ジャベリンと蝶々
その兵士は黄色のバンダナを頭に巻いていた。
AK-74カラシニコフ自動小銃を持って戦場を駆ける。
戦友たちがいる。ジャベリンがある。守るべき祖国がある。
どんな敵とだって戦える。最新のT-90戦車も斃した。破壊したT-72は数えきれない。
FGM-148 ジャベリン。対戦車、対ヘリ用の歩兵携帯ミサイルだ。
ミサイル本体は一発20万ドル、その発射装置は40万ドルする。だがこれで戦車やヘリが落とせるなら、安いものだ。どうせ沢山あるのだ。撃てる時に撃つべきだ。
燃やし屋が、ジャベリンを構えた。遠くの畑道にT-72が見えた。木陰に隠れている。
「貸せ。パリーイ。俺がやる」
その兵士は、ジャベリンを構えた。狙いをつけて、ロックオンする。反動音と共に衝撃が走り、ミサイルが発射された。ミサイルは高く舞い上がり、直上から戦車に落ちた。
T-72は爆発した。砲身ごと砲塔がポーンと空高く舞う。やった。ジャック・ザ・ポッドだ。
部隊のみんなが歓声を上げる。鹵獲した歩兵戦闘車BMP-2に乗って、戦果を確認しに現地に向かう。どういう訳か敵は一台だけだった。戦場で孤立して逸れていたのかもしれない。
車体の近くに、曲がった砲身の砲塔が転がっていた。炎上している。
T-72は欠陥がある。いや、この戦車に限らず、他のT型も全て砲弾を砲塔内に格納しているため、誘爆して砲塔が車体から離れて空を飛ぶ。だからジャック・ザ・ポッドと言われる。
90年代の湾岸戦争の時も同じだった。700両のエイブラムスと200両のチャレンジャーで、1000両以上のT-72と砂漠で戦車戦をやった。結果は西側の勝利で、T-72は前面のコンポジットアーマーさえ撃ち抜かれて敗北した。あの時は劣化ウラン弾が使用されていた。
当時、T-72は輸出国向けのモンキーモデルと言われていたが、今ここにある戦場でも同じ現象が起きている。敵は30年以上経っても、仕様を変えていないのは明らかだった。
「見ろよ」
殴り屋が指差した。黒焦げの何かが地面に転がっていた。
それは人の頭だった。下顎がない。上顎から半分だけの頭部がある。
「戦車兵か……」
両替屋が近付いた。それは若い男の頭部だった。焼け焦げて煙を上げている。
「郷里(くに)の女たちも嘆くだろうよ」
殴り屋が言った。すると動画のように、出征前の戦車兵に抱擁する女の姿が見えた。
母親か、姉妹か、恋人か、よく分からない。駅のホームだった。女は泣いている。
「やめろ、奴らは敵だ」
分隊長がそう言うと、黙り屋が近くの土をかけた。その兵士は転がる頭を見た。
眼の部分はどうなっているのか、黒くてよく見えない。額から血が流れていた。
ふとどこからともなく黄色い蝶が舞い降りた。そして転がっている頭部の額にたかる。
「I didn’t know butterflies ate blood.(注5)」(蝶が血を舐めるとは知らなかった)
両替屋が言った。ミニャーイロは時々、英語を喋る。両替屋だからか。
「おい、あれを見ろ」
殴り屋が指差した。T-72が二台、走ってくる。砲撃して来た。
「車両は捨てろ。退避」
分隊長が指示を出した。だが燃やし屋がBMP-2に戻って、ジャベリンとM120-15 120mm迫撃砲のセットだけ運び出した。直後、砲弾が直撃して、歩兵戦闘車が破壊された。
「貸せ。パリーイ。俺も運ぶ」
その兵士はそう言ったが、燃やし屋は何か叫んでいた。駄目だ。聞こえていない。
部隊のみんなで装備を抱えて小麦畑を走る。崩れた建物が幾つか見えた。
「分散しろ。建物には近づくな」
分隊長はそう指示を出していた。
振り返ると、炎上するBMP-2の裏で、燃やし屋はジャベリンをセットしていた。
「あのバカ。チャハーイ。俺が連れ戻して来る」
その兵士は分隊長にそう言うと、燃やし屋の側に駆け寄った。
「やめろ。パリーイ。やられる」
だが燃やし屋は、ジャベリンにミサイルをセットする。
「……分かった。俺が撃つから、お前は逃げろ」
その兵士は、ジャベリンを構えた。手前のT-72をロックオンする。スイッチを押す。
「ブレフーンの仇だ」
燃やし屋の声が聞こえた。直後ミサイルが発射され、敵戦車の砲塔がポーンと飛んだ。
「もういい。逃げろ」
その兵士が燃やし屋に声を掛けた。だが奥のもう一台から砲弾が飛んで来た。爆発炎上する。その兵士は夢中になって逃げた。小麦畑に隠れる部隊のみんなの処まで戻る。
「パリーイがやられた」
その兵士がそう報告すると、部隊のみんなは無言で、炎上する二つの車両を見た。
「……ジャベリンがもうない」
殴り屋がそう言った。だが黙り屋が120mm迫撃砲のセットを持っていた。部隊のみんなで運んだのだ。あとは手榴弾が少々とカラシニコフしかない。
「チャハーイ。後退しよう。これ以上は無理だ」
両替屋が言った。分隊長は考えている。
「この河岸を守ろう。敵に渡らせてはならない。待てば支援が必ずある」
その兵士は言った。だがみんなは動かず、沈黙を保っている。
「……郊外まで後退する。戦車には手を出すな」
分隊長がそう言うと、部隊のみんなは移動を開始した。だがその兵士は言った。
「支援は?援護射撃がある筈だ」
M777 155mm榴弾砲エクスカリバーはどうした?虎の子HIMARSは?
