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【質問回答】夫を心の底から信頼できるようになりたい。どうすればいい?

だあーーーー!やっとブログの更新ができましたー!
原因不明なのですが、少し前に歯髄の下の骨が溶けてしまって何日も苛烈な痛みに耐えねばならなかったり、時を同じくして猫が病気になったり、間髪入れずに娘と夫が同時に風邪をひいて熱を出したり、雨漏りで家の中に水がたくさん入ってきたり、食洗機が壊れたりして、這々の体でございました。

口の中になんとかして液状の食べ物を流し込んで、横になることができなかったのでソファーで仮眠を取りながら、おかげさまでなんとか乗り越えることができました。いやはや、人生は山あり谷ありモハメド・アリでございますね。やっと谷を越えた勢いで、本日はいただいてからだいぶ時間が経ってしまいましたが、こちらのご質問にお答えしますよ。

私が夫と険悪だったころ、私も思っていましたとも。夫は私をこう思っているに違いない、ああ思っているに違いない、こういう時は裏切るに違いない、すでに裏切っているに違いない…などと。私はそれを疑いようのない確かなこととして信じており、それらの考えに囚われているとも気づかずに、それに基づいてものを考え、選択をし、行動していたのです。ですから、経験上質問者さまのお気持ちもとてもよくわかります。そのように考えてしまうのは、きっとお辛いことと思います。

そこから私がどのようにして、当時よりも楽な状態になったのかということを書こうと思ったら、それはもう長編物語となってしまうと思いますので、自分の感覚の変化のうち、重要だったと言えるものを記してみますね。

私はある日、夫がなにを考え、私のことをどう見て、どう思っているのかということが「私にはどうやってもわからない」ということに気がついたことがありました。それは、当時の自分にとって非常に衝撃的な気づきでした。

考えてもみれば、これ以上なくロジカルでシンプルで当たり前のことなのに、それを全面的に白旗を上げて完全に認めるに至ったことは、視界がまっさらになったと感じるほどの衝撃でした。

夫は、他人でした。私の予想も予測もまったく通用しない、私には永久に知り得ない、自分ではない存在でした。彼が本当に本当にほんとうにほんっとうーにどう思っているのか、なにを感じているのか、なにを選択しどう行動するのか、目でどんな映像を見て、どんな体感があって、どんな記憶があって、なにを思いなにを感じているのかということは、私にはわからないことです。当然中の当然のことなのですが、私にはそれが永久に(永遠に、と書いても良いのですが自分はやはり常に読売ジャイアンツ終身名誉監督長嶋茂雄氏へのリスペクトを込めたく『永久に』と記させていただきたく)わかることができないのです。

冷たくされれば「私のことがあまり好きではないんだな」と考え、嘘がわかれば「こちらをバカにしているんだ」と考え、そうした自分の読みを絶対確実に間違いないと思っていました。それが、この津波のような気付きで、ぜんぶ一気にリセットされてしまいました。わからないじゃないか!どうひっくり返ったって、わからないことじゃないか!なんということだ!自分はなんと愚かだったのだ!という衝撃で、放心状態になったのを覚えています。

当時の私にとって、夫が自分の知りえない存在であるということがこんなにも大きな気付きであったのは、それまでの自分が、勝手な決めつけをしていることに、疑問すら持っていなかったからです。

人はなにかを信じた分、良い意味でも悪い意味でもその分視界が狭まり、その分盲目になります。まずはこの盲目状態から脱したことが、とても大きかったと思います。

質問者さまは、いろんなことの積み重ねでご主人様のことを「味方になってくれない人だ」と思うに至ったと書いておられますが、これは、これまでにご主人さまとの間に起こったさまざまな出来事があって、信頼できなくなってしまったのだということですよね。ご事情を詳しく伺えばもちろん、心情的にそう思えるのは、とてもよく理解できることだと思うのです。

けれども、あくまでもどこまでもそれは「こちらの想像でしかない」ということを、ここで一度全面的に認めてみてほしいのです。このリセットがかけられるかどうかということは、絡まってしまった人間関係に向き合う上で、とても重要なことです。

