とある国連大使のKO
議員一年生は、合衆国東海岸、ニューヨークに来ていた。国連だ。
日本の国連大使が体調不良で入院し、その代理もどこかに逃げてしまった。大陸からの圧力に屈したらしい。あまりの体たらくに、与党幹事長の発案で、与党議員団が送り込まれた。外務省の役人も同行したが、誰が国連で矢面に立つのか、未だに決まっていなかった。
総理大臣は、誰が話すのか自分たちで決めてくれと、ボールを投げている。政府は重大化した沖縄・台湾問題に対処するのに忙しい。そのくせ、国連で政府の足を引っ張らないよう頼む、と注文を付けてきた。皆、大陸を怖がっていた。弾道ミサイルの恐怖が効いている。
実際に、発言一つで、またアレが降って来るのかと思うと、誰もが責任を取りたくないというのが本音だろう。ほぼ確定情報だと思うが、沖縄上空で放射能が検出されている。日本は核ミサイルを撃たれたのだ。そんな相手から、旧敵国条項まで適応されている。怖い。
総理大臣からの指示では、ドイツ・イタリアと連携して、旧敵国条項の解除に努めるようにと指示を受けている。だが彼らは北方の大国を意識している。国連五大国でも意見は割れていた。三大国は旧敵国条項を適応しないと宣言している。問題は残り二大国だ。
日本は今、両方から圧力を受けている。北海道情勢と沖縄・台湾問題だ。それぞれ北方の大国と大陸だ。日本は北海道の一部と沖縄の施政権を失っている。沖縄に関しては、合衆国との交渉が必要だった。米軍が沖縄に施政権を宣言したからだ。1972年以前に戻すと言う。
だが日本政府は、台湾の問題が片付くまで、放置でもよいかと考えている。実際、沖縄の人たちの暮らしが変わる訳でもない。逆に米軍が守ってくれると、為政者としてあるまじき事を考えていた。事なかれ主義だ。あるいは、政府の対応能力を超えていたのかも知れない。
台湾沖では、戦闘はまだ断続的に続いていた。大陸は台湾を封鎖して、兵糧攻めに持ち込もうとしているが、米軍と自衛隊がそれを許さず、海と空の補給路を確保している。だが完全ではない。制海権と制空権の奪い合いは続いていた。日米の損耗は日に日に増えている。
何とか解決しなければならなかった。だが国連は欧州大戦が、限定核戦争に入ったため、そちらを優先していた。なお北方の大国は、核ミサイルを撃っていないと主張していた。東の飛び地が、西側の核攻撃を受けた事は認め、西側の非人道的行為を非難していた。
西側はポーランドの燃料・弾薬集積地に核を落とされたと主張し、東側の非人道的行為を非難していた。西側は多くの証拠を国連に提出し、東側を追い込んでいた。逆に北方の大国は、何も証拠は提出せず、ネットに出回る不鮮明な核動画の不自然さを指摘しただけだった。
国連の安全保障理事会は、二回に分けて、開催される事が決まった。午前は、欧州大戦で、午後は、台湾問題だった。会議は常任理事国と非常任理事国で構成される。この後に及んで、誰の名前を書くのかで、日本の議員団は揉めていた。皆、嫌がって、座りたがらない。
議員一年生は、特に嫌がる素振りを見せなかったせいか、いつの間にか名前を書かれていた。そのため座る時に気が付いたのだが、その席は日本の国連大使が座る席だった。だが彼は特に慌てず、落ち着いていた。前半は欧州大戦の話だ。発言はない。後半は別の者が座る。
「我々は核を落としていない。だが核を落とされた」
東側の国連大使は言っていた。北方の大国だ。国連五大国の一角だ。
「……核を落とされたのは、そちらが核を落としたからだ」
西側の国連大使は言っていた。連合王国だ。国連五大国の一角だ。
「弾道ミサイルを撃ったため、相互確証破壊に入った事は認識している」
東側の国連大使は言った。西側の国連大使も答えた。
「……だから限定核戦争が起きた。これは自明の理だ」
全面核戦争には至らず、双方第一フェーズで止めている。それゆえ限定核戦争と言われていた。だが第二フェーズが始まれば、お互い国家消滅まで、核を撃ち合う結果になる。
「第一フェーズで止めたのは我々だ。我々は核を撃っていない」
東側の国連大使がそう言うと、西側の国連大使も言った。
