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【桜 三部作#3】残桜

 枯れたように見える古木も、いや、古木であればあるほど、生命力を見せつけるかのように、もくもくと花で枝を埋め尽くす。大木は下から見上げると、圧倒されてしまいそうだ。はかなく散っていくからこそ桜は美しいと、この国の人は言う。今を盛りと春風に深呼吸する桜も美しいが、散り時を知って舞い落ちる桜も、また美しいと。いくつかのコントラストの上に、日本の桜は桜であり続けているようだ。

 日本に住んで25年目の春がきた。アメリカ人である僕は、日本の人たちが桜に熱狂する姿を見るのが好きだ。桜の木の下での家族同士のピクニックや、恋人同士の語らい、老夫婦の散歩。大声を出して騒いでいる若者グループにさえ、桜を愛でる日本人のDNAが流れているのだ。花見客の多くが、飲んだり食べたりしているのを横目で見ながら、僕は本を読んでいた。僕の前に、一組の家族が来て、ピクニックを始めた。この夫婦にどこかで会ったことがあるような気がした。シートを広げる時、男性が僕に軽く挨拶した。小さい女の子が僕と目が合うと、女性の後ろに隠れてしまった。女性が「どうしたの、咲季ちゃん。ちゃんと『こんにちは』したの?」と女の子を前に抱き変えて背中をさすりながら言った。その瞬間、男性が険しい表情で「葉子、夏希だよ」と囁く。女性は、ハッとして「夏希ちゃん」と言いなおす。女の子は相変わらず、こわごわ僕の方を振り返ってから、また女性のお腹に顔を埋めた。女性は、すみませんと言うふうに、僕に頭を下げた。僕は挨拶がわりに「いくつですか」と訊いた。女の子は指で器用に3本立てて「しゃんしゃい」とはきはき答えた。お母さんが「もうすぐ4才です。夏に希望の希で、夏希です」と付け加えた。「なっちゃんは夏に希望の希、ママは葉っぱの葉で葉子だよ」一生懸命覚えたのだろう。女の子が教えてくれた。「日本にはいつからお住まいですか?日本語がお上手ですね」と男性が僕に訊いた。「お嬢ちゃんくらい小さい時に父親の仕事の都合で来て以来、もう25年になります」お父さんが話しているから少し気を許したのか、お母さんの膝の上にいた女の子が、全身をこちらに向けて、ニコニコしながら僕とお父さんの顔を代わる代わる見た。

 その場を後にしてから、あの夫婦は、数年前、僕が通訳をしているNPO法人に養子縁組の相談に来ていた人たちだと思い出した。僕は相談の担当ではないが、二人揃って何度か来所していたのを覚えている。あの女の子が養子だろうか。夏に希望の木で夏希ちゃんと言っていたなあ。ご夫婦は40代後半に見えた。

 春が過ぎても咲き残っている桜、散り残った桜を残桜と呼ぶ。わざわざ立ち止まって残桜を愛でる人は少ないが、次の季節への確かな移ろいを体現している。桜は誰に言われるわけでもなく、サイクルを繰り返す。夏に希望の希。一歩前へ。葉の出かけた木を見ながら、夏希、という名前に込められたご両親の思いを想像した。


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