。


17講 士大夫の職分は武ではない(第六八章)

 士大夫たるものの善(本性)は武の職分ではなく、戦いにおける善は怒りではない。敵に勝つことの善は敵を作らないことである。人と用(はたら)くことの善は人の下に立つことである。これを争わない徳(いきおい)といい、人の力を働かせるといい、人を天のように尊重するという。これは古来から定まっていることである。

善為士者不武、善戦者不怒。善勝敵者不与、善用人者為之下。是謂不争之徳。是謂用人之力、是謂配天、古之極。

士たるの善は武ならず。戦いの善は怒(いかり)にあらず。敵に勝つの善は与(あいて)せざるにあり。人を用(はたら)かすの善はこれが下と為るにあり。これを争わざるの徳(いきおい)と謂い、これを人の力を用(はたら)かすと謂い、これを天に配すと謂う。古(いにしえ)の極なり。


18講 軍隊は不吉な職というほかない(第三一章)

 兵器は不吉な道具であり、その物の気配はつねに禍々しい。だから有道の士はその場にいないようにしたい。だから君子は平時には左の上席にいるが、兵を用いるときはその席を離れて右側の下席に移るようにする。軍隊は不吉な職業であって、本来、君子が関わるべきものではない。ただやむを得ず関わるということはあり、その時は淡々と薄暗い気持ちで、勝っても上手(うま)くいったとも感じない。上手くやったなどという者がいれば、それは殺人を楽しんだということである。殺人を楽しむような者は、世の中で自分の志を得ることはできない。そもそも吉事には左側の席をあて、凶事には右側の席をあてる。副将軍が左にいて、正規の上将軍が右にいるのであるが、これは葬礼の規則と同じように席を決めているのである。敵を多く殺せば悲嘆の気が場に満ち、戦勝はまさに葬礼の場となるのである。

夫兵者不祥之器、物或惡之、故有道者不処。君子居則貴左、用兵則貴右。
兵者不祥之器、非君子之器。不得已而用之、恬淡為上、勝而不美。而美之者、是樂殺人。夫樂殺人者、則不可以得志於天下矣。
吉事尚左、凶事尚右。偏將軍居左、上將軍居右。言以喪礼処之。殺人之衆、以悲哀臨之。戰勝、以喪礼処之。

夫れ兵は不祥(ふしよう)の器(うつわ)にして、物或(つね)にこれ悪(わる)し。故に有道者は処(お)らず。君子、居らば則ち左を貴(たつと)び、兵を用うれば則ち右を貴ぶ。兵は不祥の器にして、君子の器に非ず。已(や)むを得ずしてこれを用うれば、恬(てん)淡(たん)なるを上と為し、勝ちても美(うま)しとせず。もしこれを美しとする者あらば、これ人を殺すを楽しむなり。それ人を殺すを楽しむ者は、則ち以て志(こころざし)を天下に得べからず。吉事は左を尚(たつと)び、凶事には右を尚ぶ。偏(へん)将(しよう)軍(ぐん)は左に居り、上将軍は右に居る。喪礼(そうれい)を以てこれに処るを言うなり。人を殺すこと衆(おお)きには、悲哀を以て之に臨(のぞ)み、戦い勝てば、喪礼を以てこれに処る。


19講 老子の権謀術数ーー「柔よく剛に勝つ」(三六章)

 敵国を抑える必要があるときは、しばらくやりたいようにさせておけ。弱める必要があるときはしばらく強くなる方へ導け。衰えさせようと思えば勢いよくさせ、何かを奪い取る必要があるときは、何かをあたえなければならない。柔弱なものが強硬なものに勝つためには、機微に明らかであることが必要だ。私たちは魚のように川の淵から離れずにいなければならない。国の武器を人に見せびらかすようなことはできないのだ。

將欲歙之、必固姑張之。將欲弱之、必姑強之。將欲廃之、必姑興之。將欲奪之、必姑与之。
是謂微明。柔弱勝剛強。魚不可脱於淵。国之利器、不可以示人。

将(まさ)にこれを歙(おさ)めんと欲(す)れば、必ず姑(しばら)くこれを張る。将にこれを弱めんと欲(す)れば、必ず姑(しばら)くこれを強くす。将にこれを去らんと欲(す)れば、必ず姑(しばら)く興(お)こす。将にこれを奪わんと欲(す)れば、必ず姑(しばら)くこれを与えよ。是れを微明(びめい)と謂う。柔弱は剛強に勝つ。魚は淵より脱すべからず。国の利器は、以て人に示すべからず。

20講  自衛戦争はゲリラ戦法でいく(六九章)

 兵法に、「向こうから仕掛けさせて応戦するだけにし、相手が一寸でも攻めてきたら十倍は退く」という格言がある。進軍していても隊列をみせず、威嚇するけれどもふり挙げた臂はみせず、武装していても兵器はみせず、攻撃しても敵に向き合うことはしないというゲリラ戦法である。国の禍(わざわい)は無敵の軍隊をもってしまうことにある。無敵になると、それは宝を失うのとほとんどかわらない。「兵を出して闘いあうときには、結局、惨酷な目に哀しんだ経験が深い方が勝つ」といわれる通りだ。

用兵有言。吾不敢為主而為客、不敢進寸而退尺。
是謂行無行、攘無臂、執無兵、扔無敵。
禍莫大於無敵、無敵幾喪吾寶。故抗兵相加、哀者勝矣。

兵を用うるに言有り。吾れ敢(あえ)て主と為らずして客と為り、敢て寸を進まずして尺を退く、と。是れを謂うに、行くに行(れつ)なく、攘(かか)ぐるに臂(ひじ)なく、執(と)るに兵なく、扔(むか)うに敵なし、と。禍(わざわい)は無敵なるより大なるはなく、無敵ならば吾寶を喪うに幾(ちか)し。故に兵を抗(あ)げて相(あ)い加(し)かば、哀しむ者勝つ。
 

21講 「死に神」に代わって人を殺す人間はかならず自分を傷つける(七四章)

 民衆が本当に死も畏れないようであれば、どうして死刑によって彼らを脅かすことができようか。民衆が実際には死を畏れながら邪悪な罪を犯すようであれば、私が捉えて殺すほかない。私でなくて誰がしてくれよう。しかし、民衆が本来必ず死を畏れるのは、命を司る死神がいるからである。この大神に代わって殺すというのは、神の匠(たく)みに代わって鉈をふるうようなものだ。神の匠みと競う以上、自分の手を傷つけることは覚悟していなければならない。

若民恒且不畏死、奈何以殺懼之也。
若民恒畏死、而為奇者、吾将得而殺之、夫孰敢矣。
若民恒且必畏死、則恒有司殺者。夫代司殺者殺、是代大匠斵也。夫代大匠斵者、則希不傷其手矣。

若し民(たみ)、恒に且(まさ)に死を畏(おそ)れざれば、奈何(いかん)ぞ殺を以て之を懼(おそ)れしめんや。若し民恒に且つ死を畏れて、而も奇を為す者は、吾将に得て之を殺さんとす。夫れ孰(たれ)か敢(あ)えてせん。若し民恒に且(まさ)に必ず死を畏れんには、則ち恒に殺(さつ)を司どる者有るによる。それ殺を司る者に代わって殺すは、これ大匠に代わって斵(き)ると謂う。夫れ大匠に代わりて斵(き)る者は、その手を傷つけずに有ること希(まれ)なるか。


第四課 帝国と連邦制の理想

 老子の政治思想は、すべて「見果てぬ夢」に終わったが、もし老子の思想が形を取る機会があったとすれば、それはまずは老子の故国、楚国の王と士が老子のいう意味での徳政と世直しを先導し、さらには平和主義と自衛の立場に立つことを抜きにしてはありえなかっただろう。しかし、楚の支配層は、老子の教えに従うことはなかった。この意味で老子の運命は、王に諫言して、結局、汨羅に身を投げて死んだ屈原の運命と似ている。
 もっとも問題が大きかったのは、軍事的な冒険にでて、結局、劉邦に敗北し、楚国を自壊させた項羽の行動であったろう。項羽という人間は楚国の文化的・思想的伝統を破壊し、老子の思想がもっていた可能性を破壊した愚人であったというほかない。
 私は、秦帝国の崩壊過程や、王室の乱脈に象徴される漢帝国のもろさをみれば、楚国の枠組みがより強く残る可能性は十分にあり、状況によっては楚国を基礎とした地方の分権思想が政治思想として発展した姿をみせ、いわゆる中央集権的な「郡県制」という国制に対置される可能性もあったものと考える。普通、中国の国制というと「郡県制」か、それとも周王をいただく「封建制」かという枠組みで議論されるが、そういう枠組み自身が老子の「小国寡民」の思想の破綻の上に展開したものであろうと思う。
 そもそも紀元前後から激しさをましたユーラシアのステップ地帯の民族大移動の流れは、西端のヨーロッパにも、東端の中国にもおよんだ。その結果、ヨーロッパにおいてはゲルマン諸部族の分立に根をおく緩やかな諸国分立の体制、連邦制が形成された。その下でヨーロッパにはきわめて分権的で個々の主従関係に根をおく封建制といわれる社会構造が形成された。中国でも、紀元前後からフン族ー匈奴の動きは激しくなり、三世紀以降には彼らの進出とともに、中国北部には五胡十六国と呼ばれる多民族によって構成される諸国家が興亡した。もし、それまでの若干の間を屈原と老子の国、楚が一応の命脈を維持することができれば中国もヨーロッパのような連邦制的性格を帯びることがなかったとはいえないだろう。少なくとも、歴史の流れと老子の思想が引き継がれる形は大きく変わっていたのではないだろうか。この意味で老子の「小国寡民」の思想を振り返ることは、現在にまで大きな影響を及ぼしている中華帝国という枠組みを相対化する上で大きな意味をもつように思うのである。


22講 理想の王は無限の堪えるべき負担に忙殺される(五九章)

政治に関わって天下公共のために働くとは、まずは控えめにすることだ。これによって人々が信頼してすぐ服(つ)いてきてくれる。人々がすぐ服いてきてくれれば、その徳(いきおい)を重ねて積んでいくことができる。その徳(いきおい)を重ねて積んでいけば、克(たえ)られないことはなくなる。克(たえ)られないことがなくなれば、その徳(いきおい)に極限はない。そして極限がなくなるまで克(たえ)ていって初めて国を守ることができるのだ。国の母のような徳(はたらき)を保つことができれば長く久しくなる。これを四方に根(旁根)を深くはり、主根(柢)を固くするという。そうすれば、長生きをして見るべきものを見ることができる。

治人事天、莫若嗇。夫唯嗇、是以早服。早服、謂之重積徳。重積徳、則無不克。無不克、則莫知其極。莫知其極、可以有国。有国之母、可以長久。
是謂深根固柢。長生久視之道。

人を治(おさ)め天に事(つか)うるは、嗇(しよく)に若(し)くは莫(な)し。夫(そ)れ唯(ただ)嗇(しよく)なり。是(ここ)を以(もつ)て早く服(ふく)す。早く服する、之(これ)を重(かさ)ねて徳を積むと謂(い)う。重ねて徳を積めば、則(すなわ)ち克(たえ)ざる無し。克(たえ)ざる無ければ、則ちその極を知る莫(な)し。その極を知る莫ければ、以て国を有(たも)つべし。国の母を有てば以て長久なるべし。是(こ)れを根を深くし柢を固くすという。長生久視(ちようせいきゆうし)の道なり。


23講 理想の王は雑巾役として国の垢にまみれる(七八章)

 世界でもっとも柔弱なものは水である。強固なものも、水に浸食されれば勝てるものではない。そもそも水はかけがえのないものである。弱いものが強いものに勝ち、柔らかなものが硬いものに勝つことを、実は世の人々は心中では知っている。しかしこれを実際に行う人は稀(ま)れである。これは聖人が「水は、強固なものを浸食し、その穢れや不浄なものを洗い流す。だから、国の垢穢(あかけがれ)を実際に身に受ける人こそ、国の社稷(しゃしょく)の祭祀の主にふさわしく、国の災害(わざわい)を甘んじて身に受ける人こそ、天下の王にふさわしい」といったことに関わってくる。正言というものはつねに根源に立ち返るものだ。

天下莫柔弱於水。而攻堅強者、莫之能勝。以其無以易之。弱之勝強、柔之勝剛、天下莫不知、莫能行。
是以聖人云、受国之垢、是謂社稷主。受国之不祥、是謂天下王。正言若反。

天下に水より柔弱(じゆうじやく)なるは莫(な)し。而(しか)も堅強を攻むる者、之(これ)に能(よ)く勝(まさ)る莫し。その以て之(これ)を易(か)うる無きを以てなり。弱(じやく)の強(きよう)に勝ち、柔(じゆう)の剛(ごう)に勝つは、天下知らざる莫くして、能く行う莫し。是を以て聖人の云く、国の垢(あか)を受く、是(こ)れを社稷(しゃしょく)の主(しゆ)と謂い、国の不祥を受くる、是(こ)れを天下の王と謂う、と。正言は反(かえ)るが若(ごと)し。


24講  万乗の主でありながら世界を軽がろしく扱う(第二六章)

 重いものは軽いものの根本であり、静かなものが騒がしいものの主人である。それゆえに、族長たるものは、人びとと移動するとき、もっとも重たい荷車の手助けをして、一日中、そこから離れなかった。そして、旅宿についても、そばの高楼(こうろう)で遊ぶようなことはせず、そこに営巣している燕と同じように、周囲の騒がしさと無関係に超然としていたものだ。それに対して、最近では、戦車一万輌を擁する大国の主という身でありながら世界を軽がろしく扱うような馬鹿者がいる。これは一体どういうことか。軽がろしければ根本を失い、騒がしければ静清でなければならない君長の地位を失うことになる。

