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【質問回答】大嫌いな自分を、どうやって愛すればいいの?【2024年最後】

あじゃぱ~!なんということでしょう!クリスマス期間真っ只中のイタリアですが、引っ越しでドタバタしているうちに、今年も最後の日となってしまいました。私の新居はまだ整っておらず、シャワーボックスも届いていないような状態で、半キャンプ生活を送っているのです。それもこれもイタリアの文化のためといいますか、業者さんが約束通りの日時に訪れてくれることがなく、あらゆることが日本のようにはいかないため、なんというかすべてが不測の事態だからなのです。ウウウ…

そのため、ちょっと気を乱すとあれもこれも理不尽で大変で不当で苦しく思えてしまい、その蟻地獄にハマると自分の人生は失敗でしかないような気がしてきてしまうため、ビッと気を張って淡々と生活のためのルーティンに邁進しております。しゃーないものはしゃーないのだし、そこにグダグダ言っていても仕方がないですもんね。

今年の自分は、表面的にはとても地味に、しかし水面下では非常に派手に、大きな変化を遂げた年でした。最後の日に心から晴れ晴れと言えることは、自分は今年、100%やり切ったということです。こんなことを思ったことは、これまでの人生で一度もなかったような気がします。やるべきことを思うように進められなかったことはたくさんありますが、それも含めてこれが自分のベストオブベストだったと思うのです。そしてそんな今は、これまで生きてきたすべての時間に対して、やりきって生きてきていると思えます。

そういう意味で、2024年はとても良い年でした。ブログを読みに来てくださったすべての読者さまに、めちゃくちゃ感謝しております。励ましをたくさんくださって、本当にありがとうございました。

さて、そんな今日は、いただいてからだいぶ時間が経ってしまっていたこちらのご質問にお答えしますよ。ちょっと長いですが、大切なことだと思うので、今年の締めに御礼の気持ちを込めて回答したいと思います。

質問してくださったあなたは、私のことをきっと、自分のことが大好きで、自分を丸ごと受け入れて愛しているのだと思っておられるのかもしれません。でも、私は自分のことを好きだと思ったことがありません。なんなら今は、自分のことを好きだとか嫌いだとか思うのは、おかしなことだと思っています。

好きだという感覚は、自分に都合の良いものに対して感じることです。嫌いという感覚はその逆で、自分にとって都合の悪いものに対して感じることなんですね。でも、自分が自分にとって都合が良かろうが悪かろうが、そういうことはどうでもいいと思うのです。私は、それと自分を愛することというのは別のことだと思います。

だって、私たちにとって自分というのは、好きでも気になる存在だし、嫌いでも気になる存在だし、好き嫌いに関係なく愛しているからです。

そう思うようになってから、私は自分のことが好きだとか、嫌いだとか、大切だとか、大切じゃないだとか、受け入れているか受け入れていないか、許せるか許せないか…そうしたことを考えることがなくなりました。

私にも、自分のことを丁重に扱うことができず、ちゃんと毎日お風呂に入ることもできない時期がありました。そういうときって、本当にどうしようもないんですよね。入れないんだからしょうがない。これ、文字通り、マジでしょうがないです。

私もその時は自分を責めて、自分なんかこの世のクズだと思って生きていました。とにかく、自分だけは欠陥品だと思っていました。自分以外のみんなは、自分とは違うのだと思っていました。が、それもまたしょうがないんですよね。自分でも、どうにもならないものです。その感覚がとても良くわかります。

私はあとあとになってから、これは自分が弱かったんだ、あの頃の自分は弱っていたんだ、それは自分が傷ついていたからなんだと気が付きましたが、自分というのは人生の中でそういう時期が訪れることのある個体みたいなので、ならばそれで正解というか、別に悪気はないというか、だからハッキリ言って俺のせいじゃねえんです。と、思うようになってから私は、反省することは常々あれど、当時のように自分を責めるということはなくなりました。

私は、質問者さまが、”自分のことなんかどうでもよくて、でも本当はぜんぜんどうでもよくなんかない”と気がついていることが、なによりも良いことだと思います。その気付きに至るまで、とても苦しんだのでしょうね。苦しまないと、そこに至ることができないからです。

こうした葛藤の苦しみは、必要なだけ味わわないと抜けていけないものだと思うんです。だから、今まだそれがあるということならば、それについては終わる時を待つだけでよいのだと思います。

あとは、そのあいだを少しでも楽に過ごしていく目的で、自分を大切にするということを本当に「個人的に」行ってみることをおすすめします。

世の中には「自分を大切にするためには、自分を丸ごと愛して、自分のすべてを受け入れて、自分を容姿から能力までなんでも好きにならなくてはならない」と考える人が多くいますが、これは思い込みです。そんな必要、これっぽっちもないんです。