「……証拠はある。東西どちらにも核は一発ずつ落ちた」
「我々は三発弾道ミサイルを撃った。全て通常弾だ」
「……証拠の動画もある。現地では放射能も検出されている」
西側の国連大使がそう言うと、東側の国連大使は、それは偽物だと吐き捨てた。会議室のモニターにポーランドの燃料・弾薬集積所から立ち上る巨大なキノコ煙が映った。ガイガーカウンターで示された数値も表示される。東側の国連大使は目を閉じて、首を横に振っていた。
「調査団を派遣しては?中立性が高い第三国で構成される調査団です」
議員一年生は発言した。五大国の大使たちが注目する。
「……君、余計な事は言うな」
後ろからそう声を掛けられたが、議員一年生は構わず話した。
「旧国際連盟のリットン調査団(注51)みたいなものです」
「……それは考えた。だが何を以て、中立性が高いとする?」
合衆国の大使だった。一度、提案されたが、採用されなかったらしい。
「地域的に離れた非常任理事国から選べばよいのでは?」
議員一年生はそう言った。すなわち、日本、ブラジル、オーストラリア、インド等だ。
「……君!余計な事を言うな!巻き込まれる!」
また後ろからそう声を掛けられたが、議員一年生は無視した。常任理事国で、決を採ったが、三大国が拒否権を発動させ、結局また流れた。二大国は賛成だった。いつもの展開だ。国連は機能しない。基本的に全会一致は難しい。だが議論は引き続き、重ねられた。
「……午後の者は来ない。場を乱した。君が責任を取りたまえ」
後ろからそう声を掛けられたが、特に気にしないで、国連大使の席に座り続けた。
午後は大陸の大使から始まった。共産党特有の長広舌だ。皆、辟易する。だがこの人物は前日本大使でもあったので、対日問題の専門家でもあり、かなり厄介な相手だった。日本語もマスターしており、日本文化に対する造形も深い。話は思わぬ角度から飛んで来た。
「先日、近松門左衛門の人形浄瑠璃『国姓爺合戦』を見ました」(注52)
大陸の大使は言った。皆、知らない。同時通訳者たちも困惑する。議員一年生も、人形浄瑠璃を見た事はない。本で読んだ事がある。舞台演劇の台本に近いものだったが。
「見事なものでした。実際の鄭成功が、どんな感じだったかご存じですか?」(注53)
鄭氏台湾は、三代に渡って、明の再興を目指し、清と戦ったが、最終的には破れて、台湾は大陸に併合された。江戸時代の話で、日本乞師(にほんきっし)という幕府の支援を求めた。
「当時の日本の政権は、江戸幕府で、鄭氏台湾の支援を断り続けた」
大陸の大使は言った。それは史実だ。すでに日本は鎖国しており、外国の支援はしていない。
「これは賢明だったと思います。しかし現代の日本はそうではない」
議員一年生は、そう来たかと呆れた。だがこれは明らかに挑戦状だ。
「かつては台湾の支援を断りながら、現代においては台湾を支援する。これは矛盾です」
それは時代が違うし、政権も違う。単純に同一とは言えない。一体何を言っているのか?
「私は思うのですが、日本という国は、本当に卑怯な国です」
大陸の大使は言った。皆、沈黙して、話を聞いている。
「私は不意打ちの日本史と呼んでいるのですが、日本人は基本的に利に敏く、隙があれば、不意打ちして、敵を倒し、利益を得る。逆に鄭氏台湾の救援要請のように、利がない時には、助けにも応じない。誠に卑怯な民族であり、言語道断の連中と言えましょう」
大陸の大使は不意打ちの例を挙げた。
「源義経の鵯越の逆落とし。(注54)織田信長による桶狭間。(注55)山本五十六による真珠湾奇襲。(注56)これだけでもお分かりでしょう。いずれも日本史において、全て重要なシーンです。流れが変わる転換点です。そして全て卑怯な不意打ちを行い、勝利を得ている」
議員一年生も沈黙した。これは不味い。史実だ。
「私は唯物論で無神論者ですが、因果応報というのはあるのですかねぇ?三人とも最期は非業の死を遂げている。やはり不意打ちで得た勝利は儚い。人心が掌握できないのでしょう」
よく言う。だがこの指摘は中々厄介だ。どう反論する?