重為軽根、静為躁君。
是以君子、終日行、不離輜重。雖有栄観、燕処超然。奈何万乘之主、而以身軽天下。
軽則失本、躁則失君。

重きは軽きの根たり、静かなるは躁がしきの君たり。是を以て君子は、終日行きて輜(し)重(ちよう)を離れず。栄観有りと雖も、燕処して超然たり。いかんぞ、万乗(ばんじよう)の主(しゆ)にして、しかるに身を以て天下を軽がろしくするを。軽がろしければ則ち本(もと)を失い、躁がしければ則ち君を失う。


25講 肥大した都市文明は人を狂わせる(一二章)

五色の華麗な装飾は人の目をくらませ、五つの音階による賑やかな音楽は人の耳を鈍くし、五つの味による豪勢な料理は人の味覚を麻痺させ、馬を走らせて狩りをすれば人の心は狂う。珍しい財宝は人の行いを壊(こわ)してしまう。それゆえに有道の士の政治は食料などの必需品を十分にすること重視し、見かけのことは考えない。その取捨選択に筋を通すのだ。
五色令人目盲、五音令人耳聾、五味令人口爽。馳騁田獵、令人心發狂。難得之貨、令人行妨。
是以聖人之治也、為腹不為目。故去彼取此。

五色は人の目をして盲(もう)せしめ、五音は人の耳をして聾(ろう)せしめ、五味は人の口をして爽(たが)わしめ、馳騁畋猟(ちていでんりよう)は人の心をして狂を発せしめ、得難きの貨は人の行ないをして妨(そこな)わしむ。是を以て聖人の治たるや、腹の為にして目の為にせず。故に、彼を去(す)てて此れを取る。


26講 平和で柔軟な外交で王を補佐する(第三〇章)

 道理にもとづいて、君主を補佐するものは、武力で世界をおびやかすようなことはしない。それは遅かれ早かれ報復を呼ぶ。軍隊の駐留したところは荊(いばら)や棘(とげ)の木で荒れ、戦争の後には飢餓が続く。外交の「善」(本性)は、相手をいなし、柔らかい手段のみをとって、武力を執らないことだ。もっぱら柔らかく行って、強兵を誇ることなく、攻めようとせず、武に傲(おご)るなどということをしない。柔らかくやむを得ないという態度を基本とし、強兵をもって行動することは絶対にやめる。物ごとの動きは盛んだと衰えるのも早いではないか。それは道理に反し、そういう非道なやり方をすれば早々に滅亡する結果となる。
以道佐人主者、不以兵強天下、其事好還。師之所処、荊棘生焉。大軍之後、必有凶年。
善者果而已、不以取強。果而勿矜、果而勿伐、果而勿驕。果而不得已、果而勿強。
物壯則老。是謂不道。不道早已。
 この末尾の行は楚簡には存在しない。加筆であろう。五五章に同文がある。
道を以て人主(じんしゆ)を佐(たす)くる者は、兵を以て天下に強(し)いず。其の事、還(かえ)るを好む。師(し)の処(お)る所は、荊棘(けいきょく)に生じ、大軍の後は、必ず凶年あり。善きは果(やわら)かなるのみにして、以て強きを取らず。果(やわら)かにして矜(ほこ)ること勿(な)く、果(やわら)かにして伐(ほこ)ること勿く、果(やわら)かにして驕(おご)ること勿きなり。果(やわら)かにして已(や)むを得ずとし、果(やわら)かにして強いること勿かなれ。物は壮なれば則(すなわ)ち老(お)ゆ。是を不道と謂う。不道は早く已(や)む。


27講 大国と小国の連邦においては大国が遜(へりくだ)らねばならない(第六一章)

 大国は大河の下流で天下の交点にいて、いわば寛容な「天下の牝牛」でなければならない。牝(めす)はつねに静かなまま雄(おす)に勝つが、それは静かに雄の下に横たわるからだ。だから、大国が小国にへりくだれば大国は小国の信頼を得るし、小国が大国にへりくだれば小国も大国の保障を得ることができる。一方は下って取り、他方は下りながらも取る訳だ。大国は同盟する味方を増やし、小国は大国の傘下に入るという連邦の関係である。こうして両方がそれぞれの必要を得ることができるが、そのためには、まず大国が遜(へりくだ)ることだ。
大国者下流、天下之交、天下之牝。牝恒以静勝牡、以静為下。
故大国以下小国、則取小国、小国以下大国、則取大国。故或下以取、或下而取。
大国不過欲兼畜人、小国不過欲入事人。
夫兩者各得其所欲、大者宜為下。
大国は下流なり。天下の交なり、天下の牝なり。牝は恒に静を以て牡に勝つ。その静を以て故に下るを為せばなり。故に大国は以て小国に下らば則ち小国を取り、小国は以て大国に下らば則ち大国を取る。故に或いは下りて以て取り、或は下りて而も取る。大国は人を兼ね畜わんと欲するに過ぎず、小国は入りて人に事(つか)えんと欲するに過ぎず。それ兩者は各おのその欲する所を得ん。大なる者、宜しく下るを為すべし。


28講 小国寡民。人はそんなに多くの人と群れなくてもよい(八〇章)

 国は小さくて人は少ない方がよい。人力の十倍・百倍の器械があっても用いず、人は死を怖れ、遠くへ移ることなどはなく静かに生きる国である。船や車に多くの人が乗って動くことはなく、ましてや甲冑や武具を並べて陣をはるようなことはしない。そこでは、面倒な書類はいらない。縄を結んで数を数えていた昔でも、社会は成り立っていたのだ。住んでいる土地のものを甘(うま)いといい、土地の服を美しいといい、その住処に休まって、その慣わしを楽しむ。隣邦はすぐそばで、鶏は競って鳴き、犬は吠えて群れるのが聞こえるだろう。しかし、人は老成して死ぬまで、そんなに多くの人と行き来して群れなくてもよいのだ。

小国寡民。使有十百之器而不用、使民重死而不遠徙。雖有舟輿、無所乘之、雖有甲兵、無所陳之。使民復結縄而用之。
甘其食、美其服、安其居、楽其俗。隣国相望、鶏犬之声相聞、民至老死、不相往來。

小国寡民(かみん)。十百の器有るも用いざらしめ、民をして死を重んじて遠徙(えんし)せざらしむ。舟輿(しゆうよ)有りと雖(いえど)も、これに乗る所無く、甲兵有りと雖(いえど)も、これを陳(つら)ぬる所無し。民をして復(ま)た縄(なわ)を結びて之(これ)を用いしむ。その食を甘(うま)しとし、その服を美(よ)しとし、その居(きよ)に安(やす)んじ、その俗(ぞく)を楽しむ。隣国相(あ)い望(のぞ)み、鶏犬の声相(あ)い聞こゆるも、民の老死に至るまで、相(あ)い往来(おうらい)せず。

第二部 星空と神話と「士」の実践哲学

第一課 宇宙の生成と「道」

 湯川秀樹やニールス・ボーアのような現代の物理学者は『老子』に宇宙論を見る。『史記』の老子伝には老子は「史」であったという伝承があるが、この「史」とは、年代記を書くための暦の必要から、天文の観察をも行っていた役人たちのことである。彼らによる天文の観察が老子をふくむ「道学者」たちの学問の基礎となった(浅野裕一『古代中国の宇宙論』岩波書店、二〇〇六)。
 これと対比すると、孔子の『論語』には宇宙論はない。そもそも孔子は神官階級の出身であるにもかかわらず、神話も語らず、宇宙を語ることもない。これは孔子が神話を知らず、星空に祈祷しなかったということではない。彼にとってそれらは詩篇を朗唱し、楽を奏でる儀礼の対象だったのであって語るべきことではなかったのであろう。
 老子は、すでにそのような境域には生きていない。もちろん、老子はいわゆる無神論者あるいは唯物論者ではなく、神秘的なものの実在を信じていた。しかし、老子は、宇宙と神話を語り、それを詩として文芸化する。ここに哲学が生まれた。


29講 混沌が星雲のように周行して天地が生まれる(第二五章)

 物が混沌とした渦のように天地よりも先に生じていた。周囲はまったくの寂寥(せきりよう)である。独立して他に依存せず、ゆったりと周って危なげがない。それは天地を生む巨大な母のようである。私は、この原初の混沌たる物を正しく名づけることはできないので「道(みち)」と呼ぶことにする。強いて名をあたえれば「大(無限)」であろうか。この「大」が筮(きざし)(兆(きざし))によって軌道を描きはじめ、遠(とお)くまで逝(ゆ)き、遠くから反(かえ)ってくる。つまり「道」は「大(無限)」であり、それが描き出した天も無限大であり、地も無限大であって、それを一望の下にする王も、やはり無限大である。私たちの棲むこの宙域(ちゆういき)は、この四つの無限大からなっており、王はその一極を占めるのである。人はみな王であるから地を法とし、地は天を法とし、天は道を法とする。そして道は自然の運命の法である。

有物混成、先天地生。寂兮寥兮、独立不依、周行而不殆。可以為天地母。
吾不知其名、字之曰道。強為之名曰大。大曰筮、逝曰遠、遠曰反。
故道大、天大、地大、王亦大。域中有四大、而王居其一焉。
人法地、地法天、天法道、道法自然。

物有り混成し、天地に先だちて生ず。寂(せき)たり寥(りょう)たり、独立して依らず、周行して殆(あゆう)からず。以て天地の母たるべし。吾れ其の名を知らざるも、之に字(あざな)して道と曰(い)う。強(あなが)ちに名を付さば大と曰うべきか。大はここに筮(きざ)し、逝きてここに遠(とお)く、遠くしてここに反(かえ)る。故に道は大、天も大、地は大、王も亦(ま)た大。域中に四大有りて、王、其の一に居る。人は地に法(のっと)り、地は天に法(のっと)り、天は道に法(のっと)り、道は自然に法(のっと)る。


30講 和光同塵の宇宙に天帝よりも前からいるのは誰か(第四章)

「道」は無があるから働き、その無は満ちることはない。そこに開く深淵こそが万物が生まれ出る場である。「道」の力は、天空の鋭く動く光をくじき、密集した星雲を分けほどき、遍満する光を和らげ、塵のように細かなものまで及んでいく。天は満々たる水のように静かだ。この永遠を見ている私が誰の子であるのかは知らない。しかし、人がいう天帝などよりも前からいたのだ。

道沖而用之、或不盈。淵兮似万物之宗。挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。湛兮似或存。
吾不知誰之子。象帝之先。

道は冲(むな)しくして之に用(はたら)くも、或(つね)に盈たず。淵(えん)として万物の宗に似たり。その鋭を挫(くじ)き、其の紛(ふん)を解き、その光を和らげ、その塵(ちり)に同ず。湛(たん)として或に存するに似たり。吾れ、誰の子なるかを知らず、帝の先に象(に)たり。


31講 内面の和光同塵ー長きにわたる誤解(第五六章)

 言葉にできる知は浅く、深い知は言葉にできい。まず身体の孔をふさぎ、目と口を閉じ、外界の光りを弱め、自分を塵のように軽くし、鋭さを消し、紛(むすぼ)れたものを解くのだ。そうすれば、すべては同じという直覚がやってくる。この覚りは人との親疎を超え、利害も超え、貴賤とも関係ない。天の下では誰もが同じで誰もが貴といことが分かってくる。

 The intellect that can be expressed in words is shallow, and there is no word that can express deep intelligence. They close the pores in their bodies, close their eyes and mouths, reduce the light of the outside world, lighten themselves like dust, lessen their sharpness, and unravel what is (RUMBLE). Then you get the sense that everything is the same. This awakening transcends kinship with people, transcends interests, and has nothing to do with people of all ages. In heaven, everyone is the same and everyone knows that they are noble.

