”自分らしさ”に遠慮はいらない ー 椿の花咲く頃
スナック店主でシングルマザーのドンベグと警察官・ヨンシクのラブコメディ…かと思いきや、連続殺人事件も絡んできてハラハラする展開の人間ドラマだった!ネタバレなしの感想です。
人情に厚く、良くも悪くも他者への干渉がきつい田舎町、連綿とつづく母性神話というような旧来の世界観を舞台に、それらの良い部分は守りつつ、半歩踏み出そうとするような作品。ハートフルなストーリーが観たい方におすすめです。
愛の不時着の班長やパラサイトの家政婦さんなど、おなじみの女優さんが脇を固めていて安定感ばっちり。班長の緑色の眉毛×紫のアイカラーがおしゃでしたん。(AMIAYAとかやってそうじゃない?)
ストーリー
主人公のドンベグは7歳のときに母親に捨てられ、孤独や劣等感に苛まれながら育った女性。過去の恋人との間にできたひとり息子・ピルグを自分とは違う明るく陰のない子になるようにと愛情いっぱいに育てている。ケジャンで有名な郊外の港町・オンサンで唯一のスナック「カメリア(=椿)」を開き、ひたむきに働いている。
そんなドンベグに一目惚れし、熱心にアタックするヨンシク。元タクシードライバー。正義感が強く、銀行強盗など、出くわした犯罪者に立ち向かって逮捕に貢献すること数回、ついに街の警察官として登用されることに。シングルマザーとの恋を母親から猛反対されるも、ピュアな優しさと芯の強さで逆境に立ち向かうドンベグを献身的に支える。
オンサンの個性豊かな人々に、時にはやっかまれ、噂の的やトラブルにもなりながら、なんだかんだ見守られる2人。しかし、ドンベグの元恋人でピルグの父であるプロ野球選手のジョンニョルやドンベグを捨てた母との再会、さらには過去に起きた未解決連続殺人の犯人が再度動き出したことで、2人の前には様々な試練が立ちはだかる。
ドンベグの魅力
ドンベグは人への思いを「先出し」する人だ。相手を伺って自分が損をしないか確認してからではなく、リスクがあろうと常に自分から信じるし、優しくする。
いつもドンベグから愛の循環が始まっている。つまり人に”Giveできる人”ということだと思う。
わたしは無駄にプライドが高く、損得勘定してしまいがちなので「先出し」するのはとても勇気がいる。だけど、先出しできるドンベグを美しいと思う自分がいるのだから、もっと自分を信じたいなと思った。BTSのジンくんも言ってたしね「プライドが強すぎるのは役に立たない」って。
陰のある子、陰のない子
孤児として育ったドンベグは人々から「陰がある」「不幸そう」と言われることを嫌がっている。確かに、語尾が消えるような話し方で自信なさげだったりして、明るい雰囲気とは言い難いタイプだ。「薄幸の美人」という言葉がとても似合う。
彼女は息子を陰のない子にしようと、できるだけ苦労させず汚いものを見せずに育てようとしている。(彼女がそう考えた理由となったであろう出来事が作中で判明するのだが、ネタバレになるのでここでは控える)
わたしは、このカテゴリー分けで言えば「陰のない子」に相当するのだろうと思った。いじめられたこともないし、人からは明るい・堂々としていると言われることが多い。でも、だからといって1ミリも苦労せず育ったかと言われたら、そんなことないよと言いたくなる。確かにドンベグ級の超ハードモードな人生ではないけれど、それなりに汚いものを見たし、嫌な経験もした。
陰があるか、ないか。それは経験と因果関係があって醸成される何かというより、単に物事の捉え方や表現方法の違いだけのようにわたしは思う。
そして、陰があるのもないのも単純に個性であり、良い・悪いではないと思うのだ。
陰のないわたしには持ちえない魅力的な部分が、ドンベグにはたくさんある。もの静かで控えめだからこそ、内に秘めたハングリー精神や独立心、根性の据わりっぷりに意外性があって人を惹きつける。現にヨンシクみたいな熱狂的ファンが現れて全力で守ろうとしてくれるじゃないか。
それに、儚げで男性の庇護欲をかき立てそうなドンベグの雰囲気は、逆立ちしても醸し出せないから単純に羨ましい。わたしだって1度でいいからミステリアスと言われてみたいぞ。
ドンベグは日本語で「椿」。椿の花言葉のひとつは「控えめな素晴らしさ」らしい。
やっぱり人には欠点なんてない。陰があるのも大きな魅力だとドンベグを見ていて思った。
”自己犠牲”バトン
韓国や日本のドラマによく見られる「愛する人のために自分を犠牲にする」的なシーンが本作にもあった。
ドラマの中で描かれる自己犠牲が美しい献身に感じられるのは、視聴者という無関係な第三者目線で見ているからだと思う。
現実に自分の近くにいる人が、自分のため/誰かのため/組織のために自分を犠牲にしているなんて、気持ちのいいものじゃない。
幼い頃、わたしの両親には喧嘩が絶えなかった。喧嘩を聞いているのが辛くて、始まるといつも布団をかぶっていた。わたしは離婚して欲しいと何度も頼んだけれど、母にはわたしの弟が高校を卒業するまでは離婚しないという固い決意があった。子供の立場からすると親が苦しんでいる姿を見続けなければならないことが嫌だったのだけど。母親/父親の不在で何か自分にとっての不便があったとしても、両親には笑顔でいて欲しかった。
どんな人でも、身のまわりにいる人には幸せでいてほしい。無理して苦しい顔をしながら「善いこと」をしようとしなくていいよってたいがいの人は思っているんじゃないだろうか。
このドラマに登場する母親たちは、自分を犠牲にして子を育てることが美徳とされてきた世代とその娘世代だ。「自己犠牲」バトンは次世代にも繋げられるのか。紆余曲折ありながら、そこで最終的に受け渡されるメッセージにぜひ注目して欲しい。
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