警察、皿洗い、夏。
家事の中で何が好きかと聞かれたら、一秒の迷いもなく「食器洗い」と答える。
私にとってあれは写経みたいな、今ふうに言うと「マインドフルネス」というやつだ。もくもくと手を動かしながら心が無になる。
あるいはエアロビクスのような有酸素運動にも近い。
わーっとためておいて、音楽をかけながらがーっとやるのも、またいい。
なんとまあ、おトクじゃありませんか。基本、同じところに立ってるだけで、たいした力やワザは要らないのに、自分の手によって「汚れていたものが一瞬にして新品みたいにピカピカになる」という、あの快感が毎日無料で得られるんですよ、奥さん!
どういう順番で洗って、洗いかごの中にどういうふうに重ねていったらうまく収まるかというのも、ゲームっぽくておもしろい。趣味といってもいいかもしれない。
ちなみに私は、掃除にはここまでの熱量を注ぐことができない。どちらかというと苦手です。物を捨てるタイミングがわからないし、キリがないし、センスもない。食器洗いはやるべきことが「ここからここまで!」と明確で、短時間で終わる。最高だ。
学生時代、「そんなに食器洗いが好きなら仕事にすればいいじゃないか」と思い立ち、アルバイト情報誌を買ってきて探したことがある。
「皿洗い」だけの募集はなかった。しかし奇跡的にというべきか、「皿洗い、注文取り、出前」の短期バイトが見つかった。私はそこで面接を受け、ひと夏の間だけ働くことになった。
それは普通の飲食店ではなく、警察署の中の食堂だった。ここで言う「出前」というのは外に出るわけじゃなくて、署内から内線で入った品を届けるのである。
「交通さん、コーヒー2つね」とか「暴力さん、うどんころと天ぷらそばひとつずつ!」とか。
期待していた「取り調べ室にカツどん」は、少なくとも私がいる間は注文が入らなかった。
でも、廊下を歩いていて踊り場の窓から下をのぞいたら、犯人(?)が逃げているのを刑事が追いかけて取り押さえるところを偶然見てしまったことならある。脳内に「太陽にほえろ!」のテーマが流れたのは言うまでもない。あれは取り調べ中だったところを脱走したのか、それとも訓練か何かだったのか、どちらにしてもちょっと興奮した。
皿洗いが目的で始めたので、「同じ形のお皿を数枚重ねて、両面を洗いながら順々後ろに送っていく」というやり方を教わったときは本当に「このバイト、やってよかった!」と思った。こういうのを知りたかったんだよ、私は! あのときの経験は、日々の暮らしの中でその後おおいに役に立っている。ありがとうございました。
ほんのひと月半くらいのことだったけど、ハタチそこそこの私が警察署でバイトしてみて痛感したのは、あたりまえだけど「警察官も人間なんだなあ」ということだった。普段ピッと背筋を伸ばしている警察官たちの、食事中の気が抜けた感じや、仲間内で愚痴を言っていたり私たちにギャグを振ってきたりする姿が、なんだか新鮮にうつった。緊張がほぐれたところの警察官たちを、注文を取ったり皿を洗ったり水を運んだりしながら私は遠目に眺めていた。なんだかすごく、貴重なものを見せてもらっているような気がした。
そんなふうに楽しむことができたのは短期間だったからかもしれない。味をしめて学生時代は単発のバイトをあれこれと相当やった。会社勤めを辞めてフリーになってからも、面白そうなものがあると時々チャレンジしてしまう。(年齢制限がなければ)
ところで、このバイトには私の他にもうひとり、短大生のかわいい女の子がいたんだけど、彼女は若い警察官に頼まれて合コンをしたらしい。そしてちょっといいカンジになったらしい。
これもまたあたりまえだけど、警察官だって恋をするのだ。
厨房でスポンジの泡にまみれていたあの夏はもう遠いけど、若いときのそんな実感はそれからずっと体にしみこんでいる気がする。