【小説】都わすれ(③)
京都で独り暮らしをしている母は、上京する際は必ずと言ってよいほど鎌倉にも足を運んでいた。
彼女の結婚の前年に嫁いできた兄嫁が結婚二年目と三年目に続けて出産したので、兄になる自覚を持たぬまま妹が産まれた甥を連れてきたこともあった。
「かわいいわ、かわいいわ。お兄さまが『僕の大事な秘蔵っ子ちゃん』なんてお呼びになるお気持ちも分かるわ」
「母はそろそろ外孫も見たいけれど……」
「あら、外孫ならお姉さまのところに三人もいらっしゃるでしょう」
「何を暢気なことを! 早く跡継ぎをお産みになって安心させなさいな」
「そうね、でも、そればっかりは何とも言えませんわ」
口ではうまくはぐらかす彼女だったが、夫婦の仲が睦まじければ子どもができるのも道理で、結婚から一年経つ頃──―つまり、兄の二人目の子どもが産まれる頃に懐妊が判明した。
年明け早々には出産だろう、という医師の見解だった。初めての子どもなので夫の喜びもひとしお、東京の姑からは跡継ぎが産まれるということで祝いの品を贈られ、京都にいる母は孫が三年続けて産まれるので再び上京して鎌倉に長期滞在することにするようだった。
八月の一番暑い季節になると、元来長身で痩せている彼女の体型が丸みを帯びてきて、傍目に見ても妊婦であると判るようになってきた。
帝大医科卒の医学博士で、京都帝大で教鞭を執り、現在は東京で開業している産科医の往診の時の言いつけを熱心に聞いて守るように心掛けた。
『お産の心得』など複数の著書があり、診察が丁寧だと評判のこの医師に、彼女は六歳の時に死に別れた父親の面影を見出していた。
(つづく)