新すばせかはあらゆる「続編」という括りの中でも最高の作品だった
8月4日 午前3時42分
ゲームをやっていて久々に夜更かしをした。RPGクリア時は日を跨いで夜明け前になっていることが多い。この手のゲームの主人公はストーリー終盤になると世界を守るために大抵奮闘し、緊張し、疲弊しているものだが、ゲームをプレイしている自分も睡眠を削ることでその極限状態に限りなく近づけて、より感情移入しやすくするという算段である。次の朝の目覚めは悪く気分も優れないが、どこか不思議と心地よいモノだ。
2007年に発売されたニンテンドーDS専用ソフト、『すばらしきこのせかい』通称すばせか。DSというスペックが限られた媒体でありつつもあらゆるオシャレなカッコ良さを詰め込んだこのアクションRPGは、ゲームファンに隠れた名作として知られることとなり、その名を馳せた。
そして今年、7月27日に発売された、『新すばらしきこのせかい』
実に14年の時を経てニンテンドースイッチでの続編が発表されたのが、昨年末のことである。僕は恥ずかしながら今年の4月までその情報を知らなかったわけなのだが、知った際は非常に歓喜したものだ。
が、
この『新すばせか』に関しては正直、懸念もあったのである。
個人的な見解になってしまうかもしれないが、「続編」という類のものは前作の評判を越えられずに終わってしまうことが多い。中には例外的なものもあるが、特にゲームに関しては「とりあえず続編だしときゃ売れるっしょ~」的な思惑が透けてみえるような、半ばやっつけ仕事的に作ったのでは?といった作品も散見される。
大好きな作品だからこそ、続編こそ傑作であってほしい・・・
なんて心配は一切する必要はなかった。
発売前に、冒頭の内容のみ収録されているデモ版をプレイした時点でそんな不安は吹っ飛ばされたのである。圧倒的クオリティのオシャレ音楽やバッジを用いたアクション要素のカッコ良さは健在。そして過去作で敵キャラだったミナミモトの仲間としての参戦という胸熱シーンなど、これはどう転んでも素晴らしい作品となるに違いない。既に僕の中でのボルテージは高まっていたのだ。
そして本編発売から一週間ほど、のめり込むようにして深夜帯にクリアわけなのだが、
率直に言って、神ゲーだった。
RPGでこんなに心を打たれたのは久々だった。ペルソナ5をクリアして以来、5年ぶりくらいだろうか。僕はこれを感じるために作品に触れているのだ。
RPGというストーリーに即してキャラクターを操作し、育てていくゲームはあらゆるギミックやシステムから成り立っているわけだが、このRPGが「神ゲー」になりうるか否かは、大抵一つの要素に依存すると思っている。
RPGが神ゲーになりうる最も大切な要素、、、
それは、濃厚なシナリオ、そしてそれを通してプレイヤーの心臓にまで響くメッセージだ。
すばせかのストーリー内では、死神による「死神ゲーム」といったものが進行されていく。ノイズと呼ばれるモンスターと戦いながらミッションをクリアし、各プレイヤーによって構成されるチームが生き残りをかけて戦うわけだ。アクション要素もさることながら、このゲームで前作、そして今作でも通じて描かれているのは、死神ゲームを通しての人間の成長である。
前作『すばらしきこのせかい』の物語は、主人公ネクのモノローグから始まる。彼はコミュニケーションの負の側面を恐れており、他人との関わりを遮断していた。
世界は俺一人だけでいい
自分自身がその全て
他人の価値観なんて意味は無い
俺は誰かと分かり合う事なんて
一生、できない‼
(すばらしきこのせかい)
彼が音楽を聴いてるわけでもなくヘッドフォンをしているのは、他人の声を聞きたくないから。他者との壁を築きたかったのである。
そんなネクの性格は、死神ゲームによって大きく変化することになる。
前作のすばせかでは、敵であるノイズは他のサイキック能力者とパートナー契約をしなくては倒すことができない。否が応でも他人と協力しなくてはいけないのだ。
最初はパートナーとも態度がそっけなかったネクも、他人と関わることや他人の過去を知ることによって友達の大切さ、そして人と関わることで世界が広がっていくということを感じていくことになる。死神ゲームから無事生還し、通じ合える仲間を作ることができたネクがヘッドフォンを取ったところで物語は幕を閉じる。ゲームの最初と最後で、彼は大きく変わったのだ。
そして最新作『新すばせか』でも物語のミソとなるのは、主人公の成長だ。
今回の主人公であるリンドウは、特に大きな特徴もなくいたって普通の渋谷にいそうな高校生。
前作のネクとは違い性格に難があるというわけではないが、彼も欠点ともいえる部分を備えている。
自分で決めることができないという点だ。
彼にはフレットという仲の良い友達もいるし、会ったばかりの他人と話せるコミュ力もある。のだが、責任を取ることを恐れるあまり、決断力に欠けているのである。
前作のネクの「他人との隔たり」と比べるとそれほどエッジが効いていない欠点かもしれないが、この責任感の欠如というのも現代の生活と照らし合わせると大きな問題だ。決断を恐れ、他人に依存した人生を送ることは、自由を失うに等しい。自分で全部決めてこそ、初めて生きているといえるのではないだろうか。これは前作で羽狛さんが言っていた「全力で今を楽しむ」ということにもつながってくるのではないかと思う。
そんな今作主人公のリンドウは、敵を倒すサイキック能力の他に、彼自身にしか使えない特殊な能力をゲーム内で手にすることになる。
それが、リスタートだ。
ある特定の条件下で本日中に起こった出来事のみやり直すことができるというこの能力。ゲーム性を面白くしていると共に、シナリオにもかなり濃密に関わってくることになる。
そして、このリスタートがリンドウの性格にも大きく影響を与えるのだ。
先程も述べたのだが、リスタートが使用でき、かつそれを認識できるのはリンドウのみ。過去に戻って未然の事故を防ぐためには、未来で何が起こるかというのを仲間に伝え、自分が中心となって行動する必要があるわけだ。プレイヤーはゲームでの経験を通して少しずつだが「自分で決めること」ができるようになっていくリンドウの成長を体感できるはずである。
そして使用条件が限定されているものの、「過去に戻ることができる」なんてチート的能力が最後の最後まで使えるわけはそりゃぁない。そんなんじゃ黒幕も涙目だ。物語の大詰めでは、このリスタート能力に関連した大きな決断を迫られることになり、リンドウの「真の責任感」を問われることになるのである。詳しくはガッツリネタバレになってしまうため伏せたいところだ。なんとももどかしい・・・
そして迎えるラスボス戦。戦闘中に長い間主人公リンドウを見ていたある仲間が声をかけるのだが、そのセリフは終盤の伏線回収も相まって、思い出しただけでも涙腺を刺激される。
...最初の頃と変わったね
いいじゃん 自分で決めてる
(新すばらしきこのせかい)
すばせかの渋谷を通して描かれる人間の成長は、僕らの普段の生活にも通ずる強いメッセージを伝えている。
おわりに
娯楽に溢れた現代では様々な媒体で物語を通しての追体験ができるわけだが、RPGほど感情移入しやすく、胸打たれるものはないのではとクリア後にふと思ったのであった。そろそろ30になろうとしている僕だが、この感受性は失わないようにしたい。
あー、渋谷行きてぇナ