義理歩兵自伝(19)

義理歩兵自伝(1)はこちら!

道路の真ん中に巨像を停め、セメントを排出するための巨大な流しそうめんの受けのような部材を次々に手際よく設置する運転手。

この時、氷室ックになりきっても彼ではクールすぎて作業に当たれないし、健様になりきるとこの場で潔く謝って職人を呼び、彼らに払う代金を調達するためにどこかに去って、その先で必ず何かをしでかして網走に行く事になってしまうし、いくらなんでもイーサン・ハントに左官コテを持たせて土間コンを打たせるわけにもいかないし、

テンションを上げるためのなりきり人物すらネタ切れだった義理浪士は、きっと最も本来の自分に近いという理由でいつか自分をふんわりとした優しい気持ちにしてくれた田中邦衛・北の国からの五郎風の愚直さのみを武器に、ただやってやってやってやり切ろうという決意のもとそれを眺めました。
 
 
その場には、清丸兄貴が朝から心配して見に来てくれていました。
あの時は異常な緊張状態だったためにわかりませんでしたが、今思えばなんという思いやりでしょうか。
感謝をもっと伝えればよかったと、後悔しています。

準備が整い、ゴングとともにコンクリートマンが駐車場に流し込まれると、その体積と想像以上に大量に含まれている砂利の凹凸が義理浪士の心に早くもコンクリート固めの技をかけました。
自分の首が絞めらるのがわかりました。

清丸兄貴は、いよいよだというちょっと嬉しそうな様子で、その形状からトンボと呼ばれる長い柄の先に7センチ前後の板状のものがついた砂利を沈めるための道具を手に取り、使い方の手本を見せてくれました。

ジャクジャクと音を立てて、生コンの中から無数に顔を出している砂利を叩いて沈めるその時の清丸兄貴の上半身は、エンジンがついた、弾む燻製ハムのようでした。
彼には、燻製ハムの姿で手練の業を見せながら、僅かに微笑んだ口元から簡単な解説とともに爽やかな経験者風を吹かせる余裕すらありました。

義理浪士はそれを見て瞬時に理解しました。
これは清丸兄貴だからこそ簡単そうに見えるのだ、自分がやったら無茶苦茶キツイに違いない・・・・・・
 

 
そうして熟練の技を披露された直後に、「じゃ、がんばって」などと言われてトンボを手渡しされ、リングに入るときの羞恥心。想像できまっか!!

あの場違い感たるや!!!

ああ~~~今こうしてひとりで部屋に居て思い出しても顔を伏せたい衝動に駆られます。

義理浪士はあの時一瞬考えました。

この、ここでいきなり清丸兄貴の動きをそっくりそのまま真似ようとすることに対する抵抗感は、「先輩に目の前でタバコを吸って見せられお前もやってみろよと誘われ、自分は吸い方さえ知らないがその先輩がたまたま人差し指と親指でタバコを持つ人だったからといってそこから真似てしまうのはえらく恥ずかしい気がする」のと同じ感覚だ・・・
かといって独自に人差し指と中指で挟んでみせたりしたら、「こいつ女みてえ」って言われる気がしてそれもダメだ・・・・!
だからってこの場は吸いませんなどと言える空気じゃない!!

このように、砂利を叩くという作業を自分独自のスタイルでやった場合にどうなるのかわからないことがどういうわけかひどく恥ずかしく、仕方なくぎこちなさをそのまま露出して作業に入った義理浪士でしたが、あれは自分にとってヌードになるよりも恥ずかしいことでした。
 
しかし、そんなマキシマムに下らない迷いなど、リングに入ってしまえば当たり前に吹っ飛びました。

砂利を叩くたびに肩まで突き抜ける衝撃は、作業が開始して数分で、このあとそれがいとも簡単に痛みに変わることを予知させました。

清丸兄貴はお手本を見せて自分の作業に戻ってしまったし、あとは大卒マスクとともに、自分たちでこの大量のコンクリートを鏡のようにピカピカに磨き上げなければならないのだ・・

