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【質問回答】不安のあまり、彼の携帯の中を見たくなってしまう。そんな自分が嫌!どうすればいいの?
夏を愛する私は、8月に入っただけですでに遠く遠くから秋の香りがしてきて、それがなんとも言えずさみしくわびしく、無常のこの世についつい、哀しみを覚えてしまいます。
夏だ!海だスイカだ太陽だ!という、この知性をまったく必要としない子供時代の喜びが、この年になってもこうして影響するものなんですね…
そんな寂しさが感じられる夏の一日。
本日は、こちらのご質問にお答えいたしますよ。
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質問者さまは、なぜにこのお悩みを、私が一蹴してしまうようなものだと思われたのでしょうか…とんでもないことでございます。私にもお気持ちはわかりますとも!
若い頃の私は、なにを隠そう、典型的なメンヘラ女子でした。深夜にコンビニのバイトをしているという彼氏と、バイトの終わったであろう時間になっても連絡がつかないことが頻繁にあるだけで極度に不安になり、そもそも本当にバイトに行っているのだろうか?と考え始めると疑いが止まらなくなって、抜き足差し足忍び足で実家をそーっと後にし、そのコンビニまで彼を見に行ったことがあります。暗い深夜のコンビニの柱の陰から、店内で働く彼を覗き見していた自分は、かなり怪しいやつでした。
以前の私は、そんな自分を心から恥じていました。なんでこうやねん。なんで心の健全な人たちはこんなことをしなくても相手を信用できるのに、なんで自分はこうして、深夜に、コンビニの端っこの、煙草の吸殻のたまった殺虫灯の青い光の下で、蚊に刺されながらこうして地縛霊のように店内を覗いているのだろう…と思いました。人の愛を疑う自分が情けなくて、惨めでたまりませんでした。
でも今は、当時の自分を、本当に仕方がなかったと思います。自分には愛着障害があったのです。そしてそれは、自分が好んで得たものではないのです。育つ過程で、不本意にそうならざるを得なかったものなのです。
愛着障害とは、幼かった頃に親などの養育者との愛着が何らかの理由で形成されず、人との間に信頼や親密さを築くことが難しい状態のことを指します。
愛着のスタイルにはいくつかタイプがあって、「安定型」「不安型」「回避型」「恐れ・回避型」の4つに分けられます。(それぞれのタイプの特徴についてなど、詳しいことはネットや本などで調べてみてくださいね)
私は、愛着障害の不安型が強いタイプでした。恋愛が何より重要だったし、相手が愛情を示してくれたり、浮気なんかしていないという確信が得られたときは安心して楽しく過ごすことができるのに、その安心は長続きせず、あっという間にまた疑いがのしかかってきて、不安になってしまう。
穴の空いたコップに水を足すようなもので、満たしてもすぐに空になる。こうして、ずっと愛情への飢餓状態が続いてしまうのです。
ここから抜け出すのって、本当に難しいことです。自分でも嫌なのに自分をどうにもできず、そんな自分を軽蔑してしまうし、苦しくてたまらないんですよね。これを自ら抜けるのは、至難の業だとは思います。
しかし本当に運良く私は、長い年月をかけて徐々に、自分でそこから抜けることができました。今になっておすすめできることは、公認心理師さんなどの専門家の力を借りることです。もちろんカウンセリングなどで誰でも必ず治すことができるとは言い切れませんが、大きな助けとなると思います。
ですが、せっかく私にご質問をくださったのですから、ここでは私が自分で抜けたプロセスについて書いてみますね。
私は自分で自分を客観視する練習をして、それを体得していくことで自分の愛着障害を改善することができました。とはいえ、それを目的に始めたことではなくて、なぜこんなにも自分は異性との関係に問題があるのだろう、一体相手から見た自分はどのように見えているのだろう?と純粋に疑問に思ったところから、ふと自分を外側から見てみるのを試してみたことが、きっかけだったのです。
これがまあ、外から見てみると本当に、衝撃的な姿でした。自分がいかに自分のことを魅力のない人間として見ているのかを、思い知らされました。
床で洗濯をしながら自分を見てみると、私はガリガリに痩せて、不機嫌な顔で、輝きも艶もない、どこか犯罪者を思わせる人相の、醜いアジア人女性でした。私は、こんなふうに自分のことを見ているんだ!他でもない自分自身こそが、自分をこんな人として見ているんだ!ということが、ものすごくショックでした。ショックすぎて、その場で号泣しました。
自分のパートナーから、魅力的だと思われていたい。でも、彼は他の女性の方が魅力的だと思って、そっちに行ってしまうのではないか。そんなのひどすぎる!と思っていたのに、自分を魅力的ではないと思っているのも、他の女性達のほうが魅力的だと思っているのも、全部自分だったのです。
自分よ、ずっとずっとそんな扱いしてきて、本当に本当にごめん!!
