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努力は結局自己評価だと思う。どんなに頑張って努力してもやり方が間違っていたら絶対結果は出ない。わかってるけどとりあえず叫びたい私。
私は昔から不思議に思っていたことがあった。
オリンピックとか大会で
金メダル取れなくて申し訳ないです
とか泣きながらインタビューを受けてる選手
取れなかったのは残念やけど、謝罪する必要あるんか、てかそもそも誰に言ってるんやろうって。
悔しいのは間違いなく自分やのに、泣きながら誰に謝罪することある?て思っていた。
応援されるってことが一般人の私にはあんまり経験がないからわからなかった。
部活とかも親とかいろんな人が支えてくれて応援してくれていた。
確かに引退試合は負けてしまったなーこれで終わりか。今までサポートしてくれてありがとうとは思うことはもちろんあった。
もちろんオリンピックの選手とか比べものにならへんけど、
私も少しだけ応援してくれていた人への罪悪感を少しだけ感じた。
そう悔しくて悔しくて泣きそうになって
(泣いてはないんかい)
自分が不甲斐なかったけど、応援してくれていた人になんていうたらいいんやろうってちょっと考えてしまった
私の場合は全力を出しきれず、まさかの怪我でリタイヤだったから余計に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
整骨院の先生にも3キロで足が痛くなって走れませんでした
っていうたら
そっか僕も悔しいです。走れると思ったんですけどね。
っていうてくれてなんだかなんとも言えない気持ちになった。
そっか、私のこと応援してくれて、施術もテーピングも練習もなんか色々考えてくれた助かった。ほんまに完走したよって言いたかったよ。
あー悔しい。でもなんかほんまにいい先生に出会えて良かった。この人もこれからもお世話になろうって思えることができた
職場の人の人からマラソンどうやったってメッセージが来るたび心が痛くなる。コンディション良かったんやけどな。練習でできることも本番ではできひんくなる。そこはマジで痛感
もっと練習しやんとあかんってこと。怪我もしっかりなおなさいとあかんてこと
もし42キロの走れたとしたら足がもっと酷いことになっていたかもしれない。また次走れる可能性あるもんな。
とか思うように考えを変えてみる。
まぁどんなにいいように考えてもやっぱり悔しい気持ちはあんまり変わらへんねんけどな。起こったことは事実やし、もう変えられへん。
正直めっちゃ緊張してたし、なんかよくわからんプレッシャーに押しつぶされそうになってたし、体調もなんか良くなかったし。
そんなコンディションになるかもしれへんってことも考慮しなあかんてことやな。
練習でできひんことは絶対本番でできない。
今回は練習でもできひんかったから本番できひんくて当たり前やったんや。
私は結果が全てで過程は大切っていう言葉はあんまり好きじゃないけど
今回だけは過程も大切って言いたい。だって結構頑張ってんもん。やから悔しいねん。これ何にも練習してなくて、マラソン完走できませんでしたってことじゃない。
本気で練習して、完走を目標にほんまにほんまに頑張って。
好きなものも我慢してさー
努力は裏切らない。でも努力のやり方を間違えていたら成功はしない。
だから結果が全てだと思ってる。
仕事できない人は一生懸命やってるっていうだろう
でも努力の矛先は間違ってるねん
どんなに頑張ってるって主張してもできてないものはできてない。
努力って結局自己評価でしかない。他者評価であればまたその人の評価が変わってくるんだろう
自己評価も他者評価も高い人が努力は裏切らない。なぜならば結果も伴ってるから。
自己評価のみ高くて他者評価が低い人は努力してると思ってるだけで結果が出ない。だから結果も大切やけど過程も大事っていう
自己評価低くて他者評価が高い人もそもそも努力してるとか言わへんと思う。
なんかうまいこと言ってるとか言いそう。
何事もスムーズにうまくいく人いいなって思う。
憧れる
クールな顔して淡々とする人。
そんな人に私もなりたい。
どうせ過ごすなら楽しい方がいい◡̎
最後まで読んでくれてありがとうございました