「今回の事件も同様です。疑問の余地なく我々の主権の範囲内にある台湾を侵攻した。これもまた不意打ちです。だが我々は日本史を学んでおり、その対策は万全です」
日米は侵攻していない。台湾を防衛している。だが大陸ではものの見方が異なる。
「これは内政干渉であり、重大な侵犯です。ですから、我が国は、旧敵国条項の適応を発動させ、日本の侵略に対して、弾道ミサイルで反撃した。これは五大国の権利です」
大国の大使はそう結んだ。完全に満足している。余裕の笑みだ。勝利感さえ漂わせる。だがこれはおかしい。国連の安全保障理事会に相応しい話題ではない。単なる侮辱ではないか?議長国である共和国を見たが、特に止める様子はない。まさか最後まで言わせるつもりか。
「とある海軍元帥の若い頃の話もしましょう。この人物は来日し、大船駅で財布を盗まれた」
まだ大陸の大使は話を続けていた。皆、首を傾げる。一体何の話だ?
「元帥は駅員に事情を説明したが、信じてもらえず、オーバーを脱いで、料金の担保とした」
議員一年生は聞いた事があるエピソードだと思った。これは米海軍の話だ。戦前の話だ。
「駅員はとにかく居丈高だったので、その元帥は日本に対して、終生悪印象を抱いた」
これは日露戦争後の話で、当時の日本人は天狗になり始めていた。特に白人を馬鹿にした。
「そしてこの元帥はただ一人、戦前から日本海軍による真珠湾奇襲を主張していた」
クソ!この元帥の名前が思いだせない。誰だったか?米海軍の元帥は4人しかいない。
「日本がハワイに奇襲をしかける理由として、大船駅でスられた財布の話をし、居丈高だった駅員の話をした。彼らは卑怯者だから、必ずしかけてくる。だが当時、誰も信じなかった」
それはそうだろう。あまりに飛躍している。大陸の大使は、少し間を置いた。
「しかし結果は史実の通りです。彼の予想は正しかった。日本人の性質を見抜いていた」
議員一年生は、心の中で、仙人を呼んだ。
――キャスター、力を貸せ。
――嫌な予感がするが、ワシは何とか戦争のサーヴァントじゃないぞ。
――いいから力を貸せ。奴を黙らせる。
日本の番が来た。共和国の大使が、議長国として注意を与える。お互いに敬意を持てと。
議員一年生は立ち上がると、床に固定されていた椅子を引き抜き、明らかに慣れた動作で、鮮やかに椅子を投擲した。日本大使の椅子は、宙に放物線を描き、大陸の大使に見事命中した。不意打ちだ。全く躱せない。直撃だ。派手な音を立てて、彼は床に沈む。
KOだ。とある国連大使のKOだ。
会場は大騒ぎになった。大陸側の随行員が立ち上がり、こちらに拳を振りかざして、駆け寄って来る。乱闘だ。国連安全保障理事会で乱闘が起きた。前代未聞の騒ぎだった。
注51 1932年3月、国際連盟の調査団が結成され、1931年9月18日の柳条湖事件を調査。
注52 正徳5年、西暦1715年大阪で初演。近松門左衛門(西暦1653~1724年)の作品。
注53 鄭成功(西暦1624~1662年)鄭氏台湾の開祖。母親が日本人。明の再興を目指した。
注54 寿永三年、西暦1184年2月7日。源義経(西暦1159~1189年)の一ノ谷の戦い。
注55 永禄三年、西暦1560年5月19日。織田信長(西暦1534~1582年)の戦い。
注56 昭和十六年、西暦1941年12月8日。山本五十六(西暦1884~1943年)の戦い。
『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード85