2021年1月17日に起きたこと
人生でただ1度、時間を巻き戻せるとしたら、そう、あの日、あの一瞬に戻り、違う状況にしたいと思います。
それは、2021年1月17日深夜のことでした。リビングでテレビを観ていた私は、大きな物音と母の「痛っ!」という声に驚き、母の元へ。
身体の左を下に横向きに倒れていた母は、痛みに顔を歪めながら「脚がもつれて(転んでしまった)…」と言うので、「どこが痛いの?」と聞くと、最初は「肩」と言っていました。入浴のため左腕に着替えを抱えたまま転んだため、床に肩を強打したようでした。そんな母を抱き起そうとしたところ、「あぁーーーっ!」と、悲鳴にも近い声を上げた母、今度は「脚が…、脚が痛い!」と、左の股関節大転子(足の外側付け根のグリグリ)辺りを自分の手のひらでさすり、うつ伏せになったまま動けませんでした。
あまりの痛さのためか、呼吸も乱れ、「ちょっと待って!」と言う、母の言葉のまま、しばらくそのまま呼吸が落ち着くのを待ちました。
しかし、いつまでもそのままというわけにもいかず、何とか母を四つん這いにさせ(左脚は伸ばしたまま)、リビングに移動し、引きづり上げるようにしてソファに座らせました。
折れているのか、酷い打ち身なのか…?素人の私には、その判断は出来ません。
救急車を呼ぼうかとたずねましたが、母は「もう少し様子を見る」と言いました。何度か立ち上がろうとしましたが、その度に激しい痛みに襲われ、動くことは出来ず、鎮痛剤を飲み、その夜は、そのまま眠りにつくことに。
母に毛布を掛け、私も隣で休むことにしました。
何時頃だったか覚えていませんが、母が「トイレに行きたい」と言い出しましたが、やはり立ち上がることは出来ず、今度は、キャスター付きの椅子を車椅子替わりにして、トイレまで連れて行きました。痛みに耐える母はもちろん、私よりも20キロ弱重たい母を介助する私も、1月の真夜中だというのに汗だくになったことを覚えています。
うつらうつらしたまま夜が明け、母に様子を聞くと、痛みは引いておらず、立ち上がることは到底無理そうでした。それまでどこかで「朝になれば…」と考えていたお気軽な私でも、これは大変なことになった…と、思いました。コロナ禍真っ只中。入院となれば、面会は出来ません。そのことを母に伝えると、「仕方ないね」と寂しげに答えました。
連日、コロナ禍のために救急車が足りず、なかなか来てもらえないとテレビで報道されていたので、大丈夫だろうか?介護タクシーとかにした方がいいのだろうか?
入院するとなると、どこか先に病院を決めておかないと「たらいまわし」にされるのではないかと思い、母の希望を聞き、近所の総合病院へ電話をかけ、了解を得たところで119番しました。幸い、救急車はすぐに来てくれることとなり、その間、私が母に確認したことは、スマホの使い方でした。
ちょうど数日前、ガラケーからスマホに変更したばかりの母は、慣れない手つきで、何とか私にだけは、電話できるようになっていました。もちろん、LINEもメールも出来ません。耳が遠いので、鳴っているベルには気付くことが出来ないので、本人がかけてこない限り、話をすることは出来ません。もし万が一、入院になった場合は、1日に1回、必ず電話をするように伝え、救急車の到着を待っていました。
電話しておいた病院は、車で5分ほどのところなので、あっという間に到着し、母は、救急外来の診察室へ。私は、待合室でずっと待っていることしか出来ず、その間、ケアマネージャーさんに電話で連絡しました。
母は、その時点で94歳、認知症はありませんでしたが、足腰が弱く、歩行時に杖を使っており、「要支援2」の状態でした。
これまでも何度となく入院はしましたが、毎日、面会し、1日の出来事を話していたので、このまま何日も面会出来ないとなると、どうなるのだろう?と、こころがザワザワしたことを覚えています。
母の性格上、入院中、他の方と楽しくやっていくことは無理だろうとわかっていたからです。
どのぐらい待ったでしょうか?看護師さんから母の状態を聞くことが出来ました。左股関節大転子骨頭を骨折しており、手術、入院が必要とのこと。手術は、1日置いて20日の午後とのことでした。外来診察室のベッドで横になっている母の側にいることを許された私は、病棟に移動するまで、随分長い時間、一緒にいました。
その後、母は病室へ移動し、10分ほどの入室を許された私は、手術は明後日であること、その日は面会出来るとのことを母に伝え、母は、ベッドに固定されたまま、明後日、会う約束をしていた友人に連絡しておいてほしいと言いました。今思えば、今日のような日がくることなど予想もせず、普通に会話が出来たのは、それが最後だった気がします。
あの日、あの瞬間、どうであれば、この事態を防ぐことが出来たのでしょう。転ぶ瞬間、左腕に抱えた荷物を投げ出し、手をついていたら…。手首を骨折したかもしれませんが、今より良かったのではないか?
すでに、杖をつかっていた状況だったので、私が手伝うべきだったのか?
1年半以上経った今、時々、考えてみても仕方がないことを考えてしまいます。
でも、あの時、「じゃあね、帰るね!」と言い、手を振った私には、こんな毎日がやってくるとは、思ってもいませんでした。もちろん、母も…。
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