番外編:想定外はいつも隣…④
予断を許さぬ状況…?
予断を許さぬ状況…?
予断を許さぬ状況…?
先生の言葉が、耳の中でこだまして鳴り続けていました。
こだまの奥から、話し続けている先生の説明が
薄っすら聞こえてきました。
「それで、そうなった場合、どうされますか…?」
えっ?何?どうなった場合?
頭の中で、私の脈打つ音が響き渡っていました。
今、この場で、最悪の状態の場合を考えろってこと?
口の中が乾いて、パサパサ…。
先生が何を言われていたのかを、今、正確に思い出すことができません。
「このまま…」
「胃ろう…」
「延命…」
その全てが不鮮明で、ただただ私は、
「はい」「はい」とだけ応えながら、別のことを考えていました。
コロナ禍で、家族は、病室に入ることが出来ない今、
万が一、そんな最悪な事態が訪れたら、どうなるの?
そんな時でも、そばにいてあげることは出来ないの?
そんなに、そんなに、母の状態は悪いの?
頭の中にいろいろなことがグルグルうごめき、
そこに先生の声が、途切れ途切れに聞こえて…。
ちゃんと聞かなくては。
決心して、ようやく質問しました。
聞きたくない!
こんなこと聞きたくない!
もちろん、その気持ちが一番にありながら聞きました。
万が一の場合、そんなときも家族は呼んでもらえないのですか?
会えないのですか?
それだけ聞くのが精一杯でした。
先生の答えは…
「いえ、その時はもちろん連絡しますし、面会も可能です」。
先生の返事を聞き、少しホッとしながら、
心の扉、思考の扉が閉じていくのを感じました。
ただ、その閉まりかけた扉の隙間から、誰かが叫んでいました。
違う!違う!そんなこと考えないっ!
違う!違う!そんなこと起きるわけがないっ!
その誰ともわからない声が、先生に聞こえたのでしょうか?
「いやいや、今の状況から、まだまだ十分に回復する希望はありますから…」
最後、どんな言葉で電話を切ったのか覚えてはいません。
すぐに兄に電話をしました。
兄は、「そっちへ行こうかな」と言いましたが、
正直、今、兄が来たところで、面会すらできません。
結局、兄は、自宅で私の連絡を待つということになりました。
人の命には限りがあること、
そして、現在96歳である母にとって、
「その時」が、そう遠くはないこと。
そんなことは重々承知しています。
ただ、こんな形での最後はイヤです!
思いもよろぬ長期入院となり、
そこに追い打ちを掛けるように胆嚢炎を発症し、
コロナ禍であるがために、
そばにいてあげることもできないままなんて…。
そんなのはイヤです!
今じゃないよ!
お母さん、今じゃないよ!
こんな形、望んでないよ⁉
そんなことを、今、病室で眠っている母にテレパシーを送りました。
送り続けています。
28日以来、先生から直接の電話はありません。
ここからは、毎日、面会出来ない状況ではありながらも、
病院へ日参する私と、看護師さんとのやりとりが続きます。
先生から衝撃的なことを言われた水曜の午後、
私は、母の様子が知りたくて、救急センターを訪ねました。
ナースステーションで要件を伝え、しばらく待っていると、
当日担当の看護師さんがみえました。
彼女は、母が今は眠っていること、状態は落ち着いていること、
そして、少しゴソゴソと動く様子があり、
入院当初とは違ってきている(多分良い意味で)と、話してくれました。
そうか…先生は、あんな事を言っていたけど、
そうだ!あれは最悪な場合で、母は大丈夫だ!
そんな風に勝手に考え、
いや、考えるようにして、帰宅しました。
12月29日木曜日
昼近くに、看護師さんから、
一般病棟に移ったとの電話がありました。
一般病棟に移ったってことは…
ちょっと、良くなっているっていうこと?