文句しか言ってこなくて、見捨ててきて、そんなんじゃダメだって言い続けて、クズだのゴミだの余り物だの、恥だの出来損ないだのと思い続けてきて、ずっと置いてけぼりにして、振り向きもしないで、こんなんじゃ嫌だって言って別の自分になろうとばかりしてきて、本当に、ごめん…と思いました。もうもう、泣きすぎて大変でした。あの時、我が肺は破れたり…
この客観視をその後もやっていくことで、子どもの頃の自分が、素の自分が親に愛されなくとも、それは親がおかしいんじゃない、自分が駄目だからなんだ。ということを、考えるよりも先にまっすぐに信じてしまったのを、強く感じました。子どもは親を否定しないので、親を正しいと思うには、自分を否定するより他に、方法がなかったんだ!と思いました。
だから、仕方なかった。どんな人だってそうです。好き好んで、自分を否定する人なんていない。でも、するしかなかったんです。それが親を愛し、親についていくための方法だった。生きる術だったし、生き残るための唯一の道だったからです。これは、地球人に備わった機能だと言っていい。
だから、しょうがないじゃない?あなたのせいじゃない。あなたが変なんじゃないんだ。あなたはごくごく普通で、真っ当で、健全な人なのです。
自分を客観視しはじめてみると、そもそも、自分の夫が自分をどう見ているのかということは、私にはわかり得ないことだということが、よくよくわかりました。彼から見た私というのは、私には永久に知り得ないものなのです。ほんと、どう見てるんでしょうね?それはわからないことです。
当時の私には、この至極当たり前のことが、わかっていなかった。
どうせ私のことは、誰よりも大切だとか、この人がいればもう俺は他に何も要らないとか、そんなふうに思ってないんでしょ!という不安由来の思いが強すぎて、「いや、それあなたの想像ですよね」という当たり前のツッコミが、自分の中で働いていないのです。ここが、盲目なのです。
真実を言えば、どんなにひっくり返ったって、太陽が西から登ったって、相手の感覚というのは私にはわからないことなのです。ただ、この「わからない」が不安でたまらないのですね。
そばにいるのに、一緒にいるのに、夫婦なのに、それでも眼の前の人物の感覚というものは、互いに、永遠に、わかり得ない。すべての人にとって、これはどうにもできないことです。
この燦然たる事実を、当時の私は、どう受け止めてよいのかわかりませんでした。とてつもない孤独感だと感じられる。でも、みんなみんな、この世のすべての人がそうなんだと思うと、一体感だとも感じられる。自分を客観視することで、私はようやく、遅ればせながら、この動かしがたい真理に出会うことができたのでした。
このことから私は、相手のことが「わからない」のは仕方がないこと、受け入れるしかないこと、なのだと知りました。人ってみんな、こんなに孤独な存在だったのかよ~と思いましたさァ…人間~なんてララーラーララララーラー…(よしだたくろう『人間なんて』参照)
そこから、でもそうは言っても、きっと彼はこう思っているんじゃないか、ああ思っているんじゃないか!と考えてしまうたびに、でもこれは、自分の勝手な想像なんだけどね。と思えるようになりました。ぜーんぶ、自分の作る思い込みなのです。いわゆる、妄想なのですね。
これが続くと、どうなるのか。
そうなんです、自然とゆっくり、諦めはじめるのです。
誰かのことを、思い通りにはできないのだと。
放っておいても、すがりついていても、その相手が何を感じ何を思っているのかはわからないし、こちらの好むように変えることもできない。
だから、たとえば「私のことなんか愛していないくせに!」と思っても、それも怪しいのです。わからんのです。
そう思ってみると、あれ?愛されてるのかもしれないな?なんかこちらに向かってすごく一生懸命じゃないか?どうした?!おかしいな?!と見えてくる。
不安で不安でどうしようもなかった頃と比べてみると、これは私の感覚ですが、どうにも決めつけられなくなってきちゃった、わからないから放置してみちゃった、確証を得たかったけどもうそこは諦めちゃった、しょーがないから手放しちゃった、そしたら相手も意外と、心の奥底では他者との愛情ある良い関係を求めているフツーの人だった…という感じでした。
