今後どうするのか。 今の自分には不確定なことが多いけど、「大丈夫?」と心配してくれる人もいれば、「それでもいいんじゃない?」と言ってくれる人もいる。 でも、正直なところ、自分でもどうしたらいいのかわからなくなる時がある。不確定なことが少なそうな道に進みたくなることもある。 そんな時、身近な人がこう言ってくれた。 「何かが面白いか、夢中になれるかって、実際にやってみないとわからないよ。やってみたら、意外と好きになることもあるかもしれない。」 その通りだと思う。目的にし
キャンプでは、それぞれ目的を持った人たちが集まり、自然と関わり、自然体での関わりを通して「楽しむ」ことについての学びを得た。 その場ではうまく答えられなかったけど、すごくいい視点だなと感じさせられた質問たち。 自然との関わりにこだわり始めているのは、今の生活から逃げたい部分もあるんじゃないの? 人間人間しているのも、技術技術しているのもどちらも私は得意ではないし、元から好きでもない。 そもそも人間が人間らしく在れるのは、自然との関わりがあってこそそれが成り立つわけであって
「どんな理想に向かっていくために、どんな学びをしたいか」 なんでだろう?自分なりの目的を持って学習を進めるようになってきたはずなのに、何がしたくて学んでいるのかがまたまたわからなくなってきた。そして色々知れば知るほど自分が自分でなく感じてくる。 自分が本当に好きで選んでいるのか、社会のニーズだと思うから選んでいるのか。これらの区別が曖昧に感じるゆえに、自分が後者に加担しがちであることに気づけない。まるでメガネをかけていることを忘れ、人に指摘されるまでそれに気づかないかのよう
小中高の名残で、植物栽培を再開。 今回は興味本位でも、実験でもなく、自分の進んでいきたい道に向けての挑戦。 前は、自分が植物好きであることに対してなんか地味だと思っていたし、そのような自分を人に言う/見せるのを恥に思ってた。 歩道を歩いては突然植物を眺めるために足を止める様子とか、公園行っても遊具より植物の方に行っちゃう様子とか、つい構造を知りたくなっちゃって植物を分解してしまう様子とか…全部自分の中に閉まっていた。 小学生までは楽しかった。 ベランダで家族の植物に水をや
2023。 簡潔に言えば、 自分と向き合い始めた年だった。 誕生。発語。歩き始め。遊び。勉強。受験。 あとは院進、就活、結婚、出産、育児、生活、そして死。 自分を犠牲にするしか、人に与える方法はない。 こんな人生は窮屈だ。 私は これまで生きてきた中で 漠然と「知っている」範囲でしか、 自分のライフコースを見つめてこなかった。 「本当にこれでいいの?」 これを問いかけられたのは 目の前のことで覆われていた私が ある時期突然機能不全に陥った頃だった。 自ら作り出す自分
私のこれまでとこれからを。 原点を忘れない。 【発信を始めた理由】 ・自分の思想や信念について話すことはあっても、発信したことはなかったから ・言語化をすることで自分にとっても他の人にとっても一個人としてのみっちーの透明性を高めるため ・置かれた環境や状況関係なく、価値観から入る関係性づくりに興味あったから 【これまで学んだこと】 ・周りをよくしていくために頑張っていたはずなのに自分ばかりが追い込まれていく日々だった(時間、お金、健康) ・全員を救えず、誰かしら犠牲になら
そう。あっという間に半年が経とうとしているけど、私は夏に東南アジアの旅に出た。しかも何かのプログラムを利用してではなく、つながりを頼りにさせていただいて。個人的なお願いに親切に応じてくれた人たちには感謝しきれない。 そんな旅に私はどういう目的を持って行ったのか。 色々あるけど、大きく分けたら三つあるのかな。それらは以下の通り。 ・国際協力の価値観を見直すための経験 ・自分の貢献どころを見つけるための経験 ・現地と言われる場所の実情を体感するための経験 結果はどうなったのか
よー。久しぶり。 みっちーがcomebackしたよ。 これは決心したことではなくて、単なる気まぐれ。 そんな気軽な気持ちでとりあえず綴ろうと思った。 みっちーは今、何しているって? まだ「やりかけ」のことを片し、時間的に・お金的に・心理的により余裕のある人間になろうと頑張っている途中だよ (その過程で新しく始めちゃったこともあるけど)。 これは何のため? これまで自分で選んでやっていたと思っていたことが、何らかの自分の先入観や他人軸に影響されていたことが分かってから、自分