知者不言、言者不知。
塞其孔、閉其門、和其光、同其塵、挫其鋭、解其紛。是謂玄同。
故不可得而親、不可得而疎。不可得而利、不可得而害。不可得而貴、不可得而賤。故為天下貴。

知は言ならず、言は知ならず。その孔(あな)を塞(ふさ)ぎ、その門を閉ざし、その光を和(やわ)らげ、その塵(ちり)に同(どう)じ、その鋭(する)どきを挫(くじ)き、その紛を解く。是を玄同と謂う。故に、得て親しむべからず、得て疎(うとん)ずべからず。得て利すべからず、得て害すべからず。得て貴ぶべからず、得て賤しむべからず。故に、天下の貴となる。


32講 知とは五感を超えるものの中に「道」を見ることにある(第一四章)

 目をこらしても見えないほど微(かすか)で、耳をすましても聞こえないほど希(とお)く、捪(な)でさすっても感じないほど夷(たいら)なもの。この目にみえない「道」が混沌として一体になって世界を貫いている。その上下も遠近もなく絡まった透明な縄は天網のように広がって、名をもたず物の気配もない世界に戻っていく。その運動は状(かたち)の無い状(かたち)、あるいは物の無い象(イメージ)である。これを惚恍(ほのかで無形)という。追いかけても後(しりえ)をみることはできないし、前から出迎えても首(あたま)を見ることはできない。しかし、それをつかんで、現在の現実に立脚し、その歴史を知ること、それが「道」を体得する糸口となる。

視之而不見、名之曰微。聴之而不聞、名之曰希。捪之而不得、名之曰夷。三者不可致詰、故混而為一。一者、其上不悠、其下不忽。縄縄乎不可名也。復帰於無物。是謂無状之状、無物之象。是謂惚恍。随而不見其後、迎而不見其首。執今之道、以御今之有、以知古始。是謂道紀。

之を視れども見えず、名づけて微(び)と曰う。之を聴けども聞こえず、名づけて希(き)と曰う。之を捪(なづ)れども得ず、名づけて夷(い)と曰う。三者は、致詰(ちきつ)すべからず、故に混じて一と為す。一なるものは、その上は悠(とお)からず、その下は忽(ちか)からず、縄縄として名づくべからずして、無物に復帰す。これを無状の状、無物の象と謂う。これを惚恍と謂う。随いてその後(しりえ)を見ず、迎えてその首(あたま)を見ず。今の道を執りて、以て今の有を御(ぎょ)し、以て古(いにしえ)の始めを知らん。是れを道紀と謂う。


33講 道は左右に揺れて変化し、万物はそれにつれて生まれる(三四章)

「道」は左右に大きく揺れて動いてゆく。万物は「道」を頼って生まれるが、「道」はそれに干渉することはない。造化の功が成就しても、「道」は無名のままであり、万物を育くんでも、その主とはならない。つねに欲は無いから「道」は無限に小さいのだが、万物が戻ってきても、その主とならないのは逆に「道」が無限に大きいからだ。有道の士が大なるものと成りうるのも、自分を大としないからである。それで大きくなっていく。

道汎兮、其可左右。万物恃之而生而不治。功成不名有、衣養万物而不為主。恒無欲、可名於小。万物帰焉而不為主、可名於大。
是以聖人之能成大也、以其不為大也。故能成大。

道は汎として其れ左右すべし。万物は之を恃(たの)みて生ずるも治せず。功成りて名を有せず。万物を衣養して主と為らず。恒に無欲なれば、小と名づくべし。万物、焉(これ)に帰して主と為らず。名づけて、大と為すべし。是をもって聖人の能く大を成すや、其れ大と為さざるを以て也。故に能く其の大を成す。


34講 天の網は大きくて目が粗いが、人間の決断をみている(第七三章)

 普通の考え方とは違って、敢えて動く勇気が死をまねくことは多い。同じことだが敢えて動かない勇気が活をもたらすこともあるのだ。しかし、動くか動かないか、この両つにはどちらの場合も利があったり害があったりする。天が悪とするのが何かは誰にもわからない。天道(てんどう)は、争わないで善なる本性にそって進むものを助け、不言のまま善にそって素直なのに応(こた)え、求めないもののところに来て、坦然として善なるもののために計らう。天道の網は広大で目が粗いが、そこから漏れるものはない。

勇於敢則殺、勇於不敢則活。此兩者、或利或害。天之所惡、孰知其故。
天之道、不争而善勝、不言而善應、不召而自來、坦然而善謀。天網恢恢、疎而不漏。

敢えてするに勇なるものは則ち殺か。敢えてせざるに勇なるものは則ち活か。此の両つは、或いは利あり、或いは害なるも、天の悪とする所は、孰(たれ)かその故を知らん。天の道は、争わずして善なるを勝たせ、言わずして善なるに応じ、召(まね)かざるに自(おのずか)ら来り、坦然(たんぜん)として善なるに謀(はか)らう。天網(てんもう)恢恢(かいかい)、疎にして漏らさず。


35講 老子はギリシャのソフィスト、ゼノンにあたるか?(第四五章)

 大成しているものも欠けるところがあるように見えるが、(その隙があるからこそ)その働きが尽きることはない。満ち足りているものも空しいところがあるように見えるが、(その隙があるからこそ)その働きは窮まることがない。長大な直線はどこか曲がっており、本当に巧みなものは拙(つた)ないままのところを残しており、雄弁は訥々としているように聞こえる。動作を躁(さわが)しくすれば寒さは防げるが、静かにしていれば動かなくても熱さに勝つことはができる。淸く静かなことこそが世界の真ん中にあるのだ。

大成若欠、其用不弊。大盈若冲、其用不窮。大直若屈、大巧若拙、大弁若訥。
躁勝寒、静勝熱。淸静為天下正。

大成(たいせい)も欠くるが若くして、その用(はたらき)は弊(つ)きず。大盈(たいえい)も冲(むな)しきが若くして、その用(はたらき)は窮(きわ)まらず。大直(たいちよく)も屈するが若く、大巧(たいこう)も拙(つた)なきが若く、大弁(たいべん)も訥(とつ)なるが若し。躁(そう)は寒に勝ち、静(せい)は熱に勝つ。清静(せいせい)は天下の正たり。

第二課 女神と鬼神の神話、その行方

 『論語』(述而)に「子、怪力乱神を語らず」(先生は怪異な力や鬼神について語らなかった)とある。これをもって孔子は合理主義者であったといわれることも多い。しかし、孔子はそもそも神職者であって、王権の「天」の祭祀においては神秘と神話の中にいた。浅野裕一がこの言葉は孔子が民間の鬼神祭祀を邪教視していたことを意味するに過ぎないというしたのに賛成したい(浅野裕一『老子と上天』ぷねうま社)。
 老子は中国の南部、楚国の出身だが、楚国は神話に豊かな国であった。王を諫めて汨羅(べきら)に身を投げて死んだことで有名な屈原の『楚辞』は、中国神話をまとまった形でよく伝えているが、屈原の生存年代は、本書で想定した老子の生存年代よりも少し前にあたる。老子は屈原に同情的な立場をとっていたに違いない。私は老子の立場が、鬼神の尊重を社会秩序の基本に据えようとした墨子(前四五〇頃~三九〇頃)に近いのではないかと思う。そして、こういう老子の思想こそが、神話的な鬼神が道教の民俗的な神々に変身していく原点であったのであろう。ただ、老子の神話的な神の中心に女神がいたことは、孔子とも、そして墨子とも異なっているようにみえる。


36講 星々を産む宇宙の女神の衆妙の門(第一章)

 普通に行く道と、ここでいう「恒なる道」はまったく違うものだ。普通に名づけることができる名と、ここでいう「恒なる名」もまったく違う。宇宙における万物の始めの段階では、混沌としたものには「恒なる名」はないが、そこに登場した万物を産む母が、物に形をあたえ「恒なる名」をあたえる。同じように、「恒なる道」には最初は「欲」がなく、その様子は微かに渺々(びょうびょう)としているが、「恒なる道」が「欲」を含めば物ごとが曒(あきらか)にみえるようになる。この「恒なる道」と「恒なる名」は同じ場をもち、字は違うが同じ意味である。この二つの黒く奥深い神秘がつながるのが万物が産まれる衆妙の門である。

道可道也、非恒道也。名可名也、非恒名也。
無名、万物之始也。有名、万物之母也。
故恒無欲也、以観其眇。恒有欲也、以観其所曒。
兩者同出、異名同謂。玄之又玄、衆妙之門。

道の道(ゆ)くべきは、恒なる道に非(あら)ざるなり。名の名づくべきは、恒なる名に非ざるなり。名無きは万物の始めなり。名有るは万物の母なり。故に恒なるものに欲無くんば、観(み)るに以てそれ眇なり。恒なるものに欲有るにいたれば、観るに以てそのところ曒(あきらか)なり。両者は同じく出でて、名を異にするも謂うところ同じ。玄(げん)のまた玄、衆妙の門なり。


37講 谷の神の女陰は天地の根源である(第六章)

 谷にいる不死の女神は巨大な玄(くろ)い雌牛の姿をしている。その陰門は谷の奥に開いて天地を生み出す。嫋(たお)やかで精妙な、その用(はたら)きはいつまでも尽きることがない。

谷神不死、是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地之根。綿々若存、用之不勤

谷神(こくしん)は死せず、是れを玄牝(げんぴん)と謂う。玄牝の門、是れを天地の根と謂う。綿々(めんめん)と存するが若く、用(はたら)きて勤(つ)きず。


38講 世に「道」があれば鬼神も人を傷つけない。(六〇章)

 大国の政治は、小魚(こざかな)を損なわずに煮るのと同じで少しでも人を傷つけないようにしなければならない。世の中に正しい「道」を通すことができれば、鬼は神の荒々しい力を失う。鬼が神でなくなったということではないが、神は人を傷つける力をなくすのだ。神が人を傷つける力をなくすのみではない。有道の士の政治自体も決して人を傷つけるものであってはならない。こうして鬼神の動く冥界でも、有道の士の動くこの世でも人が傷つくことが無くなれば、その徳(いきおい)は二重になって人々を益するだろう。

治大国若烹小鮮。
以道莅天下、其鬼不神。非其鬼不神、其神不傷人。非其神不傷人、聖人亦不傷人。夫兩不相傷、故徳交帰焉。

大国を治むるは、小鮮(しようせん)を烹(に)るが若(ごと)し。道を以て天下に莅(のぞ)まば、その鬼、神ならず。その鬼、神ならざるに非(あら)ざれども、その神、人を傷(そこな)わざるなり。その神、人を傷(そこな)わざるのみには非ず、聖人も亦(また)人を傷わざるなり。夫(そ)れ両(ふた)つながら相傷わず、故にその徳(いきおい)交々(こもごも)に帰す。


39講 天下は壺の形をした神器である(第二九章)

 天下を取ろうなどと思い込めば、我々は、それが不可能なことを思い知らされるだけだ。世の中は神秘な壺のなかに入っているようなものだ。この器は人の手におえるようなものではない。無理に扱えば壊れてしまうし、手に取った途端にそれを失う。この器物には生きた気があり、先に行ったり後になったり、熱くなったり冷えたり、強かったり脆かったり、部厚くなったり落っこちて毀れたりする。有道の士は、その扱いを乱暴にせず、奢らず、偉そうにしない。

將欲取天下而為之、吾見其不得已。天下神器、不可為也。為者敗之、執者失之。故物或行或隨、或熱或吹、或強或羸、或培或堕。是以聖人去甚、去奢、去泰。

将に天下を取らんと欲して之を為さば、吾、その得ざるを見る已(のみ)。天下は神器(じんき)なり、為(な)すべからざるなり。為す者はこれを敗(やぶ)り、執(と)る者はこれを失う。故に物は、あるいは行き、あるいは随い、あるいは熱し、あるいは吹き、あるいは強く、あるいは羸(よわ)く、あるいは培(つち)かい、あるいは落とす。是を以て聖人は、甚(じん)を去り、奢(しや)を去り、泰(たい)を去る。


40講 暖気を胸に抱き、背に陰を負い、我らともに声をあわせん(四〇・四二章)。

 戻ってくるのが「道」の動き方であり、柔弱なのが「道」の用き方である。天下の万物は「有」が形をとって生まれるが、その「有」は「無」から生じてくる。道から初めの「一」なる「有」が生じ、一は二になり、二が三になって急速に万物が形をとる。万物は、日陰(「陰」)を背中に負い、日向(「陽」)を胸に抱いて立ち、重荷を負い暖かさを胸に抱いて、活発に動く気配によって声を和(あわ)せようとしている。だから、人は孤(みなしご)であり、寡(やもめ)であり、僕(しもべ)であることを憎むのだ。王侯が自分のことをそう称するのは、その自覚があるのだろう。そもそも、物の気配は、損じて益になることもあれば、逆に益が損となることもあるものだ。これについて人はいろいろと教訓するが、私も一言しておこう。「強すぎるものは、よい死に方をしない」と。私はこれを教えの始めとしたい。

反者道之動、弱者道之用。天下万物生於有、有生於無。
道生一、一生二、二生三、三生万物。万物負陰而抱陽、沖気以為和。
人之所惡、唯孤・寡・不穀。而王公以為称。
故物或損之而益、或益之而損。人之所敎、我亦敎之。強梁者不得其死。吾將以為敎父。

反は道の動、弱は道の用なり。天下万物は有より生じ、有は無より生ず。道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。物は陰を負いて陽を抱き、沖気もって和を為す。人の悪(にく)む所は、唯だ孤(みなしご)・寡(やもめ)・不穀(しもべ)なり。而して王公は以て称と為す。故に物は或いはこれを損じて益し、或いはこれを益して損ず。人の教うる所は、我も亦たこれを教えん。強梁なる者は其の死を得ず。吾れ将に以て教えの父(はじめ)と為さんとす。

41講 一なる矛盾を胸に抱いて進め(第二二章)

 曲っている木は切られない。屈まれば前に伸びる力がたまる。窪みには水が盈(み)ちてくるし、古くなれば新しくなるものだ。少なければ増えていくし、多いのは迷いのもととなる。有道の士は、この矛盾する「一」を胸に抱いて、世の中の牧師となる。自分の見解だけで見ないから明(あか)るく、自分の判断だけを是としないから彰(あきら)かである。また自分の戦術だけで闘かわないから功を達成し、自分を過信しないから長所を見る。こうして争わないと悟れば、世界は争いではない姿をみせる。古い諺には「曲なれば則ち全し」とある。これは嘘ではない。私たちは本当に真っ当になって、世界に戻っていかねばならない。

曲則全、枉則直、窪則盈、敝則新、少則得、多則惑。
是以聖人抱一、為天下牧。不自見故明、不自是故彰、不自伐故有功、不自矜故長。
夫唯不争、故天下莫能与之争。古之所謂曲則全者、豈虚言哉。誠全而帰之。

曲なれば則(すなわ)ち全(まつた)く、枉(かが)まれば則ち直し。窪(くぼ)めば則ち盈たし、敝(やぶ)るれば則ち新たなり。少なければ則ち得、多ければ則ち惑う。是を以て聖人は一を抱(いだ)きて、天下の牧(ぼく)と為る。自見せざる故に明(めい)、自是せざる故に彰(しよう)。自伐(じばつ)せざる故に功有り。自矜(じきん)せざる故に長し。夫れ唯だ争わず、故に天下能(よ)く之と争う莫し。古(いにしえ)の謂うところ、曲なれば則ち全しとは、豈(あ)に虚(きよ)言(げん)ならんや。誠に全くして之に帰す。

