見出し画像

Movie 『ダンシング・ホームレス』

 この前、ぽれぽれ東中野に行き、「ダンシング・ホームレス」という映画を見に行ってきた。色々なことを考えた。

 路上で暮らすホームレスの人々の体から出るダンス、という所に注目したダンスの先生が始めたホームレスによるダンスグループ。ダンスそのものは、すごく面白くて、人間の体の不思議さとか人の中から生まれい出るものとかに目を惹きつけられた。一人ひとりのホームレスの人に迫りながらも、彼らの踊りを追っていくこの映画は、すぐには飲み込むことができないものだけど、私の中に強く発光しながらそっと置かれている。改めて、この映画を通して色々なことを思う。一人ひとりに異なるストーリーがあって、今の生活に至っている。そして、路上の界隈にも色々な人間のしがらみやややこしさっていうものも勿論あって、初めて見る人間世界のありように驚いたり言葉が出なくなったり、人という生き物の持つどうしようもない哀しみの一端に触れたような気がした。その哀しみは、どこでどんな生活をしていようが、皆が心の中にひっそりと持っているものなんじゃないかって思う。私も、映画に出てくる方々の心にそっと触れたとき、その哀しみのようなものを思い出して胸がざわめいた。

 色々な人生がある。世間は「ホームレス」というくくりで人々を見ていて、勿論彼らとてそれは十分承知していて。でも、なんかその区切りではどうしようもなく拾いきれないものがあるような気がしている。路上で生活していると、きっと自分の体に強い意識が向いていくようになるのだと思う。日々変わらないように見える世界の移り変わりにも敏感になるし、自分の体という自然にも敏感になっていくんじゃないかっていう気がする。そんな、ある種生きることの本質的な部分に日夜触れているホームレスの方々だからこそできる身体表現があるのだろう。皆さんのダンスは、何かすごいものを見てしまった、という気持ちになった。いつも見ている街の、全く違う側面。加工されていない生身の人間のすごさ。世界の秘密の一端を垣間見てしまったような気持ちになった。

 ダンスをしていないで働けよ、とか色々な声があるという。そう言う人もいるのだろうと思う。ある意味では、そうなのかもしれない。その通りなのかもしれない。でも、そうかな…。そうなのかな…。どこに、自分の価値観の軸を添えるかでしかないと思う。その違いがあるってだけだと思う。社会の中で働くことも一つ。でも、そうではない世界があってもいいんじゃないのって、今の私はただそう思う。どれだけ頑張って何をしようが、結局人は死んでいく訳だし、失敗も成功も人生においては本当は無い。それぞれの時間があって、どうやって過ごしていくかでしかないよなあって思う。そこに是非をつけることも、ジャッジを下すことも出来ない。どんな形であっても、生きていき続けることをホームレスの方々の姿から感じ取った。素敵な映画を見れて本当に良かった。ダンスを続けることは、お金の問題もあって難しいこともあるみたいだけれど、辞めずに続けていってほしいな。そしていつか、生でダンスを見れたらいいな。

missin

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?