「エンターテインメント」ってなんだろう?
「エンターテイナー思考」について書き綴るにあたって、
そもそも「エンターテインメント」とは何なのか?
という、ささやかな疑問について、自分なりに定義してみようと思う。
「エンターテインメント」という言葉の定義については、これまでも色々と思考を巡らせて様々な資料にも触れてきたので、自分なりに最もしっくりきた「エンターテインメント」の定義を紹介しようと思う。
「エンターテインメントとは、人を意図的に別の世界へと誘うものである」
例えば誰かが落ち込んでいたり、悩みごとがあったとしても、人は「エンターテインメント」によってそれが一時的であっても苦悩から解放され、まったく別の世界に意識を集中することができる。
例えば、映画を観れば、一気にストーリーに引き込まれるだろう。
それがコメディでも、ホラーでも、抱く感情こそ違えど、それは観る人を強烈に別の世界へと誘う力がある。
美術館で作品を観れば、静寂の中で作者の意図やメッセージに想いを巡らせるひとときを堪能できる。
「退屈」という言葉の対義語は「熱中と没頭」、つまり「エンターテインメント」なのだ。
決してマジシャンやダンサーなどのパフォーマーや、歌手やミュージシャンだけがエンターテイナーなのではない。
休日に子どもと遊ぶ親も、近所の喫茶店を営む面白いおっちゃんも、どこか天然で愉快な友達も、その全員が「エンターテイナー」だ。
誰かを退屈の反対側に連れていくことができる人は、誰もが「エンターテイナー」であると自分は考えている。
つまり「エンターテイメント思考」とは、自分軸だけで生きるのではなく、一緒にいる誰かの退屈を吹き飛ばすような心の持ちようのことなのだ。
とはいえ、一緒にいる人を常に楽しませようと無理に気張る必要はない。
渾身のジョークが連続してダダ滑りしてメンタルに来れば、大ダメージだ。
「エンターテイナー思考」とは、あくまで思考。
一緒にいる人を退屈させたくない、と頭で考えるだけで十分に効果的である。
なぜなら無理に行動に移さずとも、その心の持ちようで自然な形で行動に現れるからだ。
誰かにとってのエンターテイナーでありたいと思うことは、自分の心や行動を前向きに保ち、ポジティブに生きるきっかけになる。
大きなステージに立たなくても、数千人の観客の前に立たなくとも、大切な人の前に立つエンターテイナーであればいい。
【今日の一枚】
地元レストランでのショーに幼馴染が遊びにきてくれたときの写真です。
クローズドのショーが多い自分にとって、友達にショーを見てもらえる機会はとても貴重だったりします。
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