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「らしさ」とは?
オーストラリアにワーキングホリデービザを使って渡航する前は、出発準備をするためにエージェントの会社にしばしば通っていた。エージェントは何から何までやってくれるのはいいのだが、今思えばそれほど割に合わないサービス料金を支払ってしまったように感じる。これからワーホリに行こうと考えている方は、エージェントを介さず自分で調べて準備するのが良いだろう。ネットに情報はいくらでもある。
エージェントには航空券の確保から海外保険の手続き、現地での銀行の口座を開設などなど本当に多くのことをやってもらったが、他にも渡航してからどういったことに気をつけるべきかといった、情報やアドバイスをもらうこともあった。そこで、エージェントの偉いおっちゃんがこんなこと述べていた。
「オーストラリアの人たちと仲良くなるにはね、オーストラリア人らしく振舞わなくちゃいけないよ。」
ん?
この人の言う「オーストラリア人らしく」、というのは、明るく元気に、ということらしい。確かにワーキングホリデーと画像検索してみても、そういった類の画像が多く散見される。
ただ、僕はこの「〇〇らしく」という言い回しがあまり好きではない。「らしく」、「らしさ」なんて言葉が用いられる時は、大抵個人や世間一般のステレオタイプやレッテルを押しつけているからだ。
確かにこの国の人たちは感情表現も豊かで、一つ一つのリアクションも大きい。だが、オーストラリア人にだって絵に描いたような「明るく、元気」にそぐわない人だって大勢いる。ゲーム大好きインドア寄りの僕が現地で仲良くなったのは、むしろそっち側の人たちだ。彼らは決してネガティブというわけではないが、コメディドラマに出てくるような「イェーイ!」の雰囲気を醸し出している奴らではない。
逆に僕がこの「明るく、元気に」を無理に常時開放型で実行しようというもんなら、友達はそれほどできなかったし、しんどい思いをしていただろう。偽りの自分を演じるほど精神的にくることはない。それに、人は他人の感情に敏感だ。装った嘘の感情はすぐバレてしまい、空回りしてしまう。どこの環境へ行こうと友達を作るには、「自分らしくいる」ということが大切なのだ。そうすれば似たような仲間が自ずと引き寄せられていく。
そういやそのエージェントのおっちゃんは、こうも言ってたな。
「握手する時は強く握らないといけないよ。握り方が弱いとオカマだと思われるからねぇ」
ウソつけ。こちとら握手する時そんなに強く握らない男性に何度も会ったことあるし、別に誰もそんなこと思わんよ。てか別にその時だけオカマだと思われても俺は何とも思わんよ。いや、別に俺はオカマではないけど性的マイノリティに対して寛容な国だからそんなことで周りから嫌われたりすることなんてないし、誤解を解く余地はいくらでもある。この言葉で、この人の中の握手の力が強い=男らしいという図式が見えてしまい、自分の中のステレオタイプが強い人なのだろうな、と感じてしまった。
毎年岐阜で行われているNHK主催の学生落語の大会。今年もコロナ禍ではあったものの、何とか開催することができた模様だ。予選では200人近くの学生たちが落語を披露し、審査員に選出された8~10人ほどが翌日の決勝に進出できる。
そんな予選の審査基準の項目の一つに、以下のものがある。
学生らしさ
この言葉を見ると、今でも非常にモヤモヤする。「らしさ」という言葉が用いられているのは言わずもがな、具体的に学生らしさとは何かということが全く明言されていない。おそらくこれも若い人だからこそ「元気かつ、明るく」振舞ってほしいというレッテルによるものだろう。元気がなくても面白かったらいいんじゃないの。色んな学生がいる、というか多分全国的に見て落語研究会は元気な人より元気じゃない人の方が多い。まあこの大会の決勝には例年陰気な人も上がっているので、そもそもこの審査基準は記載されてるだけのものなのかもしれない。できればそれを願いたい。
しかしながら、個人を指した「らしさ」、例えば「君らしいね」みたいなのは聞こえが良くて好きだ。「オーストラリア人」、や「学生」といった大きな集合体を指した「らしい」は多くの例外を含みうるため宜しくないが、よく知った特定の人物を指しての「らしい」発言は、その人間の価値観を肯定されていて心地良い。