幸せを決めるのは誰ですか?
私が好きで、よく本やブログを読んだり、Voicy、Youtubeなどで見聞きしている方々。 (勝間和代さん、ワーママはるさん、澤円さん、西野亮廣さん など)
自分らしく、 軽やかに、生きやすくするにはどうしたらいいのか ?
を、発信してくださっています。(私の受け取り方ですw)
最近私のアンテナに引っかかるキーワードは、
他人軸ではなく、自分軸で生きる。
自分の価値観に正直に生きる。
無理はしない。(時間的なものは効率化、対人関係であれば、人を変えることは出来ないので、自分の思考を変えるか、場を変える)
今こういう生き方がしたいんだな…
今までそういう事を言語化したことがなかったけれど、言語化することで、自分が感じている感情を認めてあげることができる。
私は長らく、生きづらい人生を生きてきた。今も生きづらいと感じている。
でも、それは誰のせいでもない。
仕事を選んだのも、会社を選んだのも、会社に居続けることを選んだのも、夫と結婚したのも、子供を産んだのも、
私の人生に現れた選択肢の中から、私自身が選び取ったのだ。
ただ、私は今まで言語化ができていなかったので、私の前に選択肢があることすらわかっていなかった。
だから自分で選んだという実感がなかった。
よく聞く、流れに身を任せていたらこうなっちゃいました。というやつだ。
これが語られる時は、だいたい生存者バイアスによって良い方向に語られるが、 大概流されてそうなってしまった人は、 流されて良かったなどと自分では思っていないのではないだろうか?
流されてしまった自分を恥ずかしく思い、口をつぐんでいるのではないだろうか。
私はそうだった。
流されると言うことは、つまり、自分軸がないということだ。
親や、教師や、友達や、上司や、同僚や、恋人や、配偶者、もしくは著名人かもしれない、いわゆる世間ってやつかもしれない、
そんな誰かの軸(他人軸)を、意識すらしないままに判断の基準にしてしまっていたのだ。
それって、かっこわるい…
ようやくそれに気がついた。
かなり遅いけれど、今日が人生で一番若い日だ。気づけてよかった!
気づけたのなら改善することができる。
今まで他人軸で生きてきた自分の人生を、自分軸で生きることができる。
ようやく自分の人生を手に入れた感じ。
生きやすい人生は、私が選ぶことができるのだ。
私の人生の責任者は私だ。私の幸せは私の責任だ。
責任とは、自分で選べるということ。
つまり、自分で自分の幸せを選ぶことができるのだ。
だって、その幸せの定義すら、自分で決めていいのだから。