それに近い自己受容の感覚というのは、自分を大切にしているうちに、やがて訪れるものだからです。順序が逆なんですね。

たとえば質問者さまが、ある犬をいじめているとします。
なぜならあなたは、その犬の、汚れた見た目、不格好な容姿、お手をしないところ、走るのが遅いところ、言うことを聞かないところ、全部が嫌いだから。それで、その犬を見かけるたびに、いつも怒鳴って叩いていじめているのです。さて、あなたがそのような状態のときに、誰かから「いじめは良くない。犬を大切にしなきゃダメだ」と言われたとして、あなたはいきなり「この犬のすべてが素晴らしい」「私はこの犬のすべてを愛している」と思えるでしょうか。これは、どだい無理な話です。

ある日、これまでいじめ抜いてきたことでだいぶ気が済んできたあなたは、相変わらずその犬のことは最悪のブサイクなバカ犬だとは思うけれども、さすがに可哀想な気がしてきたし、自分のやっていることもさすがにひどすぎる気がしてきたため、その犬の頭をちょっと撫でてあげたとします。犬は、ちょっと怯えながらも肩を縮めてこちらを見ました。
そしてその次の日に、あなたは醜いバカ犬にちょびっと餌を投げてみました。犬は、クゥ~と鳴いて、その餌を食べました。

そのあとあなたは、今度はその犬に骨をあげてみました。すると、犬はあなたにちょっと怯えながらも、弱々しく尻尾を振りました。あなたが去るとき、少し寂しそうにしながら、あなたが角を曲がるまで後ろからよろよろとついてきました。

こうなってきてから、あなたはだんだんあの犬のことが愛しくなってきます。これはなぜでしょうか。そう、私たちはまずは相手を大切にする『行動』を取ると、その相手に愛を感じるようになるのです。まずは行動があって、あとから心がついていく。だから、最初は嫌いでも評価が低くても、行動で大切にし始めるということが、その相手を愛する鍵なのですね。

これは私たちが自分を愛するときにも同じように作用します。まあ、始めはさほど気持ちが伴っていなくても、自分を労ってあげる。ちょっと大変なことを頑張ってやってあげる。部屋を掃除してあげる。丁寧にメイクをして飾ってあげる。

日頃から「お前がこんなんだからこっちが恥かいてんだよ」「なんでそんな顔なんだよ。ブサイクすぎんだよ」「お前の全部が嫌すぎるわ」「お前は大切にする価値なんてない人間だよ」などなどなどの思いをぶつけていじめ抜いている自分に、行動でなにかをしてあげる。自分に対する低評価や批判の思いを変えようとしなくていいので、そのままで、少し元気を出してくれそうなこと、喜びそうなこと、ためになりそうなことを、考えて実行に移してあげるのですね。

いいのいいの、そのためにちょっとお金がかかっても、時間が費やされても、世の中の役に立たなくても、めちゃくちゃ無駄なことをしているように思えても。それで自分がちょっとでもホクホクとした嬉しい思いを味わえたのなら、それは無駄なんかじゃないんです。こうして私たちは、だんだんと自分との距離を縮めて、自分に愛を示していくことができるんですね。

逆に言えば、今嫌いでダメだと思っている自分を、いつか大好きになってから大切にしようと思っていても、そうはいかないということなのです。

他人で考えてみればわかりやすいのですが、いつも自分にダメ出しばかりであなたになにもしてくれない相手と、ダメ出しはしつつも好きな食べ物を買ってきてくれたり、アクセサリーをプレゼントしてくれたり、小旅行に誘ってくれたり、地道にお掃除をして部屋をきれいにしてくれたり、黙って自分のために風呂を沸かしたり貯金をしてくれたりする相手、あなたはどちらに愛を感じるでしょうか。もちろん、後者の人ですね。

その後者が「お前ってしょーもなくダメな奴だけどな」と言っていても、せっせとあなたが喜びそうなことを考えては実行してくれるとしたら、あなたはその相手に愛情を感じるものではないでしょうか。まるで、自分に厳しくとも自分の世話をしてくれる親への思いが、募るように。ですから、嫌いな自分を愛しはじめるというときは、心を変えようとするよりも行動で示していくのが大事なのです。

だから、気持ちが伴わなくてもまったく構わないので、少しずつ少しずつ、意図的に、自分を大切にする行動を取ってみてください。するとね、そのうちに、「いいよね。私は自分が人と比べて上だからとか下だからとか、そういうの関係なく、自分のためにやってあげるんだよ。自分が優れていようがいまいが、他人と比べていたらキリがないしね。でも私は私の味方だよ。自分よ、うちら二人、優しくして一緒に居ようね」と思える時が来るのです。

それはとてもとても個人的で、親友との二人の秘密を持ったときのような感じです。まるで、こっそり作った基地で、誰の邪魔もなく二人だけで楽しむときのような、心の通じ合った相手と、誰にも知らせずに密かな楽しみを味わう感覚に似ています。
基地の中で、二人で段ボール箱をひっくり返してテーブルにして、かっぱえびせんを食べて、一本のファンタを分けて飲む。ただ、それが嬉しい。

それは豪華でもないし、別に社会の役には立たないし、誰にも許可を得ていないし、誰からもすごいとか素晴らしいとか美しいとか偉いなどと評価されていない。でも、そんなことには関係なく、自分らはそれで嬉しいし、それで満足なのです。自分を大切にし始める時の喜びは、こんな感じに似ています。

あなたの身体は、自分自身と一緒にいる基地そのものなのです。
あなたはその中で、あなたと一緒に、二人の喜びを見つけましょう。

基地が小さくて不格好でいい。二人が親友の愛を交わすことができればいい。そこで一緒にいる相手が、非の打ち所のない華麗な容姿でなくていい。完璧で価値の高い人物でなくていい。そんなこと関係ない。寝癖があっていい。青っ鼻垂れていていい。一緒に基地にいてくれる、いつも自分を無条件に思ってくれる相手だもの。

テーブルだって豪華でなくていい。別に、自分らが段ボール箱でもよければそれでいい。食べ物も豪華でなくていい。自分らがかっぱえびせんで良ければ、湿気たせんべいでよければ、よっちゃんいかでよければそれでいい。楽しいからそれでいい。自分を愛するって、なにも崇高なことでもなければ、とてつもなく困難なことでもなければ、人生をかけて到達するべきゴールでもないのです。自分と二人、自分の基地の中で、楽しんでいければいいのですね。

もちろん、私たちが他の人と接するときもそうです。あなたの身体はあなたの秘密基地そのものなので、基地ごと移動して、その基地の中からあなたと二人、外の世界との交信をすればいいのです。

あなたはまだ24歳で、このようなことにチャレンジする機会が訪れているのです。それは、あなたにとってとても素晴らしいチャンスですよ。自分のことが嫌でたまらない人ほど、大きな機会が訪れているのです。

自分がお風呂に入りたいとき、入ってあげられなくて大丈夫。過食しちゃうとき、やめられなくても大丈夫。身体を掻きむしっちゃうとき、やっちゃって大丈夫。今はそれを通常モードと考えて大丈夫です。

基地の中の相手が、健康だから親友なわけじゃない。傷ついていなくて、調子が抜群だから親友というわけじゃない。その親友は、あなたが『ぜんぜんどうでもよくない』と書いた通り、あなたのことを一生涯どうでもいいと思ったりしない、かけがえのない相手なのです。その相手が傷ついて弱っているのなら、「傷ついてんじゃねえよ」「弱るな」「間違っている」と言うかわりに、楽しませてあげたり、治るように協力してあげればいいんです。

そのために、できそうなときに、ちょっと奮発してあげるんですね。重い腰をグッとあげて、ササッと下半身だけシャワーをするとか、過食時に最後の一口分だけは5分後にゆっくり食べるとか、掻きむしるときにすこ~しお手柔らかめにしてあげる。そういうのをときどき挟んでいけばいいのです。
それは、あなたからあなたへの優しさ、あなたへの愛です。ほんのちょっとだろうと、自分で自分を制することができたら、それは成功体験です。この小さな成功体験をできる範囲で捧げてあげるところから、始めてみてください。

大切なことは、これはあなたが他人よりも優秀で、それをしてあげるに値する価値のある人物だから、やるのではないということです。あなたのごくごく個人的な喜びのため。基地の中での密かな楽しみのため。あなたが今の悩みから抜けて、安らかにいきいきと生きるためだけにすることです。

みんな、自分の家が世界一の豪邸だから、あるいは他の家々と比べてみたときにはるかに豪華な家だから、掃除するわけではないのですよね。古い一軒家でも、小さなアパートでも、自分が気分良く過ごすために掃除をするのです。掃除をせずにいれば、たとえ世界一の豪邸だろうとも、住み心地は悪くなるのです。

そこで、「いや、でも自分の家を掃除しても、世の中には意味がないので…」と言う人がいたら、それはおかしなことですよね。世のためにするのではなくて、自分のためにするのです。それによりあなたの気分がよかったら、それはやがて世界のためになるのです。

だからまずは、自分さんがちょっと喜んでくれることをしてあげてください。少しでいいので、ちょっとずつ優しいお世話をしてあげてください。
その積み重ねであなたも、きっと感覚に変化が現れてくるはずですよ。年の切り替わりと同時に、無理なくそっと、そのステージに入っていけるとよいですね。応援しています。

というわけで、皆様も良いお年をお迎えくださいませ。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

それでは、またね。

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菅 美智恵 (壇珠-たんじゅ-)
毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)