あんなに不安型地縛霊だった私ですが、もちろん疑うというのはそのモードに入ってやろうとすれば際限なくできるでしょうけれども、今は根底のところを疑うことができなくなってしまいました。
もっと深く観察してみると、自分は何があっても大丈夫だと感じているのです。彼がどうこうということではなく、私が大丈夫なのです。
(不安型だったというのは、当時テストをしてみてわかったことではなく、今思えばそうだった、という今の私の判断です)
この変化を遂げたことで、私は自分で自分を客観視するステップから無駄を省いていき、秘行というワークコースにして提供し始めたんですね。
ちなみに夫は、典型的な「回避型」の特徴の強い人でした。今は私の見る限りでは、根本的に治っていると言えるのかということはわかりませんが、私に対しての彼の安心が増し続けているように見えます。(私はこれを的確に診断できる有資格者ではないので、あくまでも私見です)
以前の彼は、できるだけ私とは一緒に居ないように逃げ続けてばかりいて、「過去について聞くな」「自分について話すのは嫌いだから聞くな」「愛だの恋だのについて話すのはやめろ」という人(ひどい!)でしたが、今は私の幸福が栄養となっているような様子で、一生懸命に世話を焼いたり、とにかく楽しませよう喜ばせようとして、毎日なにかしらのプレゼンテーションをしては私と関わろうとしています。これは、改善の難しいと言われる回避型にしては、大きく変化した例といえるのかもしれません。というか、もはや別人の印象ですよね。
こうなると本当に、どちらかが出かけている間などにも、こちらからは電話も入れなくなっちゃうものなんですね…あちらから「電話してよ」と言われる始末です。彼が近くに居ないときは、私もなにかに夢中で、彼のことは忘れてしまうんですね。一人の時間が本当に楽しいのです。だから、私自身もまた、ものっすごく大きく、変化したのだと思います。
あなたが携帯の中身を覗きたいという欲望に駆られるというのは、本当にお辛い状態ですね。そんな自分のことが自分でも反吐が出るほど嫌なのに、それでも覗いてみないと気がすまないような感覚。傷つくのは死ぬほど怖いのに、傷ついてもいいから見たいという自暴自棄な感じ。わーかーるーよーーーー!
世の中ではよく、スマホの中にその人の本性が入っていると言いますよね。
これはこれで言っていることはわかるのですが、私はそうは思いません。
スマホの中にあるのは、その人の妄想の世界です。やってきては流れていく、その人の思考。その思考から連想ゲームのようにやってきた、別の思考。それによって湧いた、その場限りの欲求。こうしたものが、その人を本性から遠ざけて、気の迷いを生む。スマホは、その気の迷いがいっぱい詰まったゴミ箱みたいなものなのです。
私も、自分でブラウザの履歴を見てみると、バカみたいなことを検索したり、どうでもいいようなことに一瞬気が向いて保存したあとなどがたくさん見られます。『三角コーナー 代わりになるもの』とか『足の臭い 原因菌』『フィギュア 服を脱がせるとどうなる』とか、ちらっと見かけたGoogleディスカバーの記事の見出しから思いついた、どうでもいいことを調べていたりします。(恥)
昨日だって、ロシアのボクシングチャンピオンが、人を助けようとして大怪我を負ったというニュースを見て、ロシア語の情報のソースを探してみているときに流れるようにしてボクシングについてのあれこれの情報を見て、「そういえば、体重何キロからが、ヘビー級だったんだっけ…」となんとなく思って、それを調べました。ついでに、ヘビー級ボクサーたちのすごい身体の写真がたくさん出てきたので、しばらく感心して眺めました。私のスマホを探ってこれを見た人は、どう思うでしょうか。
うわ~!壇珠さんはやっぱり、ボクサーみたいな身体の男が欲しいんだ!とか、もしかしたら壇珠さんは、ボクシングを真剣に始めてみようとしているのかもしれない!などと思ってしまいますよね。
