【質問回答】相手に飽きてマンネリ化したら、別れますか?【男女】【結婚】
読者の皆様、新年明けまして、おめでとうございます。
いよいよあの、噂の、注目の、2025年に突入しましたね!笑
スピリチュアルやオカルトや都市伝説が好きな人たちにとっては、恐る恐る待っていた、あるいは楽しみにして待ちに待った、2025年かと思います。
なにか世界を揺るがすようなことが起こるのか、私たちの生活に大きな変化が訪れるのか。そのあたりのことは私にもわかりませんが、私はあらゆることで結局自分に起こることというのは、個人的に自分自身に試されるということだと思っています。
その時々の自分が、自分にどう感じられるのか。それをどれくらい、自分で自在にコントロールできるのか。これが私たちの経験やフィーリングを形作っていくのだから、それを自分の責任だと思って過ごそうと思います。とてもいい意味で強気に、なんでも自分のせいだぜ!と思うと、なんだか陽気でワクワクした感覚になります。
私は、今年を観察することを楽しみにしつつも、とにかく現実の生活上にやるべきこととやりたいことがたくさ~んあるので、それに熱中して今年も過ごそうと思います。みなさんも、自分の経験、自分次第。ということを楽しみにしつつ、過ごしてみてはいかがでしょうか!これを読むあなたの2025年が、幸福な感覚に包まれた、良き一年になりますように。心からお祈りしております。
さて、新年一発目は、昨年中にいただいていたこちらのご質問にお答えいたします。しばらく質問回答を続けていこうと思いますので、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
これは前提としてお伝えしたいのですが、私は結婚というものを、どうしてもしなきゃいけないことと考えなくて良いと思っています。恋愛感情が続いている間だけその相手との関係を楽しんで、それがなくなってきて飽きてしまったらまた別の人との関係を楽しむ、というのもアリだと思うんです。
叶恭子さんのように、常にそこにフレッシュな愛があるのだから♡ということで、それを謳歌してもいいですよね。それができるというのもまた、素敵なことだと思います。
なので、ここに書くことは、長年続く結婚を、なにがなんでも達成するべきものとして考えて伝えているわけではありませんので、それを前提に読んでいただければ幸いです。
さて、まず結婚というのは、相手への恋愛感情が冷めず、相手に飽きないからこそ続けられる、という性質のものではないんですね。誰の、どんな恋愛感情だって、時間が経てば沈静化します。この当たり前のことをわざわざ考えるのがちょっと変な感じがしますが、誰だって同じ相手には慣れてくるのです。
慣れてきた相手に対しては、出会いたての頃の、マジマジと見つめたりチラチラって目が合えば胸がキュルルンしたりする桃色のファンタジーは、だんだん薄れるものですよね。なにかに慣れることのない人間っていないので、どうしても自然の道理でそうなります。
何十年経っても奥さんに照れる、旦那さんにときめいちゃう、そんな間柄を保っていると言う人はいますが、これも最初のうちの、相手を知らないからこそ感じられるドキドキがそのまま継続しているのではないのです。
そこには愛情が着々と育っていて、相手についての新しい発見などで常に感覚が更新されていて、相手が自分にとっての活力や生きがいとなっていて、常にそのパートナーが自分にとって喜びを感じられる存在になっているということなんですね。
だから、最初のうちに感じられる気持ちと同じ気持ちがずっと続くかどうかなんて、少しも重要なことではないのです。それは言ってみれば不可能ですし、逆にむしろ、相手への認識がどんどん変化していくことのほうが大切だと言えます。すると、気持ちが常に新たに更新され続けるからです。
これは、例えば趣味を続けることと同じです。
はじめてクラシックバレエを見たときに、「うわ~素敵!あの衣装、つま先立ちでひらひらと舞う姿、なにもかもが夢のよう!」と惹かれて、教室に通って習い始めたとします。まさにバレエに恋をした状態ですね。
あとは、それを長年続けていくかどうかが上達の鍵なわけですが、言うまでもなく、物事には蓋を開けてみないとわからない厳しい面があるものです。これに遭遇したときに、最初の恋心だけでは挫折してしまいます。それを超えるには、また別の要素が必要になってきますよね。
バレエでは、身体の柔軟性や体力面でも自分を鍛えていかなくてはならないし、音楽と一体になるリズム感や、喜びや悲しみを表す表現力や演技力を磨くことも求められます。教室には自分とは気の合わない生徒さんがいたり、先生との相性が合わなかったりして、それを超えていく必要もあります。そして、経済面でも教室の月謝やステージごとの衣装代などを継続して捻出していかなくてはなりませんよね。はじめてバレエを見たときと同じ気持ちで、美しい衣装で可憐に舞うことだけを望んでいると、それらが厳しすぎて心が折れてしまいます。
