やりとりが途絶えた友達に連絡すること
以前お世話になった人と細々とメールのやりとりを続けていたのですが、ある時に癌になったというお知らせをもらいました。それに私から返信をしましたが返事が来なくて、それっきりになってしまいました。時々彼女のことを考えることはあったのですが、病気なのに連絡するのも悪いかなと遠慮してしまって連絡がとれなかったのです。
ベルリンに来たタイミングで共通の知り合いに連絡をとってみたら、その方は数年前にもう亡くなっていました。過剰に気を遣ったりせず、連絡しておけばよかったと今になって思います。
SNSやメールやその他でいつでもつながって、連絡ができると思っていると、こんな風にタイミングを逸して疎遠になることもままあります。もう人生も折り返し地点を過ぎているので、こういうこともだんだん増えていくのでしょう。
別の記事で書きましたが、私の数少ない男友達のしんさんとは携帯電話のメールだけでやりとりをしていたので、しんさんが(多分)携帯キャリアの変更をした時点で、連絡がとれなくなってしまいました。せめて電話番号か、別のメールアドレスをきいておけばよかったと今になって思います。
そして最近、「疎遠になった友人への連絡」は見知らぬ人に声を掛けるくらい心理的ハードルが高いという記事を読みました。その通りだと思います。喧嘩やその他の出来事がきっかけで連絡が断絶したのであれば理由が明確ですが、なんとなく連絡が途絶えた場合、なぜやりとりが断絶したのか後から考えてもわからないのです。人間は曖昧なことを嫌い、合理的な説明を必要とする生き物なので、何となく起きた事象にも「私が何かして相手に嫌われた」という理由をつけたがるんだと思います。そうすると、相手を深追いする理由も消えるので、リスクをとって新たなアクションを起こす必要もなくなります。自分が相手に嫌われたという理由づけは、そういう意味ではとてもお手軽で合理的です。
私には他にも連絡が途絶えた友達がいました。大学時代に姉妹のように仲良くしていて、離れ離れになってもメールのやりとりを続けていたのに、いつのまにかそれが途切れてしまいました。やりとりがなくなって10年以上たつのですが、本当に私は彼女に嫌われるようなことをしたのか、最近逆に自信がなくなってきました。(何せヒマで、昔のことを思い出す時間もたっぷりあるから色々なことを考えます。)思い切って短いメールを送ってみたらすぐに返信が来ました。
私からの連絡をとても喜んでくれて、これまで私のことを何度も思い出したが、彼女の方でも私に嫌われることをしたかと思ってメールをする勇気がなかったということでした。双方で同じことを考えていたわけで、それではいつまでたってもやりとりが復活することはありません……。同じ東京に住んでいたので会う機会はいくらでもあったのに、私がベルリンに来たタイミングで仲直り(?)をしたわけです。けっこうな時間を無駄にしました。
時には、自己防衛機能のせいで気づかないうちに自分の行動が制限されていることもあるなとわが身を振り返って思いました。大抵の人に、なんとなく連絡が途絶えて気になる友達はいると思います。自分が嫌われたとかなんとか考えても埒が明かないので、一度連絡をとってみたら案外またやりとりが復活するかもしれません。