さて、そのリセットがかけられたことを前提にして、次は信頼するということについて考えてみましょう。

私たちは、結局のところ、自分を信頼した分しか、他人を信頼できないのです。このことを理解し腹の底から実感するのに、私はかなりの時間を要してしまいました。

私は夫に対して、自分はこんなにも誠実なのに、なぜこの人は私に対して不誠実なんだ!と考え、それをとてつもなく不満に思っていました。けれども、自分自身を他人のように眺めることをしていたある日、こんなことに気がついたのです。
「この人(壇珠さん)は、自分が夫婦関係に苦しんでいるのに、そんな自分はそれに耐えながら生きていくべきだと考えているのだなあ…」と。
はっ…?と、時間が止まったみたいになりました。それまでの視点が、ひっくり返ってしまったのです。

そうだ。私は自分は誠実で、夫が不誠実なのだと思っていた。でも、自分は自分に、「苦しくてもこのまま頑張れ」「あなたは自分だけでは自分を幸せにはできない。彼が変わらなくては幸せにはなれない」「つまり、あんたの幸せ、他人次第」と言い続けているのです。それを言っているのは、他でもない自分なのです。こんなことを、他人に言われたらどう思うでしょうか。そりゃあもう、腹が立つことですよね。それに言い返すとしたらきっと、「なんで私が苦しまなきゃいけないんだよ」「あんた何様だよ」「他人に私の幸せを握らせてたまるかよ」「あたいを見くびんじゃねえぞ」と言うだろうと思います。そう、それこそがまさに、私が夫に対していつも思っていること、そのものだったのです。

このことに気がついて、しばらくは愕然としたままでした。
気がついたからといって、どうしたら良いのかがわからなかったのです。

そこからはとりあえず少しずつ、私は一人でも幸せな気分になれるんだということを、確認していきました。これは、私にしかわからないことです。

それをするうち、いつの間にかですが、「夫には夫の感覚があり、生命があり、人生があり、私にはわかり得ない彼の宇宙、彼の次元で生きている。それは彼の仕事、彼の使命、彼の役割、彼の取り組みであるから、私の管轄外なのだ」と思うようになりました。私のことを、彼が思い通りに操作できないのと、同じように。

私には、私がいる。私がついている。誰にもわからない私の幸せを知っている私が、生涯一緒にいてくれる。どんなに自分がダメな奴でも、自分だけはそんな自分の味方であり続けてくれる。気分が落ちたら音楽を聴かせていい気分にしようとしてくれたり、寒ければ暖かくしようと、料理をするなら少しでも美味しくしようとし、健康を考え、改善するべきところも親身になってくれ、欲しいものを手に入れようと頑張ってくれる。そんな自分が、これからもずっと一緒に、生命の旅のお供をしてくれる。その確かな心強さに、これまで感じたことのないタイプの安堵を覚えました。

私がこうして生きているのと同じように、他の人も、夫も、彼ら自身を頼りにしながら生きているのです。なんとかして自分を守りながら、必要なだけ曲がったり、ひねくれたり、拗ねたり、つっぱったりして、どうにか自分の傷に対処しながら、この世に適応しようとベストを尽くして、生きている…

このことに、それまでになかったような慈悲心を覚えるようになりました。

それから、それまでは彼が私を突き放したのだと思っていた行動を、違うぞ!私から拒絶されるのが怖いからやっていることなんだ!と解釈するようになったり、彼が私を無視しているのだと思っていた行動を、違うぞ!これはカッコつけているんだ!小学生男子の好きな女子に対する行動と同じなんだ!と解釈するようになったりと、とにかく見え方が変わってくるということが起こりました。

以前はあんなに信じていた自分の感覚が、まるで勝手な思い込みだったのですね。夫は私が思うような人ではなく、私にはわからないけれども、少なくともなぜか私と一緒に生活しており、人生の時間を費やして、なぜか私と距離を取ったり、なぜか私に関わろうとしてくる人物でした。それがその時の私には、私に対して一生懸命になっている、信頼できる人に見えるのです。

つまり、夫は同じ人であるにも関わらず、私は夫を不誠実だと決めつけることをやめ、信頼できる人なのだと思うようになったのです。これは、私と自分自身との関係が変わったからこそ起こった変化だと、実感しています。

これが私の経験したことです。もちろんこれは、彼に対してこう言いましょう、こういう行動を取りましょう、さすらばあなたの思い通りに相手を変えることができますよ!という魔術のような便利な方法ではありませんが、でも自分の信頼を回復し、自分にまっすぐになることで自分の感覚がグルっと変わって、それが自己の成長や幸福感につながるのだとしたら、それが一番ではないかと私は思います。

どこかに参考になるところがありますように。あなたの幸せを願っています。面白い心の冒険ができるといいですね。

それでは、またね。

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菅 美智恵 (壇珠-たんじゅ-)
毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)