第三課 「士」の矜持と道と徳の哲学

天に逆らふときは則ち道无し。地に逆らふときは則ち徳无し。本居(ほんきよ)を外に逃げ走て根の国に没落す。情を天地に斉(ひと)しくして、想(おもい)を風雲に乗するは道に従ふの本たり。神を守るの要たり(『類聚神祇本源』神道玄義篇)。
 この「道」を「天」、「徳」を「地」に当てはめる日本の伊勢神道の書の一節は老子の思想を下敷きにしたものである。現代日本で「道徳」教育などというのは、儒教のいう倫理規範としての「道徳」であるが、ここにみるように、本来、「道」と「徳」はもっとニュアンスの豊かな言葉なのである。
 「士」とは、中国の春秋戦国時代に王や上級貴族の家柄の下にいた、中下級の貴族や官吏の身分をいう。彼らは徐々に地位を上昇させて文武の職能をもって統治の責任を受け持つ身分として確立した。これが東アジアの「士」の時代の開始であって、日本の武士もその一つである。そして、東アジアを通じて、士は、天地・宇宙に対峙し、神を守って、この地上において民を代表するべきものであった。そして、東アジアにおいてもっとも正統な国家思想が儒教であったことは疑えないが、しかし、『老子』の思想は、実は、一貫して「士」の心情の根本を体現するものでありつづけたように思う。


42講 希(とお)くの声をしるべにして道を行く(二三章)

 世界には、どこか遠くからの声がずっと響き続けている。朝のつむじ風は昼まで続くことはない。暴風雨も日をこえて続くことはない。誰がこれをしているのだろう。天地でさえこれほど久しく続くことはないのではないか。況んや人ができることではない。私たちはその告げることに従って道にある者は道と一体になることができる。あるいはこの声の徳(いきおい)をうけ容れれば徳(いきおい)を同じにすることができる。ただ、もしこの声が聞こえなくなると、人は喪失と絶望の運命をたどることになる。その徳(いきおい)にふれていれば道はまだ徳(はたら)くが、そうでなければその人は道を完全に失なってしまうのだ。

希言自然。飄風不終朝、暴雨不終日。孰為此。天地尚不能久、而況於人乎。
故従事而道者、同於道、徳者同於徳。失者同於失。
同於徳者、道亦徳之、同於失者、道亦失之。

希言(きげん)は自ずから然(しか)る。飄風(ひようふう)は朝(あさ)を終えず、暴雨(ぼうう)は日を終えず。孰(だれ)れか此れをなすや。天地すら尚(なお)久しきこと能(あた)わず、而(しか)して況(いわ)んや人に於(お)いてをや。故(ゆえ)に事に従いて道なる者は、道に同(どう)じ、徳なる者は、徳(いきおい)に同じ、失(しつ)なる者は、失に同ず。徳に同ずる者には、道もまた徳(はたら)き、失に同ずる者は、道もまた之を失う。

43講 士の「徳」は「道」を実践すること(四一章)

 上等な士は、「道」を聞けば全力で実践する。中等の士はよくわからず半信半疑で、士で最悪のものは馬鹿にして笑い出す。逆にいえば彼らが笑わないようでは「道」とはいえないのかもしれない。諺にも、明るい道は暗いように、前進の道は退(ひ)いていくように、夷(たいら)な道は入り組んでいるように見えるとある。そして「道」を実践する「徳」も、最善の徳は谷のように空虚に見え、真っ白な徳は薄汚れて見え、寛容な徳は考えが足らないようにみえ、確固とした徳は俄仕立てにみえ、質真な徳は変わり身が早いだけにみえる。巨大な四角形は角がないかのようで、大きい器はまとまりにくく、大きすぎる音は耳に聞こえず、巨大な象(かたち)は形がないようだ。「道」は隠れていて名のないものであるが、その善なる本性の徳(はたらき)は万物の命に勢いを施(ほどこ)し、それを達成させるものなのだ。

上士聞道、勤而行之。中士聞道、若存若亡。下士聞道、大笑之。不笑、不足以為道。故建言有之。
明道若昧、進道若退、夷道若纇(らい)。
上徳若谷、大白若辱、廣徳若不足、建徳若偸、質真若渝。
大方無隅、大器晩成。大音希聲、大象無形。道隠無名、夫唯道善貸且成。

上士(じょうし)は道を聞かば、勤(つと)めて之(これ)を行う。中士(ちゅうし)は道を聞かば、存(あ)るが若(ごと)く亡(な)きが若し。下士(かし)は道を聞かば、大いに之(これ)を笑う。笑わざれば以て道と為すに足らざるか。故に建言(けんげん)に之(これ)有り。明道(めいどう)は昧(くら)きが若く、進道(しんどう)は退(しりぞ)くが若く、夷道(いどう)は纇(もつ)れたるが若し。上徳は谷の若く、大白(たいはく)は辱(けが)れたるが若く、広徳は足らざるが若し。建徳は偸(かりそめ)なるが若く、質真(しつしん)は渝(かわ)るが若し。大方(たいほう)は隅(かど)無く、大器は成ること晩(おそ)く。大音は希声(きせい)、大象(たいしょう)は無形なり。道は隠れて名無し。夫(そ)れ唯(た)だ道の善は貸(ほどこし)し且(か)つ成すことにあり。

44講 実践の指針、無為・無事・無味の「徳」(六三章)

無為を為し、無事を事とし、無味を味わう。小さいものを大事にし、少ないものに多くをあたえ、怨みには徳で柔らかく行くほかない。仕事はやさしく見えることの中に困難を見届け、それが小さいうちに向き合うようにしたい。世の中の困難は容易にみえることに根ざしており、大問題は些細なことに宿っている。有道の士は終局にまで大事を残すことはしないから、大事を解決することができるのだ。安請け合いすれば言葉の信(まこと)と誠実さはなくなり、安易に考えていると困難に圧倒される。有道の士は社会の困難をよく知って、それに早くから向き合うように努める。

為無為、事無事、味無味。大小多少、報怨以徳、図難於其易、為大於其細。
天下難事必作於易、天下大事必作於細。是以聖人終不為大、故能成其大。
夫軽諾必寡信、多易必多難。是以聖人猶難之、故終無難矣。

無為(むい)を為し、無事を事として、無味を味わう。小を大とし少を多とし、怨みに報ゆるに徳(はたら)きを以てす。難きをその易(やす)きに図り、大なるをその細(ちい)さきに為す。
天下の難事は必ず易きより作り、天下の大事は、必ず細さきより作る。是を以て聖人は終に大を為さず、故に能くその大を為す。夫れ軽がるしく諾せば必ず信寡(すく)なく、易しとすること多からば必ず難きこと多し。是を以て聖人は、猶お之を難しとす。故に終に難きこと無し。


45講 「仁・義・礼」などと声高にいうのは愚の骨頂だ(第三八章)

 「道」から発した最上の「徳(いきおい)」(上徳)は徳(はたらき)がないようにみえて大きな徳(いきおい)があり、そうでない「下徳」は徳(はたらき)を失っていないようだが実は徳(いきおい)がなくなっている。「上徳」は無為に構えていて最後まで無為のままでうまくいくが、「下徳」は逆であって、自分で作為して、それを必然の行動だといいだすものだ。ところが「仁(じん)」というものは「上仁」であっても、「いつくしみ(=仁)」をなしたといっても実際には何も為(し)ていない。また「義(ぎ)」というものは「上義」であっても「ただしい(=義)」のは言葉だけで、やることはやったんだと居直るための口実になっている。さらに「礼」と称するものになると、「うやうやしく」儀礼を行って、人をうながすのだが、相手が打算通りに応じないと腕まくりをして詰めよっていくということになる。要するに、「道」を失った世界に「徳」が残り、「徳」を失った世界に「仁」が生まれ、「仁」が消えると「義」がつっぱり、「義」もなくなると「礼」がしゃしゃり出るという訳だ。この最後の「礼」がもっとも問題で、これによってまっとうな「信」がなくなり、乱離が始まっていく。また前もってものごとを知るというのは「道」の洞察では大事なことだが、しかし実際には占いに頼るような愚かさの始まりでもある。こういう状況をみていると、大丈夫(だいじようぶ)というべき人物にとっては、部厚く構えて軽薄には動かず、実際を大事にして見かけの華々しさは無視することが大事になってくる。その取捨選択に筋を通さなければならない。

上徳、不徳是以有徳。下徳、不失徳是以無徳。上徳、無為而無以為。
上仁、為之而無以為。上義、為之而有以為。上礼、為之而莫之應、則攘臂而扔之。
故失道而後徳、失徳而後仁、失仁而後義、失義而後礼。
夫礼者、忠信之薄而乱之首。前識者、道之華而愚之始。
是以大丈夫、処其厚不居其薄、処其実不居其華。故去彼取此。

上徳は、徳ならずして是(ここ)を以て徳あり。下徳は、徳を失わずして是を以て徳なし。上徳は、無為にし而(て)、以て為すこと無し。下徳は、之(これ)を為し而(て)、以て為すありとす。上仁は、之を為し而(て)、以て為すことなし。上義は之を為し而(て)、以て為すありとす。上礼は之を為し而(て)、之に応ずる莫(な)くんば、則(すなわ)ち臂(ひじ)を攘げ而(て)、之に扔(むか)う。故に道を失い而(て)、後に徳あり、徳を失い而(て)、後に仁あり、仁を失い而(て)、後に義あり、義を失い而(て)、後に礼あり。夫(そ)れ礼なる者は、忠信の薄きにし而(て)、乱の首(はじめ)なり。前識なる者は、道の華(はな)にし而(て)、愚の始めなり。是を以て大丈夫は、その厚きに処(お)りて、その薄きに居らず、其の実(じつ)に処りて其の華に居らず。故に彼れを去(す)てて此(これ)を取る。


46講 玄徳は女の徳との合一を理想とする(五一章)

 「道」が生じさせ、「徳(いきおい)」がそれを畜(やしな)い、物の気が形を作り、器となってそれを育てる。だから万物は「道」を尊とび、「徳」を貴ぶのだ。「道」と「徳」が尊いのは、その地位は任命されたものではなく、恒に永遠に存在する自然のようである。ようするに「道」は最初に生じさせるが、「徳」こそがその命を畜(か)い、大きく育てて、安定させ成熟させ、養護し覆(かば)うのである。しかも「徳」は、生みだしても私有せず、為(し)てやっても恩にきせず、成長させても支配しようとしない。だからこれを神秘な玄徳と謂うのである。

道生之、徳畜之、物形之、器成之。是以万物尊道而貴徳。道之尊、徳之貴、夫莫之爵恒自然。故道生之、徳畜之、長之育之、成之熟之、養之覆之。生而不有、為而不恃、長而不宰、是謂玄徳。

道、之(これ)を生じ、徳、之(これ)を畜(やしな)い、物、之(これ)を形づくり、器、之(これ)を成す。是を以て万物は道を尊び徳を貴ぶ。道の尊きと徳の尊きは、夫れ、これを爵するもの莫くして、恒に自然なればなり。故に、道、之(これ)を生じ、徳、之(これ)を畜い、之(これ)を長じ、之(これ)を育て、之(これ)を成(な)し、之(これ)を熟(じゆく)し、之(これ)を養い、之(これ)を覆(かば)う。生じて有せず、為すも恃まず、長ずるも宰たらず。是を玄徳と謂う。


47講 契約の信は求めるが、書類を突きつけて人を責めることはしない(七九章)

 深く大きな怨恨をなだめようとすることは、必ず別の怨(うら)みの感情を引き起こす。それは決して善ではない。それだから有道の士は契約にもとづく根拠のある主張は続けるが、割符の半分を突きつけて人を責めるようなことはしない。諺(ことわざ)に徳のあるものは契約を尊重するが、徳のないものは人から無理矢理に剥ぎ取ろうとするといわれる通りである。お天道(てんとう)さまは公平無私なものであるが、しかし、恒遠な時間の成り行きというものは、結局、善人のがわに与(くみ)するものだ。

和大怨、必有余怨。安可以為善。
是以聖人執左契、而不責於人。故有徳司契、無徳司徹。
天道無親、恒与善人。

大怨(だいえん)を和すは、必ず余怨(よえん)有り。安(いず)くんぞ以て善と為(な)すべけんや。
是を以て聖人は左契(さけい)を執(と)りて而(しか)も人を責めず。故に、徳有るものは、契を司(つかさど)り、徳なきものは、徹を司る。天道は親(しん)無し、恒にして善人に与(くみ)す。


48講 戸を出でずして世界を知ることが夢(四七章)

 ドアを出なくても世の中の動きを知ることはできる。窓から外を窺わなくても天の道理を知ることはできる。遠くへ出かければでかけるほど、覚知(さとり)は少なくなる。こういう訳で、有道の士はそこへ行かないで状況を理解し、見ないで名をつけ判断することができるし、さらには無為にして事業を成し行うことができる。

不出戸、知天下、不窺牖、見天道。其出彌遠、其知彌少。
是以聖人不行而知、不見而名、不為而成。

戸を出でずして天下を知り、牖(まど)を窺(うかが)わずして天道を見る。その出ずること弥いよ遠ければ、其の知ること弥いよ少なし。是を以て聖人は、行かずして知り、見ずして名づけ、為(な)さずして成す。