今後、年末年始、一般病棟で治療を続け、年明けに検査をし、
容態次第では、リハビリ開始となる予定であるとうようなことを
電話口で、彼女は伝えてくれました。
良かった…。
暮れも押し詰まる中、私の気持ちも押し詰まった状態だったので、
ほんの少し、緩んだ気がして嬉しくなりました。
ところが、そんな私の気持ちは見事に打ち砕かれました。
その日の午後、母が移った消化器の病棟を訪ねました。
ナースステーションで用件を伝え、しばらく待っていました。
すると、その日担当の看護師さんがみえました。
年齢からすると、中堅かベテランの感じがしました。
私が、母の様子をたずねると、彼女は言いました。
「今日、移ってこられたばかりなのでわかりません。」
「今のところは、まったく動いている様子もなく、眠ってみえますし…」
目を開けたり、声を掛けて反応はどうなのかをたずねても
「移動してきたばかりなので、前の状況を知りませんからわかりません。」
「先生からの説明どおりです。」
「心配」という2文字が煮詰まった状態の頭を
ハンマーで殴られた気持ちでした。
殴られた私の頭は、もう、床に転がってる感でした。
「もう少し、言い方があると思いますけど…」と、
思わず口から飛び出しそうになる言葉をグッとこらえました。
確かにそうなのかもしれません。
彼女の言っていることは正しいのでしょう。
でも…
コロナ禍にあって、直接面会できない家族にとって、
患者の様子を知る看護師さんからの言葉次第で、気持ちが違います。
心ある言葉を付け加えることは出来なかったのでしょうか?
ものすごく落ち込んで帰宅しました…。
翌30日、もう今年も残すところ2日。
ここのところ、自宅には、お正月に食べる予定だった食品が、
続々、届きます。
何もかも「冷凍庫保存」の食品ばかりで
我が家の冷凍庫は、爆発寸前です。
母が退院したら、一緒に食べる約束をしていたX'masケーキも
冷凍庫保存されていたのですが、さすがに邪魔になり、
この日から私の昼食は、ケーキとなりました。
この日、私は、病院を訪ねるべきかどうかを悩んでいました。
昨日の看護師さんの言葉が胸に突き刺さり、
また落ち込むだけだったらどうしよう…?
散々悩んだのですが、やらないことで後悔するのは嫌だったので、
この日も、訪ねることにしました。
ナースステーション横の椅子でしばらく待っていると、
この日はおふたりの看護師さんがみえました。
若手とベテランのコンビという感じでした。
若手の方が、当日の担当だったようで、
「お声かけをすると、目を覚まされます。安定していますよ」と、
にこやかに話してくださいました。
そして、そばにいたベテラン(おそらく)の看護師さんは、
「ご家族の方は、面会できないからご心配ですよね。
でも、今のところは大丈夫ですよ」と言われました。
それ!
それです!
そんな気遣いが欲しかったのです。
先生に今の状況を説明してもらいたい旨を伝え、
その日は、気分良く帰宅しました。
年末なので、先生の勤務もいつもとは違っていることでしょう。
その日は、先生から電話がかかってくることはなく、
31日、今日、たった今、かかってきました。
担当の医師ではなく、別の先生でした。
今、現在の状況を説明していただきました。
今朝の状態。
熱は37度程度の微熱が続いているが、
今すぐ危険と言った状態ではなく安定しているとのこと。
ただ、炎症の数値はまだ高いままであるのと
腎臓が悪化傾向であるとのこと。
腎臓に関しては、特に治療は行わないが、
他の部分が良くなることで改善する可能性はあるとのこと。
ただ、ご年齢がありますから、
全てにおいて五分五分です。
ひとつひとつ、先生が言われることをメモしながら、
努めて冷静に聞くようにしました。
最後に、大切なことをたずねました。
母がもう一度、家に戻れることはありますか?
先生のこたえは…
「もちろん、ありますよ。」
ありがとうございます。
今、ここ…。
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