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鶴になったおやじへ


今はどこから景色を見てるのかなぁ…


父の事を憎んだときもあったし、「大きくなったら父親を倒してやる」なんて思ったときもありました。


けど、そんな父親に憧れて、左官職人になろうと寅壱のニッカを履いて父親の後を追って現場に出たのが高校を中退した15の秋。


若い頃からパンチパーマあてて筋骨隆々だった父親ですが、とても手先は器用で、そんな父親が壁を器用に塗っている後ろ姿を見て、「あぁ、手先が不器用な自分には左官業は無理だな、向いてないや」と思いました。


それでも自分なりに頑張って、重いモルタルバケツを毎日父親の元に運んでいました。


あの肩が抜けそうなほどの重さのモルタルバケツ。


あんな重いバケツを父親は16の頃から毎日運び、ひたすら壁を塗り、自分たち兄弟を育ててくれたのでした。


身体を痛めて仕事を辞めて、ちょこちょこ実家に自分が顔を出しに行ったら、いつも寝ながらテレビを見ていて。


若い頃から一生懸命仕事だけして、仕事を辞めてやりたかったことは、仕事のこととか何も考えずにテレビを見ながら寝ることだったんだなぁ、と思います。


自分が実家に帰ると嬉しそうに「おー正康、選挙はどうだ?参議院議員になったら田舎のみんなが大喜びだぞ」と嬉しそうに言っていた、何度も何度も。


頑固一徹、昔気質の九州男児の左官職人。

親父を表現するならこの言葉。


口数が少なくて、無口で、けどお酒を飲んだ時だけは沢山喋る。


「よーこさん、よーこさん」って自分たち夫婦が顔を出した時は特に嬉しそうだったなぁ。


本当は女の子が欲しかったって言ってたね。

娘が出来て良かったね。


1週間くらい前に、陽子ちゃんに「俺だけこんな身体になっちゃったけど、俺が一生懸命仕事したから今、正康によーこさんは幸せでしょ?なら俺にとってそれが一番の幸せだよ」って言ってたみたいで。


親父が生きててくれれば、本当は俺はそれだけで良かった。


最後に訪問医が「お父さん身体が強かったんですね。食欲なくなってもあれだけ元気で。息子さんはお父さんに似て身体が強そうですね」だってさ。


心配していた母親の事は任せてよ、俺と兄貴がいるから。


そっちで家族のこと見ててくれよ。


そっちでまた俺のこと自慢しててよ。


いつか俺もそっち行くから、その時はまた一緒にタバコ吸おうね。

お酒は俺、焼酎苦手だからビールにしよう。


けどそっちに行く前にまだ俺は、沢山やることあるんだ。


親父を見て育ち、親父の血が通ってる俺は、親父譲りの誰にも負けない根性、そして身体の強さがあるんだ。


やると決めたらやり切るんだ。


そっちでうちら家族のこと、見ててくれよ。


今まで本当に、ありがとう。

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