第四課 「士」と民衆、その周辺

 普通、老子は荘子よりも先輩で年長であるとされる。しかし、白川静と池田知久の二碩学は、思想の系譜からいっても、むしろ荘子の方が先行することは明らかだとしている。たしかに『老子』の章句の中には『荘子』を下敷きにしているものが多い。『荘子』は神話世界の文学化を遂行し、それを前提として『老子』が中国で初めての哲学として成立したということなのであろう。
 老子が孔子や墨子などから何を受けついだは不明であり、中国思想史上でも最大の問題であろうが、荘子と老子はその高い教養からいって、その本来の社会的地位は孔子や墨子よりも高かったであろう。二人は、地域の氏族長の家系に属し、「士」であると同時に地主でもあって民衆に対する支配者の地位にあったに相違ない。老子は「道」を覚り「志」をもつのは「士」であって、百姓はあくまでも統治されるべき存在と考えていた。しかし、荘子と比較した場合、老子の方が現実的な関心が強く、また民衆への見方を突き詰めていた。ここに老子の保守主義の特徴があったように思う。


49講 士たる者は故郷(ふるさと)の山河を守る(第一五章)

 士に備わる善は、微妙で力強く、深く知ることはむずかしいといわれる。しかし、識ることができないといっても強いてその容(すがた)を述べてみよう。それは、冬に川を渉るようにゆっくりと、慎重に四方に気をくばりながら、冬将軍のように厳かな客として、またそうかと思えば、春の氷が溶けるように和やかにやってくる。そして山の森林の樸(あらき)のように素朴で、しかも広々とした谷間のようであり、そこを降る混沌とした濁流のように力強い。士大夫のほかの誰が、故郷の川の濁りが静まって清まわり、安らかな山河に緑が満面に生ずるのを見守る善をもとうか。士大夫としてこの道を守ろうとするのは、ただいつも豊かであることを求めているのではなく、山河の自然が一度破れて、また新しく復活することを知っているからだ。

故之善為士者、微妙玄通、深不可識。夫唯不可識。故強為之容。豫兮若冬渉川、猶兮若畏四隣、儼兮其若客、渙兮若氷將釈、敦兮其若樸、曠兮其若谷、混兮其若濁。孰能濁以静之徐淸、孰能安以動之徐生。保此道者、不欲盈。夫唯不盈、故能敝而新成。

故に、士たるの善は、微妙玄通にして深きこと識るべからず。夫れ唯だ識るべからず、故に強(し)いてこれが容(よう)を為さん。豫(よ)として冬に川を渉(わた)るが若(ごと)く、猶(ゆう)として四隣(しりん)を畏(はば)かるが若く、儼(げん)としてそれ客の若く、渙(かん)として氷の将(まさ)に釈(と)けんとするが若く、孰(とん)としてそれ樸(あらき)の若く、曠(こう)として其れ谷の若く、混(こん)としてそれ濁れるが若し。孰(た)れか能(よ)く濁りて以てこれを静め、徐(おもむ)ろに清(す)むや。孰れか能く安らかにして、以てこれを動かして徐ろに生ずるや。此の道を保(まも)る者は、盈(み)つるを欲せず。夫(そ)れ唯(た)だ盈たず、故に能く敝(やぶ)れて新たに成る。


50講 人々の代表への信任は個人に対するものではない(第一七章)

人々は、地域の族長が最良の人(太上)である場合は、ほとんどその存在を意識しない。その次のランクの代表者となると、親しみ誉める。さらにその次となると畏れることになり、最後は馬鹿にするということになる。信の力が十分でなければ不信がうまれる。しかし、ぼんやりとして言葉少なくても功がなって事業は終わっていればいいのだ。そうなると、人びとはみな、こうなったのは実はすべて自分で自然にやってることだというだろう。それこそ理想だ。

太上下知有之。其次親而譽之、其次畏之、其次侮之。
信不足、有不信。猶兮、其貴言、功成事遂、百姓皆謂我自然。

太上(たいじよう)、下(した)は之あるを知るのみ。その次は親しんで之を誉む、その次は之を畏れ、その次は之を侮(あなど)る。信足らざらば、不信あり。猶(ゆう)として其れ言を貴(たつと)び、功(こう)成り事(こと)遂ぐれば、百姓(ひやくせい)は皆我が自然なりと謂う。


51講 士は民衆に狎(な)れ狎(な)れしく近づくものではない(七二章)

 民衆が権威を畏敬しなくなると、結局、大きな脅威がやってくる。それ故に彼らの住む場所に狎(な)れ狎(な)れしく近づかず、また万が一にもその生業を厭迫するようなことにならないようにする。厭迫しなければ厭(いと)われることもない。有道の士は、自分をよく知っているが、その自分を現さないようにするのだ。自らを大事にするが自らを貴ばないようにする。人から遠ざかり、自分とともにいるのだ。

民不畏威、則大威至。無狎其所居、無厭其所生。夫唯不厭、是以不厭。是以聖人自知不自見、自愛不自貴。故去彼取此。
民、威(い)を畏(おそ)れざれば、則ち大威至らん。其の居(お)る所に狎(な)るること無く、其の生(い)くる所に厭(あ)くこと無し。夫れ唯だ厭(あつ)せず、是を以て厭(いとわ)れず。是を以て聖人は、自(みずか)ら知りて自ら見(あらわ)さず、自(みずか)ら愛しんで自ら貴(たつと)ばず。故に彼を去てて此れを取る。


52講 士と百姓の間には溶鉱炉の鞴のような激しい風が吹く(五章)

 天地の自然には「仁(憐(あわれ)み)」などというものはない。万物を藁人形(芻(わら)狗(いぬ))のように吹き飛ばす。有道の士にも「仁(憐(あわれ)み)」などというものはない。有道の士と百姓は互いに独立で風のままであって、百姓はやはり藁人形のように吹き飛ばされる。天と地の間は溶鉱炉の鞴(ふいご)のようなものである。中は虚ろで風が尽きることはなく、動けば風はいよいよ激しくなる。「仁(憐(あわれ)み)」などということを多言していると行きづまる。天地の中にある巨大な無を守っていくほかないのだ。

天地不仁、以万物為芻狗。聖人不仁、以百姓為芻狗。
天地之間、其猶橐籥乎。虚而不屈、動而愈出。
多言数窮。不如守中。

天地は仁ならず、万物を以て芻狗(すうく)と為(な)す。聖人は仁ならず、百姓を以て芻狗と為す。天と地との間は、其れ猶お橐籥(たくやく)のごときか。虚にして屈(つ)きず、動きて愈々(いよいよ)出ず。多言なれば数(しば)しば窮す。中を守るに如かず。


53講 民の前に出るときはあくまで控えめに(第六六章)

 大河と大海が多くの谷々の王であるのは、その本性(もちまえ)が低くすべての下側にあるからだ。その故に、多くの百谷の王なのだ。同じように有道の士も、人々の前でリーダーシップをとるときは自分の身を後ろにし、人々の上に立つときは謙下の言葉をもって語る。それだから民の上にあっても、人々は恩義を感じるという訳でなく、人々の先にたっても決して邪魔とは思われない。このように世の人々が喜んで推挙して厭わないのは彼が争そわないからだが、逆にそれ故に世の中には彼と争そえるものはいない。

江海所以能為百谷王者、以其善下之、故能為百谷王。
聖人之在民前也、以身後之。其在民上也、以言下之。
其在民上也、民弗((不))厚也、其在民前也、民弗((不))害也。
是以天下樂推而不厭、以其不争、故天下莫能与争。

江海の能(よ)く百谷(ひゃっこく)の王たる所以(ゆえん)の者は、其の善之(これ)に下るを以てなり。故に能く百谷の王たり。聖人の民(たみ)の前に在るや、身を以て後にし、其の民の上に在るや、言を以て之(これ)に下る。其の民の上に在るや、民の厚しとせず。其の民の前に在や、民の害とせざる也。是を以て天下推(お)すを楽しんで厭(いと)わざるは、其の争わざるを以てなり。故に、天下能く與(とも)に争うもの莫(な)し。


54講 「善」と「不善」をめぐる老子と親鸞(第二七章)

 車を操縦する善は轍(わだち)の跡を残さないこと、言葉の善は自他を瑕(きず)つけないこと、計算の善は算木を使わないこと、戸締まりの善は貫木(かんぬき)や錠なしに戸を開けられないようにすること、また荷物を結ぶときの善は縄に結目がないのに解けないようにできることである。有道の士の恒(つね)なる「善」は、人を救うのであって、人を棄てない。そして万物を救って棄てない。これを「明知」の世界に入るという。たとえば師弟関係の善は救うためにある。善人が師であるとすれば、不善人が弟子であっても、その関係は切っても切れない。この関係で、弟子が師を貴ばず、師が弟子を棄てて愛さないような人間であば、師弟が「明知」を求めるのはただの迷誤だ。この微妙なところを洞察しなければならない。

善行無轍迹。善言無瑕讁。善数不用籌策。善閉無関楗而不可開。善結無縄約而不可解。是以聖人恒善、救人無棄人。恒善、救物無棄物。是謂襲明。故善人者、不善人之師、不善人者、善人之資。不貴其師、不愛其資、雖智大迷。是謂要眇。

行くことの善は轍迹(てつせき)なく、言うことの善は瑕讁(かたく)なく、数うることの善は籌策(ちゅうさく)を用いず、閉ざすことの善は関楗(かんけん)なくして而も開くべからず、結ぶことの善は縄約(じょうやく)なくして而も解(と)くべからず。是を以て聖人は、恒に善にして、人を救い、人を棄つること無し。恒に善にして、物を救い、物を棄つること無し。是れを明に襲(はい)ると謂(い)う。故に善人は不善人の師、不善人は善人の資(し)なり。其の師を貴ばす、其の資を愛せざれば、智ありと雖も大迷なり。是れを要眇と謂う。


55講 赦しの思想における老子とイエス・キリスト(第六二章)

 「道」は万物の奥にあって、善人の宝であるが、実は不善人によって保(も)っている。美しい言葉で地位と名誉を手に入れようとする人も、少しはよいことをするものだ。人の不善もすべて棄てていいという訳ではないのだ。天子を冊立したり、三公を任に置くときに、璧玉の宝を先に立てた四頭だての馬車を前駆させることも同じ虚飾である。しかし、そういうときも静かに自分の道を進んでいればよいのだ。古くから、この「道」が貴ばれている理由は、求めれば与えられ、罪悪も許されるからだ。だから、この世界で貴ばれているのだ。

道者万物之奥、善人之寶、不善人之所保。美言可以市尊、美行可以加人。人之不善、何棄之有。故立天子、置三公、雖有拱璧以先駟馬、不如坐進此道。古之所以貴此者何。不曰以求得、有罪以免耶。故為天下貴。

道は万物の奥にあり、善人の宝にして、不善人の保(たも)つ所なり。美言の以って尊を市(か)うべくんば、美行の以て人に加わうべし。人の不善なる、何の棄(す)つることか之れ有らん。故に、天子を立て、三公を置くに、璧(へき)を拱(かか)えて以て駟馬(しば)に先だたしむること有りと雖も、坐(とどま)りて此道を進むに如(し)かず。古(いにしえ)の此れ貴ぶ所以(ゆえん)の者は何ぞや。求めて以て得られ、罪有るも以て免(まぬが)ると曰(い)わずや。故に天下の貴ぶものたり。

第三部「運・鈍・根」で生きる

第一課 じょうぶな頭とかしこい体になるために

 もっともよく知られている老子の思想は、「無為(むい)」や「知足(ちそく)」という言葉だろう。欧米の人々には、この言葉自体を理解することが難しいらしいが、日本人は「無為」を「作為のないこと」、「知足」を「足るを知ること」と読み下すことができるから最初はわかりやすい。しかし、逆にそのために、『老子』の思想というと、消極・静観・節欲とされることが多く、極端な場合は「小狡(こずる)い」思想と誤解されてしまう。
 しかし、老子の思想は、そういうものではない。紹介しておきたいのは、作家、五味太郎の絵本『じょうぶな頭とかしこい体』である。子どもによくいう「丈夫な身体と賢い頭」というのは間違いで、修行すれば意識せずに「無為」なままでも「かしこい身体」でやっていける、そしてその身体に支えてもらって、少々鈍くても「じょうぶな頭」でやっていくのが正しいというのである。うまくいったものだと思う。これは日本人のなかに根付いた人生訓でいえば、「運(うん)・鈍(どん)・根(こん)」、つまり、少しの幸運、鈍く見えるほどの頑丈さ、そして根気があればいいという人生訓である。老子の人生訓は、これと似ている。以下、『老子』をまずそういう人生訓として読んでいきたい。


56講 象に乗って悠々と道を行く。「道」とは何か(第三五章)

 巨象にのって世の中を行けば進むのに妨げはなく、安らかで泰平である。路傍の楽の音と食餌は旅人の足を止めるが、道は無言のまま淡々と続く。道の距離そのものには、はない。目をこらしても見えないし、耳をすましても聞こえない。しかしその用きは無尽蔵である。

執大象天下往、往而不害、安平泰。樂与餌過客止、道之出言淡乎。其無味、視之不足見、聴之不足聞、用之不可尽。

大象を執って天下を往かば、往きて害せられず、安・平・泰なり。楽と餌とは、過客を止むるも、道の言に出だすは、淡乎(たんこ)たり。それ味なく、之(これ)を視るも見るに足らず、之(これ)を聴くも聞くに足らず、之を用(はたら)いて尽すべからず。