そして、これが壇珠さんの本性なんですね!と言われても、うーん。一日にほんの少しの間、つらつらとネットサーフィンしただけのことなんです。三角コーナーの代わりになるものも、足の臭いの原因菌も、フィギュアの服を取ったらどうなっているのかも、ボクシングもボクサーも、ひとつひとつが重要なのではないし、どうでもいいのです。ぼんやりしているときにダウンロードしたアプリも、ゲームも、別にどうでもいい。結局後で消すんです。
たとえそんなものだとわかった上で覗くのだとしても、やっぱり不安が強いときに見ると、どうしてもそれらが重要な情報に見えてしまうものです。
無駄な思考がやってきては流れていくという点で、スマホというのはつまり私たちの脳内なので、脳内と同じように『絶対に覗くことができないもの』だと思ってしまうのが良いんです。たとえ覗いてみたとて、本人ですら覚えていないようなバカバカしいと思えるもので溢れているのです。肉体の外に突出している脳だと考えて、それを覗くのは禁止だとして、きっぱりと線を引いてしまう方がいいんですね。
どちらにせよ、本物の彼の脳内をのぞくことはできないのですから。彼自身もきっと、彼の脳内に何がやってきて何が去っていったのかを覚えておらず、この先のこともわからないのです。
彼の本性は、そんなところにはない。
それは、スマホなんかよりも、彼の行動に現れているのです。
あなたに連絡をしてくる彼。
あなたとの付き合いを続けている彼。
彼は一体なぜ、それをするのでしょうか。
彼のスマホの中のことを考えるくらいなら、彼が自分の意志でやっていることを、もっとよく見てみてみるほうがいい。
しかし、それよりなにより、あなたが見るべきは、あなた自身です。
あなたは一体、あなた自身をどう見ているのだろう。
外から見たあなたは、あなたにとってどのように見える人だろう。
あなたは何が不安で、何を思い込むことで自分を守っていて、そのために何に囚われているのだろう。
そしてそれらは、”本当”なのだろうか。
ここを少しずつ少しずつ解いていって、いつか突き崩すことができたとき、あなたの「不安によって身を守る」生き方が、少しずつ変わってきます。あなたはあなたを誤解している。その誤解を解いてあげるんです。
前述の通り、これをするのに専門家の手助けを借りるのは良いことだと思います。でももしもまずは自分で取り掛かってみたかったら、これはちょっとした心理ゲームのような遊びだと思って、たとえば彼から見たあなたを、可能な限り正確に想像してみてください。
想像できたら、神に誓ってそれが絶対に正しいのだと言おうと考えてみて。神よ、これが間違っていたならば、我が命を差し出すと約束しましょう。と言えるかどうかを考えてみて。さあ、するとなにが起こるでしょう。
こんなふうに、あなたは、いや、あなただけでなく彼自身も、彼の本当の感覚というものを知っているかどうかを、改めて考え直してみてください。
あなたの思うあなた。あなたの思う彼。それらをニュートラルに疑ってみることは、きっと小さくとも変化の足がかりになるはずです。
繰り返しになっちゃいますが、あなたはどこもおかしくないのです。あなたは今のあなたになるしかなかったし、それがベストだったのです。だからそれを過剰に恥じず、堂々としてね。そして、これまでその地獄のように辛いその不安を抱えることで生き抜いてきた自分を、どうか労って、抱きしめて、よくやってきたと慰めてあげてください。
あなたがこれからの変化を謳歌できることを、心から祈っています。
参考になるところがありますように~!
それでは、またね。
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![菅 美智恵 (壇珠-たんじゅ-)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/10351719/profile_73e6404d6adbe5b2d720f8b81279b983.jpg?width=600&crop=1:1,smart)