それらの厳しい面を、自分を変化させながら乗り越えて続けていくと、バレエへの思いが常に更新され、新たな理解が深まって、クラシックバレエが自分にとって新しい経験となり続けてくれます。だから飽きない。むしろ、最初に衣装にばかり目が行って、そこにときめいて惹かれた無知な自分を微笑ましく思うくらい、バレエの本質への深い愛を持つことができます。
このように、厳しい面をうまいこと乗り越えていきながらバレエを続けることと結婚生活を続けることとは、とても良く似ています。
自分の物の考え方を柔軟にストレッチングする必要があったり、子どもを育てる際には体力が要求されたり、相手にものを伝えるための表現を工夫したり、ご近所さんやママ友や義理の家族に気の合わない人がいたりして。経済面でも家庭を運営していく必要がありますよね。
もちろん、バレエ以外にも、寿司職人になるための修行や、編み物の技術の習得、バラの苗を育てることなどなど、どんなことでも同じです。それらを習熟を深めるには、最初に惹かれたときのときめきだけでなく、それ以上に物事の新たな面を発見する柔軟性や、それへの好奇心に従う素直さや、忍耐力や、理解力や、より成長して大人になって自分をコントロールする冷静さなどのほうが、ずっと必要な要素となってきます。
結婚でも、他人同士が一緒にいるがゆえにぶつかるさまざまな難所を越えていくときには、恋心のドキドキよりも、温かな愛情や、相手を理解する思いやりや、ともに計画し協力しあうための知恵などが必要になってくるんですね。それらを持つのはとても難しい。けれども、それを育むことに共に勤しむうちに、私たちは、互いの幸福をかけがえのないものと思い、相手がそう思っていることを互いに知っているという、時間をかけて結晶化した宝石のような、美しい関係を育てることができます。
そのとき、ああ、恋心なんて本当にきっかけに過ぎなかったのだな、自分の幼さの現れであったのだな、表面的で動物的な本能だったのだな、とまで思うほどの、得も言われぬ深い喜びに出会うことができます。
だから私は、結婚って本当にいいものだなと思います。どこぞのスピリチュアルマスターらが、この地球上から結婚なんてなくなればいい、結婚はただの縛り合いだ、男女はもっと自由に愛し合うべきだと言っていましたが、もちろんそれもある視点から見れば最終形として捉えることができるアイデアだと思います。でもそれって、結婚というものを、恋愛を続けることだと捉えるからこそ出てくる発想ではないかと思うんです。
男女の間の恋愛を燃え上がる炎に例えるとするなら、長きにわたる結婚の末に見出す深い関係は、そこで燃え尽きて灰になった炭素がゆっくりと冷え固まってダイヤモンドになるプロセスのようなものだと思います。
私は、私たち人類はまだまだ未熟な段階にあるので、結婚という形で自分らを縛ってみないと知り得ないことがあるのだから、ちょうどいいシステムじゃないかと思います。正直私は、結婚を素晴らしい発明だと思います。
というわけで、男女の間柄って、結婚って、すごい道場です。
マスターのいない道場、先生のいない修行場ですね。
この道場で思いっきり成長してみたい人が、結婚という修行をすればいいのだと私は思います。
と、ここまでは結婚というものの本質について私なりに回答してみましたが、ご質問では、相手にマンネリを感じたり、好意が減ったりしたことはあるか、あるとしたらそのときは別れを選択したか、ということでしたね。
出会った当初のドキドキが減って、特にいちいちときめかない状態のことを「マンネリ」と呼ぶのなら、もちろん何度も経験したことがあります。でも私はとくにそのことを問題視したことはありません。
そのマンネリ状態になってからが本番といいますか、私はマンネリ化したときの方が、それ以前より相手のことを好きだと感じます。逆に言えば、より親しみを感じ、より信頼を置けるようになってきて、相手の存在に慣れてきてより愛情が増すから、ドキドキが減って、いわゆるところのマンネリ化となる、という感じがします。なので、それが原因で別れを選択するということはありません。
捨て犬なんかもそうですよね。最初はこちらの存在に緊張して、手を伸ばすとワンワンと吠えます。駆け引きの必要な、不安定な関係です。しかし、食べ物をあげたり撫でたりするうちに安心して、ドキドキしなくなってこちらに慣れてくれると、より愛情を示してくれるようになります。男女の間柄も、これと同じようなものだと思います。
もしも、マンネリを感じると同時に好意が減ったのだとすると、それはマンネリ化が原因なのではなくて、相手のなにかに幻滅してしまっているのです。幻滅してしまって好意が持てなくなったのだとしたら、私は別れを選択します。とてもシンプルです。
いちいちドキドキときめく必要なんて、どこにもないのです。お腹が出ていていい。多少臭くたっていい。無精髭があっても、オシャレじゃなくてもいい。がつがつ食べてもいい。道を間違えてもいい。仕事に失敗してもいい。弱くてもいい。ダサくてもいい。ハゲていてもいい。ぜんっぜん関係ない。男はそれでもかっこいい。他者を思っての行動さえあったら、ずっとかっこいい。自分を思って行動してくれるパートナーに、気持ちが冷めたりはしない。と、思います。
この回答のどこかが、あなたの今後のための参考になりますように。
それでは、またね。