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好きな作品を語る:リアリティをとことん追求した『仮面ライダークウガ』

仮面ライダーが好きだ。

リアルタイムで見ていたのは幼稚園年長から高校くらいまで。『仮面ライダー響鬼』あたりから人物描写や物語の内容といった特撮のより深い部分まで理解できるようになり、よりのめり込むこととなるのだが、それ以前はまだ幼かったためストーリー展開はよく分からず、「わー、かめんらいだーかっこいー」くらいのノリで見ていたのを記憶している。

時が立ち、2010年代。とにかく時間を持て余していた学生時代。1回生だった頃にとても仲良くしてくださった部活の先輩は、無類の特撮好き。カラオケでも知ってる特撮や全く知らん特撮ソングを楽しそうにノリノリで歌う方だった。今はシナリオライターを目指してる、であろうその人の影響だろうか、ふと小さい頃に見ていたが、ストーリーを追えなかった過去の仮面ライダー作品を見返したくなり、初期の平成ライダーを片っ端から見ていった。

仮面ライダーは制作された年号から「昭和ライダー」、「平成ライダー」、そして「令和ライダー」としばしば区別される。そんな平成ライダーの中で、僕が特に愛してやまない作品が、記念すべき第1作品目、『仮面ライダークウガ』だ。

昭和ライダーでは行われなかった試み、設定を多く取り入れたこの『仮面ライダークウガ』だが、この作品の大きな特徴として、「リアリティ」がある。「特撮」というフィクション作品でありながら、できるだけ現実に即した描写がなされているのだ。

例えば、ヒーローが新しい力を得てパワーアップ、なんていうのは特撮のお決まりとなっているが、『クウガ』の場合、従来の特撮でみられる「パワーアップだ!うぉっしゃーどりゃぁー!」といった形であっさり片付かない。まず新しい力の発現に驚く、そして戦いながら、手探りでどんな能力かを理解していくのだ。初めてドラゴンフォームという力を発現した、オダギリジョー演じる主人公、五代雄介のセリフがこんな感じ。

「ジャンプ力が上がってる!」
「パンチ力が、弱くなってる!」
(『仮面ライダークウガ』 EPISODE5 距離)

そりゃそうだ。新しい力を手に入れると、あたかも知ってたかのように立ち回ることが多いのが特撮作品だが、リアルに考えてみれば「新しい、力」なのだから使い方なんて最初は分かるはずがない。特撮のセオリーを根底から覆した描写、といえるのではなかろうか。にしてもリアリティのためにここまでやるか、と学生時代の僕は度肝を抜かれたものだ。こんな描写のあるライダーは僕の知る限りでは『クウガ』だけである。

こういった決まり事を破ることは勿論、『クウガ』では、リアリティの助長のために特撮のお約束的シーンにできるだけ理由付けがなされている。怪人があと一回攻撃すればとどめを刺せるというのに「ギボヂヂソギギダバ!(いのちびろいしたな!)」と言って去っていく(いやなぜとどめを刺さない!?)だったり、怪人が毎回一体ずつ登場してヒーローと戦う(なぜ全員でやってきてリンチしない?)だったり、それすらも現実味を持たせられるよう極力設定で補完されてあるのだ。

そして、リアリティに関する描写の極めつけは、

クウガに変身する青年、五代雄介の、

怪人と戦う、という行為を、終始「暴力」として描いているところにある。

「好きになれないから、あの感触は。」
(『仮面ライダークウガ』 EPISODE2 変身)

「仮面ライダー」という架空のヒーローは、悪を蹴散らす子供たちの憧れであり、今でも僕の憧れでもある。だが、もしもこの現実世界で自分が仮面ライダーとなり、怪人と戦って倒したとして、その行為は果たして気持ちの良いものだろうか。

格闘技などのスポーツを除けば、人を殴った、蹴った時に得られるのは圧倒的胸糞の悪さ、不快感、罪悪感、負の感情である。そして、対象が悪者だったとしても、仮面ライダーは「命を奪う」という行為を行っている。同じ立場だったらきっと耐えられないだろう。

「俺を殴って、どんな気がした?
 嫌な感じがしただろう。それをあいつはずっとやってるんだよ」
(『仮面ライダークウガ』 EPISODE30 運命)

『クウガ』では、そのような立場に置かれた五代の苦悩が各エピソードで丁寧に描かれているのだ。人にはサムズアップと共に笑顔を振りまきながら、そういった負の感情を仮面で隠しつつ戦う・・・

五代のできることなら変身したくない、戦いたくないという心情は細かい描写でも見てとれる。

「タイタンフォーム」という力を使う時、クウガは剣を用いて敵を倒すのだが、

毎回剣で怪人を貫いた際、怪人から目を背けている。

要所要所の絵が、正義の味方であるはずのクウガの行為を「暴力、殺人」であると我々に訴えかけているのだ。

そして、今作のラスボスである通称「究極の闇」、ン・ダグバ・ゼバとの戦いでその「正義として振るう拳も、また暴力」という作中の一つの大きなテーマが集約される。最強の敵に対して一度やられてしまった五代は、最強のクウガ、「アルティメットフォーム」となって、雪山で最後の戦いに挑む。アクションシーン、と呼んでいいのかとまどうような戦いの描写。セリフは一切なく、映像だけでこちらに訴えかけてくる強いメッセージ。ぜひ目撃していただきたい。ちなみにこの最後の戦いが描かれたのは48話。最終回より一つ前の話である。ちなみに最終回で主人公五代雄介はクウガに変身しない。それも非常に斬新であり、『クウガ』という作品らしい点でもある。

勧善懲悪という王道を貫きつつ、どこまでもシリアスに突っ切り、一切の妥協を許さなかった『仮面ライダークウガ』。好き嫌いはあるかもしれないが、どこまでも完成度が高く非の打ち所がない映像作品だ。現代のド派手で盛り上がる特撮に慣れている人こそ、ぜひ鑑賞していただきたい。

P.S. 大学のつまらん授業の時グロンギ語を練習してた時期がありました。今でも少し喋れます。

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