駐車場には天然石でラインが施されており、その周辺をすべて磨き上げるのは至難の業で、1つの石の周りを終わらせぬうちから、これがいかに無謀な挑戦だったのかを思い知らされました。
肩も背中も腕も痛くて、思うように砂利を沈めてセメントを磨くことができない・・しかし、手を止めればコンクリートマンの「カチカチに固まんぞドロップ」が決まってしまう・・・・

私たちはその後お昼を食べる余裕もなく、恐ろしいスピードで固まりゆくコンクリートマンとの13時間もの死闘を繰り広げました。
1時間も過ぎた頃にはあちこちが痛み始めていた義理ッケンJrは、10時間を過ぎたあたりから全身の激痛でほとんど正気を保てていませんでした。
 
そんなことは言いたくもないのに、意に反して「腕が痛すぎる、腕が痛すぎる」とずっと言ってしまうのです。
青い鳥を探すどころか、そばのゴミ捨て場からカラスの鳴き声が聞こえてくると「うるせー!死ね!」などと言ってしまうのです。

13時間後、夜の9時になって、最後の角の磨きを終えて、駐車場一面が半乾きのコンクリートによって一枚の鏡のように月明かりを照らし返しているのを見て、義理浪士はクサい芝居のように、がっくりと膝をついて、その場にバタリと倒れました。

勝った・・・・賭けに勝った・・・・・・・

冬のアスファルトは氷のように冷たく、身体の温度を触れた途端から吸い取り始めました。
起き上がって、片付けをしている大卒浪士を手伝わなきゃ、そう思うのですが、すぐに動くことはできませんでした。
そして、いくら冷たいアスファルトにも、この達成感は奪えないのだなと思ったのを覚えています。

自分のリミットを壊したときの達成感の喜びとはなんと自己満足の深いものだろう。
人間はきっと、自分の恐怖心に勝つための賭けができない時に、保証や安定への依存が起きた時に、不満を感じるものなのではないか。
ほとんどのエネルギーを使い果たした空っぽの心に、そんな考えが浮かびました。
しかしそれと同時に、「このスリルが、この達成感が欲しいから、自分は無意識にトラブルの中に頭を突っ込んでしまうのだろうか・・」そんな考えが覆いかぶさってきて、帰りの車で体中の痛みに耐えながら大卒浪士と勝利を喜び合いつつ、自尊心の底に孤独な疑問を持ちました。
 

こうして、無謀なチャレンジをするのが当たり前になってしまっていた義理浪士は、事あるごとに義理ッケンJrと化し、庭を掘り返してみたら大岩が3つも見つかって重機を呼んで運び出すと言われた時にも、いいや俺が自力で動かすなどと言ってやり遂げ、いくつもの小さな社内伝説というのか家庭内伝説というのか、を作りました。
が、そのほとんどがこうしたガテン系エピソードであることに、自伝を書いていて改めて気が付いた次第です・・・・
 
 
工事でどうしても人手が必要な時以外は、義理浪士は娘にべったりでした。
あんまりべったりくっついていたせいで、私が舐め回して匂いを嗅ぎすぎたせいで、私に飽きていたのか?!、娘は私以外の人といるのも大好きで、夜泣きもなく、ぐずりもなく、子育てにとても楽をさせてくれました。
私が眠れば眠り、起きれば起きてくれて、私は娘に寝かしつけというものをした記憶がひとつもないのでした。
幸い母乳がとんでもなくたくさん出たので哺乳瓶も買うこともないまま、娘が3歳になるまでの間で最も辛かったのは乳腺炎で、最も大変だったのは布おむつの洗濯でした。
 

この授乳期には他にも、ニート期に持った人間の意識への興味が続いていて、それを探求するワークショップに参加してみたり、そのマスターの資格を得るために娘を連れてフロリダまで行ったりもしました。
その関連で知り合うことの出来た先輩や仲間たちは、当時から義理浪士にとってとても幸せな時間をもたらしてくれる存在となりました。
それ以外のほとんどの時間は、ひたすら廃工場の改造に明け暮れました。
 