 本講の「大象を執り」の「大象」を動物としての「象」であるとするのは諸橋轍次だけで、普通、これは「象=かたち」という意味とされる。しかし、それでは抽象的すぎてどうしようもない。諸橋の意見をとりたい。一つの根拠は、「白象に乗る仙人」の絵が内蒙古自治区和林爾後漢墓にあるという上田正昭『古代の道教と朝鮮文化』46頁の指摘である。これの現物画像を確認できないままですが、そこには老子も描かれているとのことである。禅僧がよく指示する普通の老子の肖像ではたしかに老子は牛にのっているが、この牛は南の水牛である。それを考えれば、象にのっているという想定は十分に可能だと思う。宮沢賢治の「オッペルと象」は、何を原拠としているのでしょう。『今昔物語集』(あるいは『宇治拾遺物語』だったか)には普賢菩薩と象の物語がでますが、上田さんの紹介の画像だと、それが老子に原拠があるかもしれないというのは重大な話です。普賢菩薩もオッペルの象も白象ですので、これは古い観念と思っています。
 中国思想史専攻の知人は老子は牛ではなく、象にのっているのだというと、一様に「そんな」という反応である。しかし、この可能性は十分にあると考えている。

57講 作為と拘(こだわ)りは破綻をまねく――「無為」とは何か(第六四章下)

「作為で動くと仕事は壊れてしまい、それに拘(こだわ)るとすべてを失う」という格言がある。有道の士は無為自然なので逆に仕事を駄目にしてしまうことがない。拘わらないから全てを失うことがない。大事業に取り組む場合は、終わりまで慎重に初心のままだから破綻しない。そもそも有道の士が欲するのは無欲の状態だから、得がたい財貨など貴いと思わない。さらに「学ばざる」を学ぶので人が見のがすことに気づく。万物がその自然の本性(もちまえ)にそって進むことに手を添えるが、無理はしないのだ。
為者敗之。執者失之。是以聖人無為故無敗、無執故無失。臨事之紀、愼終如始、則無敗事。
是以聖人欲不欲、不貴難得之貨。学不学、復衆人之所過。以輔万物之自然、而不敢為。

底本「民之従事、恒於幾成而敗之」。「臨事之紀」は楚簡によった。なお底本では、本章は第六四章の全体ではなく後半部のみにあたる。前半部は、■■頁で解説してあるが、両方をあわせると、この六四章は他の『老子』の諸章とくらべて長文になってしまうため、前半部と後半部は、本来、別個のものであっただろうと推測されてきた。新発見の楚簡でも実際に前半と後半が別になっていることが確認され、その推定が正しいことが確定した。

為(な)す者は之(これ)を敗(やぶ)り、執(しつ)する者は之(これ)を失う。是(ここ)を以って聖人は、 為すこと無し、故(ゆえ)に敗ること無し。執すること無し、故に失うこと無し。事に臨むの紀は、終りを慎(つつし)むこと始めの如(ごと)くんば、則(すなわ)ち事を敗ること無し。是(ここ)を以て聖人は、欲せざるを欲し、得難きの貨を貴ばず。学ばざるを学び、衆人の過(す)ぎし所に復(ふく)す。以て万物の自然を輔(たす)けて、而(しか)も敢(あ)えて為さず。


58講 勉強では人間は成長しない(第四八章)

 学を為(おさ)めれば日ごとに大きくなるというが、しかし、道を為(おさ)めるとは、日々、自分を削っていくことだ。削りに削って為(おさ)めるべきことが無くなる。無為の境地となればできないことはない。天下で用くのは、つねにこの無為・無事である。余計な事が残っていれば天下を取るのは不可能である。

為学日益、為道日損。損之又損、以至於無為。無為而無不為。
取天下、恒以無事。及其有事、不足以取天下。

学を為(な)せば日々に益(えき)し、道を為せば日々に損(そん)す。之を損して又損し、以て無為に至る。無為にして為さざる無し。天下を取るは、恒に事無きを以てす。其の事有るに及びては、以て天下を取るに足らず。


59講 大木に成長する毛先ほどの芽に注意を注ぐ(第六四章上)

安定している状況は把握しやすいし、兆(きざ)しがないうちは計画を立てやすい。脆(もろ)いうちなら割りやすいし、微(かす)かなうちは散らしやすい。事が発していない時に処置し、混乱がないときに事態を治めるようにしたいものだ。何人もの手を繋いで抱くことができる大木も毛先ほどの芽から成長するし、九層の高殿も土籠(もつこ)の土を順々に積み重ねていったものだ。千里の道も足下の一歩から始まるというではないか。

其安易持、其未兆易謀、其脆易判、其微易散。為之於未有、治之於未乱。
合抱之木、生於毫末、九層之台、起於累土。千里之行、始於足下。

その安(やす)きは持(じ)し易(やす)く、その未(いま)だ兆(きざ)さざるは謀(はか)り易し。その脆(もろ)きは判(わ)け易く、その微(かすか)なるは散(さん)じ易し。之(これ)を未だ有らざるに為し、之(これ)を未だ乱れざるに治む。合抱(ごうほう)の木も毫末(ごうまつ)に生じ、九層の台も累土(るいど)に起こり、千里の行(こう)も足下に始まる。


60講 自分にこだわる人の姿を「道」から見る(第二四章)

 つま先で立っていることはできないし、歩幅を広げすぎれば歩けない。自分だけで見ようとする人には明るさが足りない。自分だけを是としている人には是非が彰(あら)われない。自分だけで闘かうものは功をあげることができない。そして、自分だけで誇っているものは、実は長じたところはない。ゆっくりと道を行くものから見ていると、無駄な食事や道草にみえる。そういう無駄な物の気配は悪(わる)いものだ。有道の士は近づかない。
企者不立、跨者不行。自見者不明、自是者不彰。自伐者無功、自矜者不長。
其在道也、曰余食贅行。物或惡之。故有道者不処。
企(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。自(じ)見(けん)の者は明ならず、自(じ)是(ぜ)の者は彰われず。自伐(じばつ)の者は功無く、自矜(じきん)の者は長(ちよう)ならず。その道に在(あ)るや、余(よ)食(しよく)贅(ぜい)行(ぎよう)と曰う。物は或(つね)にこれ悪(わる)し。故に有道者は処らず。


61講 丈夫な頭とかしこい身体。「知足とは何か」(四四章)

 名分(名誉や地位、外見)と自分の身体(からだ)のどちらが大事か。身体そのものと財貨のどちらが大事か。物を獲得するのと、すでに自分の一部になっているものを亡くすのとどちらで悩むべきか。身体が大事で、身についているものが大事なのはあたりまえのことだろう。多く固執すればかならず多く費やし、多くため込めばすっかり失ってしまうものだ。誰も同じ身体で足りているのだから何も辱(はづ)かしいことはない。自分の世界に止まっていればだいじょうぶ。ゆっくりと永遠をみるのだ。
名与身孰親、身与貨孰多、得与亡孰病。
是故甚愛必大費、多蔵必厚亡。
知足不辱、知止不殆。可以長久。
名と身とは孰(いず)れか親しき。身と貨と孰れか多(まさ)れる。得(う)ると亡(うしな)うと孰れか病(うれい)ある。是の故に甚(はなは)だ愛(おし)めば必ず大いに費(つい)え、多く蔵(ぞう)すれば必ず厚く亡(うしな)う。
足(た)るを知らば辱(はずか)しめられず、止まるを知らば殆(あや)うからず。長久(ちょうきゅう)に以(もち)うべし。


62講 自らを知る明と「運・鈍・根」の根(三三章)

 人を知り議論するのは「智」。自分の心を照らすのは「明(めい)」。人に勝つのは力があるが、自らに克(か)つのが本当の「強」である。足るを知れば豊かになるが、「強」をつらぬくのを「志」というのだ。自分の現状を大事にして命を「久」しくすることもいい。しかし死を懸けても「志」を忘れないものは最後に微笑んで「壽(ほぎうた)」を聞くことができる。
知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。知足者富、強行者有志。
不失其所者久、死而不忘者壽。
底本「亡」。帛書により改む。
人を知るは智、自(みずか)らを知る者を明(めい)とす。人に勝つ者は力有りといい、自らに勝つ者を強とす。足るを知る者は富み、強を行うものは志有り。その所を失わざる者は久しく、死しても忘ざる者には寿(ほぎうた)あり。


第二課 「善」と「信」の哲学

 老子の哲学の基礎には「善」という言葉の独特な理解がある。この「善」というのは、「人間の本性は善であるか、悪であるか」という性善説、性悪説でいわれるような「善」ということではない。もちろん「善」を「良い」と読むと、「良い。公正だ」などなど、どうしても倫理規範のニュアンスが印象される。しかし、倫理規範の意味での「良い」は一つの社会的判断である。そして考えてみると、何が本当に「よい」のか、これは時と所により、時代や民族により大きく異なっている。「善」からそういう倫理規範の意味を脱色していくと、結局、それは物や人の本性(もちまえ)の自由な用(はたら)きという意味になっていく。「よい子」とは、その本性(もちまえ)を自由に現している子であるという訳である。
 そして実は、ギリシャ哲学の概念としての「善」も同じものである。「善」は、英語でいえばVirtue、ギリシャ語ではアガトンとなるが、アリストテレス『ニコマコス倫理学』も、アガトンは人や物の本性(もちまえ)の用(はたら)きの自由自在という意味としている。これは老子の哲学が、性善説を称する孟子、性悪説を称する荀子のような幼稚なレヴェルの議論とは大きく異なるものであることをよく示している。しかも、以下に述べるように、老子は、この「善=本性」という概念から出発して、「信」「徳」などの概念を次々に導いていった。


63講 無為をなし、不言の教えを行う(第二章)

 世の中の人が、みな美を美と知るのは、実は悪(みにく)いものがあるのによる。同じく皆が善を善と知るのは、実は不善があるからである。そもそも有(う)と無(む)は同時に生じ、難(なん)と易(い)は同じ仕組みであり、長と短は相同の形であり、高と下は互いに満たしあい、音と声は響き合い、前と後は一緒に並ぶ。、その中で、有道の士はつねに「無為」の側に身をおいて、不言の教えを守る。万物の成り行きを自分で治めようとはせず、行動はしても拘らず、功に居座ることはしない。最初から、そこにいもせず、立ち去ってもいないようにみえることが理想なのだ。

天下皆知美之為美、斯惡已。皆知善之為善、斯不善矣。
故有無相生、難易相成、長短相形、高下相盈、音声相和、前後相随。
是以聖人居無為之事、行不言之敎。万物作而不治 也、為而不恃、功成而弗((不))居。夫唯弗((不))居、是以不去。

天下、皆な美の美たると知るは、斯(こ)れ悪已(のみ)なり。皆な善の善たると知るは、斯(こ)れ不善已(のみ)なり。故に有無(うむ)は相い生じ、難易(なんい)は相い成り、長短(ちようたん)は相い形(かたち)し、高下(こうげ)は相い盈(み)ち、音声(おんせい)は相い和し、前後(ぜんご)は相い随う。是を以て聖人は無為の事に居(お)り、不言(ふげん)の教(おしえ)を行う。万物作(おこ)るも治(おさ)めず、為(な)して恃(たの)まず、功を成して居(お)らず。夫(そ)れ唯だ居(お)らず、是(ここ)を以て去らず。


64講 上善は水の若(ごと)し(第八章)

 上善は水のようなものだ。水の善(本性(もちまえ))は万物に利をあたえ、すべてを潤して争わない。水は多くの人の嫌がる場に流れ込む。水は道に近いのである。また、住居の善は「地」に近く棲むことにあり、心の善は「淵」のように奥が深く低いことにあり、友であることの善は「仁(したしみ)」にあり、言葉の善は言を守る「信(まこと)」にあり、正しいことの善は「治(おさ)」まっていることにあり、事業の善はただ己(おのれ)の「能」事(できること)をやることにあり、行動の善はただ「時」を外さない。これらの根本は争そわないことにあり、それ故に人に尤(とが)をもっていかないことにある。

上善若水。水善利万物而不争。処衆人之所惡。故幾於道。
居善地、心善淵、与善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。
夫唯不争。故無尤。

上善は水の若(ごと)し。水の善は万物を利して争わざるにあり。衆人の悪(いと)う所に処る。故に道に幾(ちか)し。居(きよ)の善は地にあり、心(こころ)の善は淵(ふか)きことにあり、与(とも)の善は仁にあり、言(ことば)の善は信(まこと)にあり。正(せい)の善は治にあり、事(こと)の善は能にあり、動(どう)の善は時にあり。それ唯(ただ)争うべからず。故に尤(とが)むること無し。


65講 「信・善・知」の哲学(八一章)

信(しん)なる言葉は美しいものではない。美しい言葉に必ず信(まこと)があるのではない。言葉の善は言い争うことにはない。言い争うのは善ではない。知の「善」は博(ひろ)いことではない。博いものは知ではない。目覚めた有道の士はものごとを後回しにしない。刻々と、すべて人々のために行動して、それでも愈いよ充実し、すべてを人々にさしだして、さらに充実していく。天道はすべての物に利をあたえ、害することはない。同じように有道の士は全力で行動するが、争わないのだ。

信言不美、美言不信。善者不弁、弁者不善。知者不博、博者不知。
聖人不積。既以為人、己愈有、既以与人、己愈多。
天之道、利而不害。聖人之道、為而不争。

信(しん)言(げん)は美ならず、美(び)言(げん)は信ならず。善は弁(あらそ)わず、弁(あらそ)うは善ならず。知は博(ひろ)からず、博(ひろ)きは知ならず。聖人は積まず。既(ことごと)く以て人の為(ため)にして、己(おのれ)は愈(いよ)いよあり、既(ことごと)く以て人に与(あた)えて、己(おのれ)は愈(いよ)いよ多し。天の道は利して害せず、聖人の道は為(な)して争わず。


66講 「善・不善」「信・不信」を虚心に受けとめる(四九章)

