見出し画像

日がな歯ブラシ

カフェで近くの席に座っていた外国人女性が「私、歯ブラシの研究をしようと思って、細菌の勉強をしている友人に会ってきました」と言っているのが聞こえて、「あー、私たちの生活ってこういう人たちのおかげで成り立ってるんだな」と思った。
流暢な日本語だったけど、時折混じる英語もネイティブの発音だった。彼女がどんな経緯でここにいるのかも興味深いところだけどそこはともかく、この人は今、日がな一日、歯ブラシのことを考えているのだ。
「細菌の勉強をしている友人」がいるというのも、いいなあ。
仕事なのか勉強なのか、それとも単に興味があるだけなのか、そこはどうでもよくて、ただ彼女が今「歯ブラシ」に捧げている時間や情熱を思うと、なんというかこう、ぐっとくる。

彼女が研究しようとしている歯ブラシの向こうには、それを使う「誰か」がいるはずだ。
ものを研究したり作ったりするって、多かれ少なかれ「その先にいる誰か」に向けて行われている。人だけじゃなくて、植物や動物や地球だったり、シンプルに「自分」に向けてであっても、やはりそれは、ぐっとくる作業だと思う。そこに何かしらの「願い」があるから。

アップした画像はティース・ボックスといって、子どもの乳歯が抜けたときに入れておくもの。
歯ブラシの写真を撮ってもなーと思い、これにした。
息子の乳歯が最初に抜けたとき、「これをいったい、どうしたらいいものか」と迷った。
上の歯は縁の下に、下の歯は屋根にというのが昔の風習だけど、マンション住まいの我が家でそれは現実的ではない。だからといって生ゴミと一緒に捨てるのもはばかられたし、とっておくにしても何に入れて保管すればいいのか思いつかなかった。
それでいろいろ検索していたら、いろんな種類の「乳歯入れ」があることを知ってびっくりした。需要が相当あるに違いない。

私の選んだこれは、ヒトの歯が生えているとおりに穴があいていて、そこに合わせて収納できるようになっている。抜けた日を記入する欄まで備わっているスグレモノ。
最初はおもしろがって入れていたけど、全部そろってみるといくら我が子のものとはいえ「……うわ」という感じで、蓋を開けたところはとても他人様にはお見せできない。
だけど、私のように「この歯、どうしよう」と迷っている親に向けて、日がな一日「ティース・ボックスのことを考えていた人」がいたんだと思うと、やっぱりぐっとくる。その人の願いの向こうにいた私は、ありがたくこれを受け取ったから。お互いの想いを伝え合うことはかなわなくても。