1024/1096 『地球ビザ』をもつあなたへ
吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で1024日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。その下の点線以下が本日の話題です
1024日目。10月24日生まれの娘がいるため、1024という数字の並びに、勝手に良い印象を持っている。昨夜は娘と何時間もおしゃべりをして、夜ふかしをした。緊張したときにどうなるかという話をしたり、互いの恐怖症について話したり、アガって失敗したエピソードや、人生でやらかしてしまった黒歴史について話したりして、爆笑しあった。
娘は、深い水と巨大物が怖い。それから、魚と蜘蛛とトカゲが怖い。それぞれの理由を、動揺しつつも楽しんで、ものすごくリアルに伝えてくれた。傷つけてしまったという悲痛な思いがある対象は、恐怖症となってしまいやすい。わたしは蝶が怖かったことや、今も集合体恐怖症があることや、なぜかどこでも眠ってしまうという、わが歴史を黒く染め、われを社会不適合に追いやった謎の症状などについて語った。自分でも爆笑だった。
互いに、自分にはない感覚について想像し合ったり、ただ面白がって笑っているうち、気づけばもう夜中の1時だった。とても幸せだった。相手を変えようとしないコミュニケーションは本当に気楽で陽気なものだ。
恐怖があってもいい。それを克服して楽になってもいいし、労いながら生きてもいい。怖くていい。怖いのは面白み。怖さを生かして人生を楽しんでいく。怖さを抱えて生きていく。怖さで優しく、怖さで強くなっていく。
怖いものを通して人生を豊かにしていく。恐怖を愛する。
わたしも、あなたも、あなたの愛する人も、恐怖を持っている。それを恐怖ごと愛していこうとする、その挑戦は愛の体験だと思う。
わたしはこうして1000日以上経って、三日坊主の自分を許せたからこそこの毎日投稿に挑戦できたのだと思った。三日坊主を許せず、隠し、見ないことにし、それを克服する挑戦が失敗する可能性をもてなかったころこそ、自分を許せていなかったのだと思う。
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わたしは、こんなわたしなのに、こんなわたしだというのに、壇珠さんは自信があっていいですねと言われることがある。自信になるような要素があっていいですね、と頻繁に言っていただく。それは嬉しいことだけれども、そのたびに「しかし自信のない人は、そのままではたとえわたしになったところで、他の誰になったところで、その自信のなさが変わらないだろう」と思う。
わたしという人物になってみたら、「こんな人物だったとは!なんたることだ…もとのわたしを返せ!」と思うに違いないのだ。
この注意散漫に、このダサい黒歴史に、この記憶力の悪さに、この5本に1本は陰毛のように縮れているという特殊なくせ毛に、この貧乳に、このセルライトに、このスネと背中の大量のシミに、実家のない不安定さに、一般企業で働く能力の完全なる欠如に、なんの保証もない生活に、車の免許すらもない状態に、英語力イタリア語力の低さに、うつっぽく発達障害バリバリの不便さに、一人でいると茶も沸かせないほどの極端な無能に、きっと嫌気が差すことだろう。
だからそんな人物であるにも関わらずこれでよいのだと思っているわたしは、その「壇珠さんのようでないから自信がない」と言ってくださる人になったとしても、同じように自分への愛に降参するだろうと思う。わたしは自分を許すことについてだけ言えば、マリアさま的な優しさを持っている。
だからわたしは、誰を見ても素敵だと思う。素敵なところのない人は見たことがないし、たとえわたしにそれが見つけられなくたって、神さまが生かしている地球人に、自信の源のない人など存在しないからだ。見つけられなかったら、それはわたしの視点が足りないだけだ。
わたしは、俺たち地球人を、すげえすげえすげえ生き物だと思う。わたし個人のことだって、その一員であることから、すげえ生き物だと思う。誰しもがそうだ。考えてもみてくれッッ…俺たちは地球人なんだぞ…!!
われらは脳というとてつもないコンピューターを持っている。有機物でできた量子コンピューターだ。われらには神の設計図による身体がある。解明しきれないほど美しい仕組みの心がある。この真っ暗な宇宙の中で、蒼く光り輝く星での体験をするために命を得て派遣されてきたすごい魂たちだ。わたしはそう思っている。これらを全部否定する証拠があったとて、そう信じる気持ちに変わりがない。わたしは自分が生きている現象を、そう解釈している。どう解釈しようとも自由なのだと思うから、好きなように信じている。
そう思えば、いかなる欠点があろうとも、わたしはわたしをこのまま許す以外のやりようがないと思う。わたしが勝手に「無能なところが許せないわ」などと言っていても、それすらも許されているからこそ楽しめる、甘ったれ劇場だからだ。要は、自分が生きているこの世界を、自分が見ているこの世界を、どう解釈するかにすべてがかかっていると言えるのだと思う。
わたしたちはこの世界を、見たいように見ている。外側のせいにできるものなど無く、極めて自分に都合よく見ている。だから、それをフル活用するのだ。そこには気概が必要だ。意思が必要だ。見たいように見ていると認めるのにも、信じたいように信じるのにも、それができていない状態の甘ったれを一蹴するのには覇気が必要だ。そしてわたしたちにはみなにそれが備わっている。この世界を自由に解釈して体験するためのすべてを持っている。すげえ、すげえぜ地球人…!!
自信がない人は、自信なんか無くてもいいと思ってみてはどうかなと思う。わたしには自信などない。あるもんかい!!でも逆に言えば、他と差別化することで持てる自信なんて、いらないのだ。わたしはこうでああですごいんだと思ったってあまり気分なんかよくない。上には上がいるのだし、上が出てきたら崩れてしまうような相対的なものって、本当にそれは自信なのだろうか。そんなものは、持っているだけ恐れが増して、邪魔になるように思う。そこに頼ると、われらはデリケートだから、妬み心のもとになる。
だったら、生きているからすごい、地球人だからすごい、意識体だからすごい、宇宙の一部だからすごい、のほうが崩れない。
自信のない人ほど、個人的に自信を持つことなんか忘れて、われらみんなの素晴らしさを見つける方に視野を変えてみるといいのだと思う。すると、意識の働きが、木を見るところから森を見る広さに切り替わる。意識して、地球人の素晴らしさ、世界の良いところに、意思を使って目を向ける。それを自ら選ぶということ。すると地球人のダメなところ、世界の怖いところにももちろん目が行くのだけれども、だからこそ、良い方を見るのには意思を使わなくてはならないのだ。これぞ、ザ・地球人のスゴ技だ。美しい技だ。良い方を見るのだと決意すると、それができる。決めたことが、機能する。決めたことが、見える。決めたことが、現実として感じられる。
だから、自分が悪いことばかり見ているのだとしたら、まずはそれは、自分が自分の視点をそこに固定させたまま意思を使わずに放置しているためなのだと知るしかない。知れば、ならば変えればよいだけだとわかる。自分の可能性に目覚めることができる。
自分をダメに思えて辛いときは、「それなのにすごい」ということを思い出そう。個人の資質のことは置いておいて、それでも地球人だということを誇れるように、わたしたちの良さを知っておこう。元気なときにこそ、いざというときのために保存食を備えておくように、個人個人のことを手放して、大きな単位で世界の、人間の、いかに傑作であるかを観ておこう。
それは心の栄養になるから。いつも個人個人を比べてばかりいると、疲れてやせ細っちゃうものね。そのままの自分が、絶対的に許されていることを、すっげえすげえ地球人だということを、とんでもない奇跡の場所で望む経験をしている最中だと、忘れてしまうから。
今日も、神さまの滞在許可『地球ビザ』を持って、一日ここで生きたあなたへ。自分に対して「地球人だなんて、すごい」と思ってみてね。そこで生まれてくる大量の反発に、どうか強く優しくあろうとしてみてね。そこにあなたの意思を使ってみてください。
というわけで今日は、日頃から世界と、地球人と、自分の見るものすべての中から、良いところ誇れるところを見る癖をつけておくと、相対的な自信がいらなくなってきますよという、わたしの好きなお誘いのシェアでございました。
それではまた、明日ね。