活動を減らそうとしている私。 私じゃないような気がして、心地が悪い。 無駄にいろんなイベントに顔出すのを辞めたし、無理にいろんな人と連むの辞めた。すごく心の安堵感が出てきて、自分に集中ができる時間も少し増えた。 このまま何気なく抱えてしまった業務はとっとと遂行・完了して、本当に自分のやりたかったことにもっと降り出していけるようにしたい。嫌々仕事をするような社会、妙に責任感を感じすぎて覆われるような社会、そろそろ変わるべきだと思う。 やらない人、動かない人。側から見れば私
自分の今と一番かけ離れていそうな人格、場所、もの、考え、時間の流れと状況が魅力的。言われるまで気づかなかった。 自分がその世界に呼ばれているのかな?あはは 謎の世界に引きつけられる自分、連れていかれる自分。どこへゆく?わからない。 知りたい、 気になる、 止まらない。 Unstoppable. Yep, that’s me. (curious child’s laughter) 心の声1:新しい趣味を見つけたかもしれん? 心の声2:まだ
元々インスタアカウント(https://instagram.com/michinotabby)の説明用として書いていたが、字数超えであることに気づき、ノートへ。ノートのアカウントの運営理由もインスタアカウントと通ずるところがある。 改めて。 手段に囚われすぎて、目的を曖昧にさせていると「やりたい」と「やっている」ことがぐれていたことに気づく。 そこで。 原点に立ち戻って、私は「どうあるべきか」ではなく、「どうありたいか」を考える。(素敵な友達に支えられて) 本アカウント
私には下がいる。推しが弱くて、競争も嫌い。私によくついてきた頃があったのは今では微笑ましい思い出。ひょろいが運動をバリバリやってきて、いつの間にか私よりも背が高くなってしまっていた。 そんな兄弟。これまでずっと守ってあげられず、その意識すらなかった。 すぐ嫌に思ったり、責めたくなったりするし、つい自分に関係してほしくないと思ってしまうことがよくある。 なぜかよくわからないがここ6年くらいお互い口を訊いていない関係にいる。会話することは特になく、口開けばお互いの批判やお互
人生は我慢。自分に与えられた試練。時間との闘い。 煩悩を捨てる精神を学べ、自分。 私に今必要なのは心の鍛錬。まずは摂取するものから。 好きなものを食べることができない母を前に、食を選ぶことのできない人たちを背後に、自分の体にとっての良し悪しが分かることを背景に、罪悪感の感じてしまう食。 食を意識し始めてから約10年。お金が潤沢ではなく食に関しても安さを優先していた私の家族は安さそのものを危険視する。原材料はもちろん、製造元を確認するようになった。ついに私は冷凍、酸化油
私は人に本音が言えない人間です。 とりわけ家族には一番言えないです。 そんな私が家族に「人(全人類)を敵対視している?」と言われるくらい。 が、本日をもって最大の恐怖に直面した。 本音を言わないといけない事態に置かれてしまったのだった。 聞けば当たり前だと思ってしまうことがなぜかほんとに言えなかった。 喉が詰まるわ、怒りの涙が出るわ、苦しかった。 でもこれ以上家族を心配させることはできない。ごめん、ずっと迷惑をかけてしまって。さすがにもう心が痛かった。 私がなんでもかんで
はい、これ(↑)は間違えありません。 人を選ぶこと、これは非常に心悩ましいプロセスであり、心も重くなります。 選ぶ側。 人の見えもしない機会を奪っている。彼らの取り得た選択を諦めさせる。 自分にそんな権利なんてあるのか。 ついこんなことに心ざわりを感じてしまって仕方ないが、こういう世界はこの社会に深く根付いてしまっている。能力社会、これは中でも非常に変えにくい社会のシステムである。 人を選ぶ。 しかしこれは私の関わったことのある狭い世界に限ったことではない。大学で
みっちーが最近投稿しなかった理由。投稿するネタがなかった。忙しくて書けなかった。これらはまあ間接的には当たっているけど、メインではない。 みっちーが最近投稿しなかった理由。もちろんこの背後には学生団体の運営活動、インターン、そろそろ将来のことを考えないといけないプレッシャーがあったり(ボソッ)、、身近な活動を多く抱えながら、あれしたいこれしないといけないのゴタゴタに加えて、国際協力の企画の構想を進めていかなくちゃという焦りもあった。 ただ今自分を一番悩まされているのは、、