 有道の士は自分の心を恒遠な「道」の中において無としているので、そこに人々の心を受け入れることができる。人々の「善」はその本性(善)として受けとめ、「不善」も人々の現実の本性(善)として受けとめる。有道の士の心の徳(はたらき)は「善」だからである。その「信」は「信」として受けとめるが、「不信」も現実の「信」のあり方として受けとめる。有道の士の徳(はたらき)は「信」だからである。有道の士は世の中にあって心おだやかにこだわりを持たず、世の人のために自分の心は洗い流してしまう。人々はみな耳目を注いでくるが、有道の士はただ赤ん坊のように笑っている。

聖人恒無心、以百姓心為心。
善者善之、不善者亦善之。徳善。
信者信之、不信者亦信之。徳信。
聖人在天下歙歙焉、為天下渾其心。百姓皆注其耳目、聖人皆孩之

聖人(せいじん)は恒にして心無く、百姓(ひやくせい)の心を以て心となす。善(ぜん)はこれを善とし、不善(ふぜん)もまたこれを善とす。徳(いきおい)は善なり。信はこれを信とし、不信もまたこれを信とす。徳(いきおい)は信なり。聖人の天下に在るや、歙歙(きゆうきゆう)焉(えん)として、天下の為(ため)にその心を渾(なが)す。百姓は皆なその耳目(じもく)を注(そそ)ぐも、聖人は皆なこれ孩(わら)うのみ。


67講 民の利と孝慈のために聖智・仁義を絶する(一九章)

 為政者に「聖智」などといわせないようにできれば、民衆の利は百倍にもなる。自分は「仁義」だなどと詐(いつ)わるのをやめさせれば、民衆の家族的親愛と人への思いやりが戻ってくる。政治が経済の「巧利」の上前を取るのをやめさせれば、それが盗賊の巣であることも終わる。為政者に、この「聖智・仁義・巧利」を捨てよといっても解らなければ、言葉を続けてやろう。一度は、素絹(しろぎぬ)の自然な精細さを熟視し、山の樸(原木)を抱いた気持ちになって、私を忘れ欲を忘れてみろ。この馬鹿め。

絶聖棄智、民利百倍。絶仁棄義、民復孝慈。絶巧棄利、盜賊無有。
此三者、以為文不足、故令有所屬。見素抱樸、少私寡欲。

聖を絶ち智を棄つれば、民の利は百倍す。仁を絶ち義を棄つれば、民は孝慈に復(かえ)る。巧を絶ち利を棄つれば、盗賊の有ること無し。此の三者、以て文足らずと為さば、故に属(つづ)く所あらしめん。素(そ)を見て樸(ぼく)を抱け。私を少なくし欲を寡(すく)なくせよ。


68講 無為の立場から「言葉の知」の病をふせぐ(七一章)

自分がものを知らないことを知っているのが人間としての上等さである。知らないのに知っているというのは病いである。病いを病いと分かっていれば、病気ではなくなる。覚悟した人間は病気をもたない。病いを病いと知って病気から自由になるのである。

知不知上、不知知病。夫唯病病、是以不病。聖人不病。以其病病、是以不病。

知らざるを知るは上なり、知らずして知るとするは病(やまい)なり。夫れ唯(た)だ病を病とせば、是を以て病あらず。聖人は病あらず。其の病を病とするを以て、是(ここ)を以て病あらず。


第三課 女と男が身体を知り、身体を守る

 老子は女と男の性愛について語ることをタブーとしない。『論語』『孟子』そして『荘子』などと大きく異なるのは、この点である。
 その身体思想は女性を大事にする。儒学が「男女、夫婦、父母」などの男を先にする言葉を使うのに対して、『老子』は「雌雄・牝牡・母子」などと女を先に掲げる。『老子』を通読すれば女性的なものへの親近感も明かなことである。ただ、老子は女性的なものをもっぱら「和柔」とし、「女ー男」という対比をなかば固定化する。これは老子の族長としての保守主義的な態度であろうが、しかし、この時代、たとえばギリシャの哲学思想の中にはまったく存在しないような女性尊重の思想である。
 なお、漢の王族、劉向(BC七七~六)の『列仙伝』の老子の項に「好んで精気を養い、接して施さざるを貴ぶ」(男性精気を養い、女性に接しても精を放たない)とあるように、老子は早くからいわゆる「房中術(寝室の性の技法)」の祖とされていた。房中術は王侯の後宮から始まったもので、老子がその祖であるとは考えにくい。しかし、老子がその身体思想にもとづいて「養生」を強調しただけでなく、セックスを率直に論じたことが、この伝承の生まれる理由となったことは十分に考えられよう。


69講 女と男で身体に宿る「信」を継いでいく(第二一章)

 女性的な徳(はたらき)の深い孔のようなゆとりにそって道はただ進むだけだ。この道が物を作るのは、ただ恍惚の中でのことだ。恍惚の中で象(かたち)がみえる。その恍惚の中に物があるのだ。そしてその奥深くほの暗い中に精が孕まれる。この精こそ真に充実した存在であって、その中に信が存在する。この信が遥かな過去から現在にいたるまで一貫して存在し、つねに衆父(族長)を統括してきたのである。私が族長とはそういうものだと知ったのは、以上のようなことを私も体験したからである。

孔徳之容、唯道是従。
道之為物、唯恍唯惚。惚兮恍兮、其中有象。恍兮惚兮、其中有物。窈兮冥兮、其中有精。其精甚真、其中有信。自古及今、其名不去、以閲衆父。吾何以知衆父之状哉、以此。

孔徳の容(よう)は、唯だ道これに従う。道の物たる、唯だ恍(こう)、唯だ惚(こつ)。忽(こつ)たり恍(こう)たり、其の中に象(しよう)有り。恍たり忽たり、其の中に物有り。窈(よう)たり冥(めい)たり、其の中に精(せい)有り。其の精甚だ真なり、其の中に信有り。古(いにしえ)より今に及ぶまで、其の名は去らず。以て衆父(しゆうほ)を閲(す)ぶ。吾れ何を以てか衆父(しゆうほ)の状を知る、此れを以てなり。


70講 女が男を知り、男が女を守り、子供が生まれる(第二八章)

 女が男を知り、男が女を守り、二人は世界の原初の谷間に行く。そこでは永遠の徳(いきおい)が赤ん坊のなかに復ってくる。女が男の白い輝きを知り、男が女の黒い神秘を守れば、二人は世界の秘密を映す式盤となる。式盤には永遠の徳が満ちて、無極の場所がみえる。こうして女が男の栄誉を知り、男が女を恥辱から守れば、世界を流れる渓川になり、谷には永遠の徳(いきおい)があふれ、その風格にふさわしい大木(「樸(あらき)」)も復ってくる。人間は、この大木を切って器にして使うのだ。しかし徳(いきおい)に満ちた有道の士は、そのままで国を代表できる。大材を製するには、できるだけそれを割らないことだ。
 Knowing man
and protecting woman,
lovers go to the riverbed of the world.
Where the eternal power
come true again in the infant baby.


Knowing light
and protecting dark,
be a horoscope of the world.
There the eternal unerring power
come back again to boundlessness.

Knowing glory
and protecting humiliation ,
be the valley of the world.
There the eternal power
come again to fulfill the forest .

Ntural wood is cut up
and made into useful things.
But wise souls are natural
to make into leaders of countries.
Just so, a great caving
is done without caving.


知其雄、守其雌、為天下渓。為天下渓、恒徳不離、復帰於嬰児。知其白、守其黒、為天下式。為天下式、恒徳不差、復帰於無極。知其榮、守其辱、為天下谷。為天下谷、恒徳乃足、復帰於樸。樸散則為器。聖人用之、則為官長。故大制不割。

其の雄(おす)を知り、其の雌(めす)を守れば、天下の渓(たに)と為る。天下の渓と為れば恒徳離れず、嬰児(えいじ)に復帰す。其の白を知りて、其の黒を守らば、天下の式と為る。天下の式と為れば、恒徳は差(たが)わず、無極(むきよく)に復帰す。其の栄を知りて、其の辱を守らば、天下の谷と為る。天下の谷と為れば、恒徳は乃(すなわ)ち足り、樸に復帰す。樸を散ずれば則(すなわ)ち器と為(な)り、聖人は用いれば則ち官の長と為(な)る。故に大制(たいせい)は割(さ)かず。


71講 一人への愛を守り、壊れ物としての人間を守る(第五二章)

 天下に始めがあるとしたら、それは母から始まる。最初に母の身心を得ていれば、その子はよく分かるし、また逆に子供のことをよく知って、その母を見直すということもある。そうすれば自分が死んでも危ないことはない。そして身体の穴を閉じ、その門を猥(みだり)に開くことがなければ、一生、疲れることはない。もし、それらの穴や門を開いて、そのような事をすると救われないことになる。母子の小さな世界を見るには明るさが必要であり、その柔弱な世界を守る力こそを本当の強さというのだ。光を働かせ、つねに明朗であるようにしたいものだ。そうすれば身(み)の殃(わざわ)いが残ることはない。これこそを永遠の今、「恒」なる本性に順うという。

天下有始、以為天下母。既得其母、以知其子。既知其子、復守其母。沒身不殆。塞其兌、閉其門、終身不労。開其兌、濟其事、終身不救。見小曰明、守柔曰強。用其光、復帰其明、無遺身殃。是謂襲恒。

天下に始め有り、以て天下の母と為す。既にその母を得て、復(ま)たその子を知る。既にその子を知り、復たその母を守らば、身を没するまで殆(あやう)からず。その兌(あな)を塞(ふさ)ぎ、その門を閉ざさば、身を終うるまで労(つか)れず。その兌(あな)を開き、その事を済(な)せば、身を終うるまで救われず。小(しょう)を見るを明(めい)と曰(い)い、 柔(じゅう)を守るを強(きょう)と曰う。その光を用いて、その明に復帰せば、身の殃(わざわい)を遺(のこ)す無し。是を恒(こう)に襲(はい)ると謂う。


72講 赤ん坊の「徳(いきおい)」は男女の精の和から生ずる(五五章)

善の徳(いきおい)を内に蓄えている人は、赤ちゃんのようだ。赤ちゃんは蜂(はち)も蠆(さそり)も虺(まむし)も蛇(へび)も咬んだりしない。猛獣も襲わないし、猛禽も蹴爪にかけない。骨は弱く、筋(すじ)は柔らかいのに、握力は強い。まだ雌雄の交合のことも知らないのに、陽根(ようこん)が立つのは精が満ちているからだ。一日中泣いていても声がかれないのは、その「気」が和しているからだ。この「和」が永遠の今、「恒(こう)」となり、そして、その「恒(こう)」を知れば「明」になる。その中で生活が進んでいくのを「祥(さいわい)」と曰い、心がうまく「気」を使うことを「強(つよさ)」という。しかし、心気でなく、物の気のみが盛んだと衰えるのも早い。それでは道理に反するからであり、道理に反すれば早々に終りがやってくる。
含徳之厚者、比於赤子。
蜂蠆虺蛇不螫、猛獸不據、攫鳥不搏。骨弱筋柔而握固。未知牝牡之合而陽怒、精之至也。終日号而不嗄、和之至也。
和曰恒、知恒曰明。益生曰祥、心使氣曰強。
物壯則老、謂之不道。不道早已。

徳を含むことの厚き者は、赤子に比ぶ。蜂(ほう)蠆(たい)虺(き)蛇(だ)も螫(さ)さず、猛獣も據(おさ)えず、攫鳥(かくちよう)も搏(う)たず。骨弱く筋柔らかくして握ること固し。未(いま)だ牝牡(ひんぼ)の合を知らずして陽の怒(ど)すは、精の至りなり。終日号(な)いて嗄(こえか)れざるは、和の至りなり。和を恒と曰(い)い、恒を知るを明と曰う。生を益(ま)すを祥(さいわい)と曰い、心、気を使うを強と曰う。物は壮(そう)なれば則(すなわ)ち老(お)ゆ。之を不道を謂う。不道は早く已(や)む。


73講 母親は生んだ子を私(わたくし)せず、見返りを求めない(第一〇章)

 生き生きと血色のよい肉体に載(の)ってその一なる本性を抱きしめて離さないでいたい。気を整えて柔弱をきわめて赤子のようになっていたい。神秘な玄(くろ)い鏡を洗い清めて疵のないようにしておきたい。地では、人々を愛し国を穏やかにして政治の知を不要とし、天では天空の門を開閉して従順な雌の動きをとらせたい。明るく四方を照らしながら才知からは離れていたい。「道」が人間などの万物を最初に生じさせるが、それを養うのは「徳」であり、徳こそが、子を生んだ母親のように、世界を私のものとせず、為(し)てやっても見返りは求めず、生育させても支配しようとしない。これを玄徳という。

載営魄抱一、能無離乎。専気致柔、能嬰児乎。滌除玄覧、能無疵乎。愛民治国、能無以知乎。天門開闔、能為雌乎。明白四達、能無以知乎。(道)生之(徳)畜之、生而不有、為而不恃、長而不宰。是謂玄徳。

営魄に載りて一を抱きて、能く離るること無からんか。気を専らにし柔(じゆう)を致(きわ)めて、能く嬰児(えいじ)たらんか。玄覧(げんらん)を滌除(てきじょ)して、能く疵(し)無からんか。民を愛し国を治めて、能く知を以てすること無からんか。天門開闔(かいこう)して、能く雌(し)たらんか。明白にして四達し、能く知を以てすること無からんか。(道)これを生じ、(徳)これを畜(やしな)い、生じて有せず、為(な)して恃(たの)まず、長じて宰(さい)せず。是を玄徳(げんとく)と謂う。


74講 男がよく打ち建て、女がよく抱く、これが世界の根本(第五四章)