部隊のみんなが後退するので、止む無くその兵士も続いた。郊外の農家まで後退した。すでに無人で、閑散とした家屋が点在する。敵の戦車はあの場から動かず、留まっていた。
こちらにジャベリンがない事に、気が付いているのかもしれない。
適当な小屋を見つけると、みんなは夕食の準備を始める。携帯固形食しかないが、農家を探れば、まだ食料はあるかもしれない。探しに行かないのか?
「……一体いつまでこんな事を続けるんだ?」
崩れた壁にもたれかかった殴り屋が言った。固形食を齧る。腕の入れ墨が見えた。
「勝つまでだ。トリャスィーロ」
即座にその兵士は言った。殴り屋はこの戦争の大義が分かっていない。
「支援はどうなっている?」
両替屋は言った。また煙草を吸っている。戦場で光るものは厳禁なのに。
「……在庫切れだろう。ジャベリンももうない」
分隊長は言った。携行ポッドで茶を作っている。湯気をくゆらせる。
「そんな筈はない。世界中のみんなが応援してくれるんじゃないのか?」
その兵士は部隊のみんなに訴えた。
「……HIMARSは良かったな」
殴り屋がそう言うと、120mm迫撃砲を抱える黙り屋も頷いた。
確かにあれは良かった。80kmも飛ぶロケットを連続してぶっ放つと気持ちいい。さらに複数のトラックから並んで発射すると壮観だ。滅茶苦茶戦意が向上し、勝てる気がする。
「エクスカリバーにも驚いたな。アレは本当に砲弾なのか?」
両替屋が言った。あれは西側から渡された正義の剣だ。侵略者どもを断罪する。
「砲弾というより、榴弾砲で発射する誘導弾だな。ミサイルと変わらん」
分隊長が答えた。渡河する戦車の旅団を壊滅させた事がある。一方的にM777 155mm榴弾砲を撃ちまくって、無数の車両を破壊した。その場から逃げる事もできず、敵は破壊された。
潰れた甲虫のように、ひしゃげた車両が散らばる航空写真を見た事がある。戦車もやられると、サスペンションが死ぬのか、潰れたボーリング・ビートルみたいになる。
「あの時は衛星の支援があった。情報が正確だった」
両替屋が言った。
「だが今は何がどうなっているのかさっぱり分からん」
殴り屋がスマホを取り出したが、特に何か見る訳でもなかった。
「……スマホが繋がらないのか?電波は?」
その兵士は不思議そうに言った。
「流星雨の夜があっただろう」
分隊長がコップにお茶を注ぎながら言った。
部隊のみんなが頷いた。その兵士は首を傾げた。そんな事があったのか。
「低軌道衛星が全部墜ちた。GPSも通信も全部死んだ」
部隊のみんなが黙っていた。暫くの間、やり場のない無言が続いた。
「……俺、戦争が終わったら、デートするんだ」
殴り屋が突然そう言うと、両替屋が嗤った。
「そのマドモアゼルは生きているのか?」
「俺はブレフーンじゃないんだ」
殴り屋はそう答えると、その兵士は頷いた。
「補充は来ないのか。ブレフーンの席が空いている。パリーイもな」
両替屋が分隊長にそう尋ねると、その兵士は言った。
「何を言っている。俺はここにいるじゃないか」
だが部隊のみんなは自分たちの話を続けた。そして殴り屋が言った。
「なぁ、ブレフーン」
その兵士は黄色のバンダナを巻いていた。毛布を掛けられている。眼窩が窪んでいた。
何かが見えた。ジャベリンと蝶々だ。
小麦畑からミサイルを発射する瞬間、ふとジャベリンの先端に蝶が止まったのだ。その長い一瞬に見とれた。そこから先はよく覚えていない。閃光が見えたと思ったら、ここにいた。
次の瞬間、また閃光に包まれ、耳をつんざく轟音がした。
部屋が吹き飛び、建物が崩壊した。
「おおーい、みんな無事か?」
黒煙と燃え上がる炎が見える。誰も応答がない。
誰かの腕が転がっていた。入れ墨が見える。
その嘘つきは彷徨っていた。身体が透けていて、足元がよく見えない。
「おおーい。みんなどこだ?置いて行かないでくれ!」
噓つきは走り出した。味方の部隊がいる処に向かって。
注5 原文はヘミングウェイから。『Black Ass at The Cross Roads』より
『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード13