り リオデジャネイロ
「運命は性格の中にある」とは、芥川龍之介が記した『侏儒の言葉』の中の一節です。
私がギャラリスト(ギャラリー主宰)となった一つのきっかけをくれたのは、今振り返ると父の仕事で幼少期を過ごしたブラジルのリオデジャネイロにあったのかもしれません。
リオデジャネイロは最近ではオリンピックの開催地として有名になりましたが、私が暮らした70ー80年代は、美しい山と海、沢山の立飲みバールからコーヒーの芳しい匂いが海風と共に運ばれて、埃や車の排気ガスと混ざりあい、街中に複雑な独特の香りを漂わせていました。ヒスパニックから黒人、メスチソ、凡ゆる人種の坩堝で、混沌としているものの、しかし全てを飲み込む活気溢れるエネルギーを感じさせる街でした。
ブラジル人はカフェジンニョ(小さなコーヒー)と言って、イタリア風のエスプレッソにお砂糖をカップの半分ほど並々と注いでコーヒーを楽しみます。それこそコーヒーを飲んでいるのか砂糖を食べているのか分からないほどの量ですが、ブラジルはコーヒーと共に砂糖の生産高が世界一位。飲食店に行けばお水がただで出てくる日本と共通しているのかもしれません。
私が暮らした70年代は二度のオイル・ショックによって、常に累積債務問題がブラジル経済の足枷になっていました。毎月数百パーセントのインフレーションにより貧困層の人口は鋭角的に増えていき、リオデジャネイロでもスラム街が形成されていきました。丁度お洒落がしたい十代の娘時代はいつもボロボロのTシャツとデニムのジーンズを履いて、リックサックはお腹掛け、そして万が一強盗にあった時に無一文では殺されるからと運動靴の底には常にお札を忍ばせて通学していました。
そんな負の遺産もありましたが、ブラジルは1951年よりサンパウロ・ビエンナーレというヴェネチア・ビエンナーレに次ぐ大規模な国際美術展が開催され、世界各国の優れたアーティストが競い合い最新のアートを発表します。最先端のアートと審美眼、貧しい中にも悦びを見出すことのできるブラジル人の明るさと情熱は、先行きの見えない昨今の世界情勢の中でこそ多くの学びがあるような気がします。
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