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ケーテ・コルヴィッツ(Käthe Kollwitz)美術館に行って来た話

ベルリンの東のほうのPrenzlauer Berg地区にコルヴィッツ通りとコルヴィッツ広場とコルヴィッツ公園があります。これは19世紀終わりから20世紀前半に活躍した画家のケーテ・コルヴィッツに因んで名づけられたものです。そこらへんに彼女が住んでいたそうです。

落書きされていますが、公園にはコルヴィッツ像もあります。

私はベルリンに来るまで知らなかったのですが、ケーテ・コルヴィッツは、貧しい女性や家庭を題材にした多くの作品を残し、政治的な活動にも関わり、今日もドイツを代表する画家として高く評価されています。6月まではフランクフルトで、7月まではニューヨークでコルヴィッツ展が開催されていました。どっちも遠いなと思っていたら、ベルリンにケーテ・コルヴィッツ美術館があったので行って来ました。シャルロッテンブルク宮殿の一角に美術館が入っています。

社会派の画家だったコルヴィッツの作品はモノトーンで地味です。デフォルメはあっても誇張はなく、現実の貧困や絶望を日常のワンシーンの中で表現する巧みさに、医者の妻であったコルヴィッツ自身が当時の貧しい市民の生活に通じていたことが感じられます。

「失業」というタイトルの絵です。父親が眠っている妻と3人の子供を眺めているシーンですが、黒々とした影に絶望が宿っています。
「クリスマス」という題がつけられていますが、クリスマスの喜びはかけらも感じられません

1914年に第一次世界大戦でコルヴィッツの次男が戦死しました。その後は死を直接的なテーマにした作品が増えていきます。個人的な喪失感を作品へ昇華したのだと思いますが、一部の作品からは残された者たちの強烈な絶望が伝わってきます。

「両親」。顔が見えないのに、この姿勢から悲嘆が直に伝わってきます
「戦死」。これも表情は見えませんが、母親の悲しみがありありと描かれています

表情が見えないのに、体の姿勢と周囲の状況で生々しい感情を伝える作品が多くあります。コルヴィッツという人は人間をよく観察し、ひとつひとつの身振りがどのような気持ちを伝えるのか研究していたのでしょうね。またタイトルが作品を解釈・理解するのに非常に明確な役割を果たしているのもコルヴィッツの特徴でしょう。

他方、死を具人化して描いた作品もあります。

「死と女」。理不尽な死をこのように表現するこの作品が私はとても好きです。コルヴィッツの傑作ではないでしょうか

死を生の向こうにある身近な存在として日常の中でさりげなく描いている作品もいくつかあります。

「コンラートと死が呼びかける」

コルヴィッツは自画像も多く描いているのですが、彼女の自画像には自分をよく見せようという虚栄が一切感じられません。シワもシミも白髪もたるみも全てを忠実に写し取ろうとする画家としての欲求だけがあるようです。その姿勢こそが、彼女の作品に通底するものなのでしょう。

コルヴィッツ自身が創作した首像

このケーテ・コルヴィッツ美術館は、ほぼ年中無休です。公営の美術館・博物館は月曜日が休館なので、月曜日に行ける美術館としても貴重な存在です。小さな美術館ですが、ここで紹介しきれない傑作が他にも展示されています。

追記(2024/8/8):
よく考えたら、コルヴィッツの作品(ピエタ)はウンター・デン・リンデンのノイエ・ヴァッヘ(新衛兵所)に置かれていて有名なのでした。オリジナルは30, 40cmの小さめな像ですが、大きくした像を当時のコール首相が1993年に設置させたという経緯があります。その時に様々な政治論争が巻き起こったらしいですが、ピエタは今も置かれています。
個人的には、小さく作ったものは小さいままのほうがよいような気がします。

左が大きくした像。右がオリジナル
戦争犠牲者を悼むためのノイエ・ヴァッヘ。その犠牲者にも色々あるのにいっしょくたにするなとか何とか、議論が巻き起こったようです。

参考情報:
Through the Lens of Humanity: Wolfgang Tillmans on Käthe Kollwitz(MoMAのインタビュー記事)
Käthe-Kollwitz-Museum Berlin(コルヴィッツ美術館の公式サイト)
Kollwitz und die mißbrauchte Trauer


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