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番外編:想定外はいつも隣にある…①

本編では、「母が補聴器を使用するようになり、少しやる気が出てきた」
というところまで書いてきました。
本来であるならば、その先を書くつもりでいたのですが、
事態が変わってしまったので、そちらから先に書いておきます。

2022年11月になり、母は、デイケアへ通うようになりました。
そのいきさつについては、また別に書きます。
月曜と木曜は、訪問看護によるリハビリを受け、
火曜と金曜は、デイケアに朝から夕方まで通う。
そして、土曜には、マッサージを受ける。

デイケアでは、リハビリだけではなく、
フラワーアレジメントや調理があり、
母には久々に忙しい日々が戻ってきて、
「疲れた」と言いながらも、
食欲はあり、元気に過ごしていました。

11月中旬、母に友人から電話がかかってきました。
ずっと昔からの友人で、母とは同世代の方です。
私は、母に電話がかかってくると、もちろん、取り次ぎますが、
母がどんな受け答えをするのか、何を話し出すのか、
気が気ではなく、ハラハラしていました。
しかし、その日の母、とてもしっかりしていて驚いたのです。
話の内容をちゃんと理解し、それを私に伝え、
それどころか、もう一人仲の良いお友達に電話を掛けたりしていました。
もちろん、実際に電話の操作をするのは、私ですが…。

デイケアに通うことにより、効果がでてきたのか?
凄く嬉しかったのを覚えています。

ところが、その2日後辺りから、「脚が重い」と言い出しました。
骨折した脚ではない右脚が重いと…。
確かに前日の金曜日、デイケアへ通う際、
階段の上り下りが普段より時間がかかりました。
マッサージの先生にそのことを伝えると、丁寧に診てくださり、
「特に、骨に異常はないようです。筋肉は多少、硬いですが」とのこと。
母もあまり気にしていない様子でした。

週明け、食事中、母がよくこぼすようになったことが気になり始めました。
食事により時間が掛かるようになり、箸を落としたり、
使いにくそうにしていることが気になり始めた私は、
「なんか病院へ行った方がいいんじゃない?」と言うと
「入院」を毛嫌いしている母は、
どこかに痛みがあったり、
苦しかったりしているわけではないので、
「大丈夫よ」と言い、拒否しました。

それでも、その翌日のデイケアは「階段が怖い」というので、
おやすみすることに。
何となく嫌な予感がしたので、
木曜日にリハの先生み診てもらい、
その結果によっては病院へ行くと約束を取り付けました。

木曜日、予めリハの先生には事情を説明してあったので、
先生は、母に質問したり、身体を動かせたりしながら診てくださり、
「うん!やっぱり病院へいきましょう!」となりました。

実は、私の予想は、転倒による「硬膜下血腫」でした。
夏に室内で転倒し、3針ほど縫合したので、
脳外科の先生に、何かあれば受診するように言われていました。

しぶしぶ了承した母ですが、
問題は、どうやって階段を下りるか…?
救急車を呼んだ方が良いのか?

思い悩んでいると、
リハの先生がご自身の所属している事務所に電話を掛け、
「今、男性の看護師が来ますので、手伝ってもらいましょう」と
さっそく手を打ってくださいました。

10分もすると、男性の看護師の方がみえ、
母の様子や、階段の状態から、
彼は、車椅子で降ろすことを選択されました。

「車椅子で降ろす?」
母を車椅子に乗せたまま、3人で階段を降ろすということです。
え?
できるの?そんなこと…と、思ったのですが、
やはり、男性の力って凄いですね。
3階から、見事に母を降ろすことが出来ました。

ここまで出来れば、あとはいつも通りです。
すでに診察時間は過ぎていたので、日赤の救急外来へ向かいました。

救急外来は、それほど混んでいませんでした。
まずは、CT撮影を行った結果、硬膜下血腫の疑いはありませんでした。
が、先生からMRI撮影を勧められ、順番を待つことに。

随分、待たされました。
最初、私は待合にいたのですが、看護師さんに呼ばれ、母のそばへ。
「娘が外にいるので呼んで欲しい」とのことでした。
別に用事があるわけではなく、そばにいて欲しいだけです。
いつものことなので、私は母のそばで、
あれこれ話をしながら順番を待ちました。

順番が来て、母はMRI撮影へ。
再び、救急外来に戻ってきた母と一緒に待っていました。
母は、もう帰る気満々で、
「お腹空いたから、何か食べた帰ろう!」と言い、
二人で、何を食べに行くかを話していました。
時間を見ると、すでに午後6時過ぎ。
朝食後、飲まず食わずでしたから、お腹が空いて当然ですよね。

そうこうしていると、看護師さんがやってきて、
「こちらにサインをお願いします」と書類を渡されました。
えっ?何の書類?
まだ、担当医師からは何も聞かされていません。
「入院となるので、こちらにサインをお願いします。」と、
看護師さんに言われ、ちょっと驚いた顔をしていたら、
「このあと、先生から説明があります。」と言われました。

おいおい、順番が逆だろう!って思ったのですが、
何枚かの書類にサインをしました。
帰る気満々の母に、「何か入院だって…」と告げると、
母も「なんで?どこが悪いの?」と怪訝そうに言ってきました。

どのぐらい待たされたか覚えていませんが、
その後、担当医師から脳梗塞が見つかったと聞かされ、
今後の治療方法などの説明を受けました。
見せられたMRIの画像には、左の脳内に小さな点が映っていました。
1週間から10日ほどの治療期間を経て、
リハビリ病院へ転院することになるでしょうとのことでした。

またか…。
せっかくここまで戻ったのに、また振り出し…。

母に状況を説明し、「早く戻れるように頑張ってね!」と伝えると、
うんうんと、頷いていました。

一応、以前の入院の際の状況を担当医師に伝えると、
「ご家族の写真とか、普段使っている時計とかを持ってきてください。
あと、写真にメッセージとかを貼ってもらうといいです。」
と、言われました。
きっと、母のように入院によって「せん妄」や「認知症」を
発症してしまう高齢者が多いのだろうなと、
先生の言葉から感じられました。

病室の準備が出来、母は、救急治療センター(HCU)の病室に移りました。
「お会いになっていきますか?」
看護師さんに言われ、びっくりしました。
えっ?会えるの?
「今は、個室で、ワクチン4回接種していたら15分だけ面会可能です」と。

HCUは、全室個室なので、面会出来るのです。
2,3日は、HCUにいるそうなので面会できます。
15分だけでも大きな違いです。

こうして母の脳梗塞による入院生活が始まりました。


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