 
ある日、義理浪士は大卒浪士とドライブ中に、木造の家屋が取り壊されている現場の前を通りすぎました。
そこにはその家の骨組みだった木材が大量に並べて置いてあり、それを見てピンときた義理浪士は、大卒浪士に命令を伝達しました。
 
義理「止まれい止まれい!」

大卒「は、なんで?」
 
義理「今の見た?解体現場に大量の木材が置いてあっただろう!」
 
大卒「・・・だから何・・・」
 
義理「もらえるかどうか聞くのさ!!あれはあのまま処分場に捨てに行くに違いないんだから!うちには木材が足りないし、ああいう古材は買うと高いし・・・木が可哀想だろう!」
 
大卒「ええ・・・・嫌だなあ・・・なんでいつもこうなんだよ・・なんでも突飛すぎてついていけないよ」

義理「ダメ元なんだから失うものもないだろ、行くぞ!」

話してみると、彼らは処分場に持って行ってわざわざ処分費を払って木材を捨てねばならず、もらってくれるなら助かるので家まで運んでくれるとのこと。
これで私たちは、一日にして大量の木材を手に入れました。
 

義理浪士は、こうして手に入れた木材のそれぞれのサイズを計測してみた時に、既存の金属のらせん階段を撤去して、この木材を利用して新たに大きな階段を作ることを思いつきました。

この時に自伝(7)で綴った、頭の中で家具の配置を何十通りも考える、「イメージだけでルービックキューブを解いてんのかい瞑想」が役に立ち、義理浪士の瞬間最大知能指数が跳ね上がり、その構造を頭の中だけで練ることができました。
そして、早速図面に起こしてみると、寸分の狂いなくその構造で階段ができることが分かったのでした。
きっと、今までに幸せの椿の花が咲いてはそのまま落ちるのを見て、神様がコイツちょっと可哀想だし・・ってことで、そこから椿油を採って脳内の潤滑油にと垂らしてくれたのでしょう。
 

義理浪士の設計したとおりにバスルームを作るためにコンクリートの床に水道管を通すときにも、既存の道具でほぼ手堀りで進める方法を考案して無理やり進めるなど、大卒浪士に呆れられながらも義理浪士は戦車のように進みました。
途中、アンティーク家具屋で出会った若者二人と意気投合して仲間となり、手伝いに来てもらって一緒に工事をしたりと、キツくとも楽しみながらの道中でした。

しかし、オイまたかよ、ですが、このあたりから大卒浪士の経営するガーデンデザイン会社は経営難に陥るようになりました。

大卒浪士はできるだけ義理浪士が娘と一緒にいられるようにと、一人でも施工可能な現場で自分だけでできるデザイン提案するようになっていましたが、それではなかなか会社は成長せず、仕事の量は一向に増えないどころか、徐々に減っていました。
 

義理浪士は未だなかなか返せぬ義理借金と生活のために、以前に意識探求のワークショップを教えてくれた仲良しのスピ先輩に相談してみました。そのスピ先輩は優しく、面白く、知識豊富で、会って話すのがとても楽しい人で、義理浪士にとってなんでも話せる貴重な相手でした。

スピリチュアル的な活動については、自伝に綴ると膨大な量となってしまうので、別の番外編、否、番外地編として今後別個に綴ってみようと思います。

そして彼はその時、家に居ながらパソコンを使ったお仕事をすることで稼ぐ方法を提案してくれたのです。命の恩人でした。
そして、それにはスカイプが必要だよ、と言われてインストールしたまさにその同日の夜、義理浪士は見知らぬ人からおかしなメッセージを受信しました。

「こんにちはこんばんは、わたしにほんごちょっと、ありがとうさようなら」

・・・・????
なんじゃこりゃあ?
 
義理浪士はそれを大卒浪士に見せてみました。
 
大卒「外国人だね、コンタクト要求ってのが来てるから、返事を書いてみたら?」
 
義理「そうか、よし!」
 
「にほんごじょうずですね、どこのひとですか、にほんはよるの11じです」

するとその外国人は、突然英語でメッセージを書き始めました。
しかし・・・・・・・・・

義理浪士は英語を勉強するのが反吐が出るほど嫌いで、勉強すると本当に口から緑色の反吐が出てしまうので、英語の習得レベルは最低のところにありました。

その外国人が、何を書いてきたのかがわかりません。

焦りました。この外国人は誰かを探しているのかもしれない、なにか困っているのかもしれないし、日本について知りたいのかもしれない。
そう思うと返答できないことにたまらなく申し訳なさを感じました。

無駄に、「日本人はやっぱり英語がダメなんだ、冷たいんだ、と思われるのだけは断じて避けたい」という、独りよがりな日本代表選手意識が生まれ膨らみ、激烈な悔しさを感じました。
大日本帝国軍を舐めてもらっちゃ困る・・・・・・・・・・

仕方なく、その場は急いで大卒浪士に教えてもらって返事をしました。
久々のハッタリで、いかにも自分で書いたかのように。
 
それからというもの義理浪士は、大卒浪士の助けを借りながら、その外国人男性のメッセージに返事をするようになりました。
実のところ、最初にハッタリかまして英語の分かる人のフリをしてしまったため、そのつじつま合わせに必死だったのでした。

毎日パソコンで仕事をしつつ、スカイプの会話についていけるように英語を勉強しつつ、家の修復をしました。
その外国人は、イタリア人で、ヴェネツィアに在住の、義理浪士の4つ年上の男性でした。
日本が好きで、いつも仙台に行く。また今度訪れた際には、都合が合えば東京を案内して欲しい、と言うのです。
 
それからすぐにも義理浪士は隙間時間を使って一日に8時間ほど英語の勉強をしはじめました。
日本について教えてあげたいことがあっても言えないとき、質問にすぐに答えたいのにできないとき、聞きたいことがあっても聞けないとき、悔しくて悔しくて、緑の反吐どころかゴジラのように火を噴きそうでした。

身の回りに常に辞書を用意しておき、英辞郎とGoogle翻訳をブラウザのタブにいつも開いておいき、これを三種の神器とし、いつ球が来てもすぐに打ち返せるようにと肩をいからせて待っているようになりました。

そして、常に事前に会話をシュミレーションして単語や慣用句を調べてディフェンスを完璧にしようとしました。
あいつがこう言ってきたらこう返そう、もしこう聞かれたらその時はこうやって答えてやる・・・・・・!日本の武士の魂、眼を見開いて見るが良い!

次第に簡単な単語なら大卒浪士にも頼らずともよくなり、その代わりに作った文を見せて、他にどんな言い回しができるかを話し合ったりできるようになりました。

こんな調子でまた貧困に苦しみながらも、相変わらず私たちは、かのゴールデンな肩書きを持つエリート氏と、その奥さんとの家族ぐるみのお付き合いを続けていました。
1~2ヶ月に一度は週末に集まって、ホームパーティーをして、DVDを一緒に観て、一緒にキャンプをして、いくら一緒にいても飽きない二人とは毎度の別れが寂しいのでした。
彼らは義理浪士にとって、どんなことにも理解を示してくれる大切な友であり、仲間でした。
 

あるとき、いつものように集まった私たちは他愛もない話をしていました。

そこでゴールデンエリート氏のふとした何気ない一言。

「俺さ、美智恵って本当に男気あるなって思うんだ。どうしてそこまで、って思うほどだよ」

これが、自伝(4)に記したあの矛盾、「義理浪士に視界がブレて立っていられなかったほどのショックを与えた大きな矛盾」にその場で気がつかせる鍵となりました。

そして、それこそが、義理浪士と大卒浪士を別れに導いた、「ドミノを倒す最初の一手」となったのです・・・・・・・・

その全貌は、いよいよ次回から・・・!!

毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)