 男の本性が打ち建てたものは抜けることはなく、女の本性が抱き入れたものは脱けることはなく、それ故にその子孫の祭りは止むことはない。これを自分たちの身体について実修すればその徳(はたらき)は真実のものとなる。家について実修すればその徳(はたらき)は外に餘慶を及ぼす。郷(さと)で実修すればその徳(はたらき)は郷土(ふるさと)の大地とともに長く続くだろう。また、邦(くに)で実修すればその徳(はたらき)は豊かな生活をもたらし、さらには世界全体で実修すればその徳(はたらき)は普くゆきわたる。それだから、身体と身体を向き合わせ、家と家を向き合わせ、郷と郷を向き合わせ、邦と邦を向き合わせ、そして世界が世界を内省することが大事なのだ。私は、そのような世界が来るのを必然と考える。

善建者不抜、善抱者不脱、子孫以祭祀不輟。
修之於身、其徳乃眞、修之於家、其徳乃餘、修之於郷、其徳乃長。修之於邦、其徳乃豊、修之於天下、其徳乃普。
故以身観身、以家観家、以郷観郷、以邦観邦、以天下観天下。吾何以知天下然哉、以此。

善く建てたるは抜けず、善く抱(いだ)けるは脱(お)ちず。子孫以(もつ)て祭祀(さいし)して輟(や)まず。これを身(み)に修(おさ)むれば、その徳(はたらき)は乃(すなわ)ち真にして、これを家に修むれば、その徳(はたらき)は乃(すなわ)ち余り、これを郷(さと)に修むれば、その徳(はたらき)は乃(すなわ)ち長し。これを邦(くに)に修むれば、その徳(はたらき)は乃(すなわ)ち豊かにして、これを天下に修むれば、その徳(はたらき)は乃(すなわ)ち普(あまね)し。故に、身を以て身を観(み)、家を以て家を観、郷を以て郷を観、邦を以て邦を観、天下を以て天下を観る。吾、何を以てか天下の然(しか)るを知るや、これを以てなり。


75講 柔らかい水のようなものが世界を動かしている(第四三章)

 世界で最も柔らかものが世界でもっとも固いものを動かしている。柔らかい水のようなものが、すべての隙間を埋めて広がっていく。その無為な動きこそが有益なのだ。言葉を必要としない教えが、意図しないままに広がっていき、天下にはこれに敵うものがない。

天下之至柔、馳騁天下之至堅、無有入無間。吾是以知無為之有益。不言之敎、無為之益、天下希及之。

天下の至柔(しじゅう)は、天下の至堅(しけん)を馳騁(ちてい)し、無有は無間に入る。吾れ是を以て、無為の有益なるを知る。不言の教、無為の益は、天下のこれに及ぶこと希なり。


第四課 老年と人生の諦観

 老子は、だいたい紀元前三二〇年頃に生まれ、紀元前二三〇年頃に死去した人物であると考えられる。『老子』の早い時期のテキストである湖北省荊門市の郭店で発掘された竹簡本はだいたい紀元前二七五年前後に作成されたものであるとされているが、そうだとすると、老子が、この竹簡の原本となるものを執筆したのは、だいたい四〇歳頃ということになる。逆にいうと、現行の『老子』のなかで楚簡に含まれていない部分は、老子が四〇歳を超えてから、老齢に入ってからのものであったことになる。
 本課は、この仮定の上に、おもに楚簡に含まれていない諸章から、老齢になった老子の執筆にふさわしいような内容の諸章を集め、「老年と人生の諦観」と題してみた。ただ、九章だけは楚簡に全文が含まれているが、「人には器量(きりょう)の限度がある、無事に身を退くのが第一だ」という内容であるので、ここにおさめた。『老子』で説かれていることからすると、老子は国の政治に深く携わった経験があったであろうが、おそらく『老子』の執筆を本格化したころ引退の意思を固めたのではないだろうか。


76講 力あるあまり死の影の地に迷う(五〇章)

 人は生まれて死んでいく。そのうち生を普通に終える人が十人に三人、早くに死ぬ人が十人に三人だろう。そして、生き急ぐなかで死の影の地に迷う人が十人に三人いる。それは生きる力と期待が厚すぎるためだ。残りの一人はうまく生の善(本性)を握った人であり、山地を行っても犀や虎に遇わないし、戦争に動員されても甲冑と武器を身にもつけずに生き延びた。犀も角を突こうとせず、虎も爪を立てようとせず、敵兵も刃をたてる隙がない。彼は死の影の地を本能的にさけることができたのだ。

出生入死。生之徒十有三。死之徒十有三。而民生生、動之死地、十有三。夫何故、以其生生之厚。
蓋聞、善執生者、陵行不遇兕虎、入軍不被甲兵。兕無所投其角、虎無所措其爪、兵無所容其刃。夫何故。以其無死地。

生を出でて死に入る。生の徒は十に三有り、死の徒も十に三有り。而して民の生を生きんとして、動きて死地に之(ゆ)くもの、十に三有り。夫れ何の故ぞ。其の生を生きんとすることの厚きを以てなり。蓋し聞く、生を執(と)るに善なる者は、陵(やま)に行くも兕虎(さいとら)に遇わず、軍に入りて甲兵を被らず。兕(さい)も其の角を投(とう)ずる所なく、虎も其の爪を措く所なく、兵も其の刃(やいば)を容るる所なしと。夫れ何の故ぞ。其の死地無きを以てなり。


77講 私を知るものは希だが、それは運命だ(第七〇章)

私のいうことは分かりやすく、行いやすいことだが、世の中にはそれを理解する人も、実行する人もいない。言説は格もあり、事業も指揮するに足るものだ。しかし、それは知られることがなく、私も知られないままでいる。私を知るものは稀で、私に則(のつと)って行動する人はいない。これが有道の士はつねに褐色の粗末な衣を着て懐に玉を隠しているということなのであろうか。

吾言甚易知、甚易行、天下莫能知、莫能行。
言有宗、事有君。夫唯無知、是以不我知。
知我者希、則我者貴。是以聖人被褐懐玉。

吾(わ)が言は甚(はなは)だ知り易く、甚だ行ない易し。天下能(よ)く知る莫(な)く、能く行なう莫(な)し。言(げん)に宗(そう)有り、事(こと)に君(きみ)有り。夫(そ)れ唯(ただ)知ること無し、是(ここ)を以て我れを知らず。我を知る者希(まれ)にして、我に則る者は貴(とぼ)し。是を以て、聖人は褐(かつ)を被(き)て玉(ぎよく)を懐(いだ)く。


78講 老子、自分の内気で柔らかな性格を語る(六七章)

世の中の人は、私は大人物らしいが、とてもそうはみえないという。私はたしかに大人物という柄ではないが、柄でないだけは大人物というところか。もし私がいかにも大人物らしければ今よりも卑小な人間であったろう。それでも私には私なりの宝がある。それは第一に「慈」、慈(なさ)け深さであり、第二は「倹」、遠慮がちなことであり、第三は自分から世の中の先に立つのが嫌いだということである。ただ慈(なさ)け深く情に脆いので逆に勇敢になったりする。そして遠慮がちなので逆に広く共感をえることもあった。また先に立つのが嫌いなので、逆に代表の地位につかされることもあった。もし、今になって、慈(なさ)け深いという性格を捨てて勇敢であろうとし、遠慮がちな性格を捨てて気が大きくなり、後についていく性癖を捨てて先頭に立とうとすれば、私はすぐ死んでしまうだろう。ともあれ、現在、戦いに勝つためにも、守るためにも慈(なさ)け深さは必須のものだ。天が今まさに私たちを救おうとしているとすれば、それは慈を以て衛(まも)るということに現れるはずである。
天下皆謂我大似不肖。夫唯不肖、故似大。若肖、細久矣。我有三宝、持而保之。一曰慈、二曰儉、三曰不敢為天下先。慈故能勇、儉故能広、不敢為天下先、故能為成事長。
今捨慈且勇、捨儉且広、捨後且先、死矣。
夫慈矣戦則勝、以守則固。天將救之、以慈衞之。

天下皆(み)な謂う。我れは大にして不肖(ふしよう)に似たり、と。夫(そ)れ唯(た)だ不肖なり、故に大に似たり。若(も)し肖(しよう)ならば、細かきこと久しきか。我に三宝あり、持(じ)して之を保(たも)つ。一に曰く慈(じ)、二に曰く倹(けん)、三に曰く敢えて天下の先(せん)と為(な)らず、と。慈なり、故に能(よ)く勇(ゆう)なり、倹なり、故に能く広し、敢えて天下の先と為(な)らず、故に能く事を成す長となる。今、慈を捨(す)てて且(まさ)に勇ならんとし、倹を捨てて且(まさ)に広からんとし、後を捨てて且(まさ)に先んぜんとすれば、死せん。夫れ慈は、以て戦わば則ち勝ち、以て守れば則ち固し。天将(まさ)に之(これ)を救わんとし、慈を以て之(これ)を衛(まも)らんとす。


79講 学問などやめて、故郷で懐かしい乳母と過ごしていたい(第二〇章)

 学問をやめることだ。そうすれば憂いはなくなる。だいたいこの問題の答えが正しいのと間違っているので現実にどれだけの違いがでるか。文章の美と悪の間にどれだけの相違があるか。人は学識を尊敬してくれるようにみえるが、こちらも人に遠慮することが多くなる。だいたい学問をやっても茫漠としていてはっきりしないことばかりだ。衆人は嬉々として、豪勢な饗宴を楽しみ、春に丘の高台に登るような気分でさざめいている。私は一人つくねんとして顔を出す気にもなれない。まだ笑い方も知らない嬰児のようだ。ああ、疲れた。私の心には帰るところもないのか。みんなは余裕があるが、私だけは貧乏だ。私は自分が愚かなことは知っていたが、つくづく自分でも嫌になった。普通の職業の人はてきぱきとしているのに、私の仕事は、どんよりとしている。彼らは明快に腕を振るうが、私の仕事は煩悶(はんもん)が多い。海のように広がっていく仕事は恍惚として止まるところがない。衆人はみな有為なのに、私だけが頑迷といわれながら田舎住まいを続けている。しかし、そうはいっても、私は違う。私はここにいて小さい頃からの乳母を大事にしたいのだ。

絶学無憂。唯与訶、相去幾何。美与惡、相去何若。人之所畏、亦不可以不畏人。恍兮其未央哉。衆人熙熙、如享太牢、如春登臺。我独泊兮未兆、如嬰児之未孩。累累、若無所帰。衆人皆有餘、而我独遺。我愚人之心也哉、沌沌兮。俗人昭昭、我獨若昏。俗人察察、我獨悶悶。惚兮、其若海、恍兮若無止。衆人皆有以、而我独頑似鄙。我欲独異於人、而貴食母。

学を絶てば憂い無し。唯(い)と訶(か)と、相去ること幾何(いくばく)ぞ。美と悪と、相去ること如何(いかん)。人の畏(おそ)るる所も亦た以て人を畏れざるべからず。恍(こう)として其れ未(いま)だ央(つく)さざるかな。衆人は熙熙(きき)として、太牢(たいろう)を享(う)くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊(はく)として未だ兆(きざ)さず、嬰児(えいじ)の未だ孩(わら)わざるが如く、累累(るいるい)として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るも、我れ独り遺(とぼ)し。我れは愚人の心なるかな、沌沌(どんどん)たり。俗人は昭昭(しょうしょう)たるも、我れ独り昏(こん)たるが若し。俗人は察察(さつさつ)たるも、我れ独り悶々(もんもん)たり。惚として其れ海の若く、恍として止まるところなきが若し。衆人は皆な以(もち)うる有りて、我れ独り頑(がん)にして以って鄙(ひ)なり。我れ独り人に異(こと)なりて、食母(しょくぼ)を貴ばんと欲す。


80講 人には器量(きりょう)の限度がある、無事に身を退くのが第一だ(九章)

 手に持った器(うつわ)の縁(ふち)ぎりぎりまで満たすのはやめたほうがいい。刃(やいば)を鍛えて鋭くしすぎると長くはもたない。人には器量(きりょう)の限度、鋭さの限度があるものだ。そして財宝が堂に溢れるまで満たすことも同じで、これはよく守れるものではない。富貴で驕り過ぎるとかならず咎めが残る。仕事を無事に終えた身は退いていくことこそが天の道だ。

持而盈之、不如其已。揣而鋭之、不可長保。金玉滿堂、莫之能守。富貴而驕、自遺其咎。
功遂身退、天之道。

持(じ)して之を盈(み)たすは、其の已(や)むるに如(し)かず。揣(し)して之(これ)を鋭(するど)くするは、長く保(たも)つべからず。金玉、堂に満つるは、之を能く守る莫(な)し。富貴にして驕(おご)るは、自(みずか)ら其の咎(とが)を遺(のこ)す。功遂げ身退(しりぞ)くは、天の道なり。


81講 老子の処世は「狡い」か(第七章)

 天は長大であり、大地は久遠である。天地の時空が巨大で永遠である理由は、天地が自身で生じたものではないからだ。だからこそそれは永遠に続いてゆく。有道の士は、天地の時間の最後にいながら同時にその先頭におり、また天地の空間の外側にいながら同時にその中心にいることに気づく。無限の巨大を前にして私の存在は無となるが、しかしそれによって始めて自分が自由な自分になるのだ。

天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私耶。故能成其私。

天は長く地は久(ひさ)し。天地の能く長く且つ久しき所以(ゆえん)は、其の自らを生ぜざるを以てなり。故に能く長生す。是を以て聖人は、其の身を後にして身先(さき)んじ、其の身を外にして身存す。其の無私なるを以てに非ずや。故に能く其の私を成す。


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