サキュバス弐号機とドイツから来日した性科学者
東京都庁45階北展望室は、最終決戦の場だった。
「Sterben! Japanisches Mädchen.」(死ね!日本娘!)
深紅の弐号機が、両手を紫電でスパークさせながら、飛び掛かってきた。
「……Ich werde nicht verlieren!」(負けないよ!)
魔法少女の第二外国語はドイツ語だ。だが日本語の方が助かる!
「なぜいつも邪魔をする?お前は一体何者だ?」
サキュバス弐号機は叫んだ。彼女は日本語もできる。ドイツから来日した留学生だ。
「……あなたが悪い事をしているからよ。私は魔法少女だから!」
魔法少女はファンシーステッキをかざして、対抗する。星の光が宿る。
「Geh weg!」(消えろ!)
両者は激突した。量産型サキュバスはすでに撃退した。エナジー切れだ。戦闘稼働時間が短いのが、量産型の欠点だ。だが弐号機の戦闘稼働時間は長い。出力が違う。
仙人・サンタクロース・花咲爺は、トナカイの橇に乗って、展望室から逃げ出していた。
「何とか時間を稼いで!こっち片付いたら、すぐに応援に行くから!」
近くで、マグダラのマリアがそう叫ぶと、大蛇のように太くて黒い触手が飛んできた。
「……宇宙のグルメを舐めるなよ。地球の聖女。今日こそ堕として、喰らってやるわ!」
マグダラのマリアとレプタリアンの宇宙人の戦闘は続いている。この2メートルを超える長身の男は、大蛇のように太くて黒い触手を、何本もブンブン振り回している。
「革命は、インテリが書斎で夢見る事から始まるんじゃない。現場で振るわれる凄惨な暴力から生まれる。抗議だ。圧制に対する反抗だ。暴力だ。公権力の奪取だ」
「……手段を目的化している。それは最早、ただの政府の乗っ取りだ。暴力革命だ」
少し離れた場所で、怪力乱心の内閣総理大臣とマスクド都知事が戦っていた。なぜかレイピアでフェンシングをやっている。ここは青葉区じゃない。新宿区だ。
三者三様の戦いが、北展望室で繰り広げられていた。とても現実の光景とは思えない。
ドイツから来日した性科学者は、じっと戦いの行く末を見ていた。彼の視線の先で捉えているのは、サキュバス弐号機だ。彼の一人娘だ。人工的な手段で、低能力者の出力を上げたサキュバスと、伝統的な修行で、低能力者の出力を上げた魔法少女の戦いだ。
どちらが勝つのか?ドイツの性科学か?あるいは日本の深夜アニメか?性科学者は、元々有名大学の教授だった。彼の教授資格論文は、女性胸部前方部位に関するものである。『男性の労働効率と女性胸部前方部位の相関関係について』というタイトルが付いている。
朝、健康な男性が、愛する女性の女性胸部前方部位を生で数分間見てから、職場で業務に取り組む場合と、そうでない場合を比較研究した論文だ。
結論として、ほんの僅かであるが、見た方が、業界業種を問わず、業務の効率改善が見られ、企業の営利活動に貢献する事が分かった。副作用として、実験開始前より、男性被験者のIQがほんの僅か落ちる事も判明したが、それは企業の営利活動に影響はないとされた。
あと見られる女性が気にして、若くて美しくなるという隠れた効果も指摘された。
これは新発見だった。ドイツにおける論文の審査基準はただ一つ。未だ世界で発見されていない事実を発見して、発表する事である!
この論文は、教授資格論文の査読会前から、大学や研究機関で、密かに回し読みされて、評判となった。無論、査読会の審査は通過して、論文の審査は通った。教授に昇格だ。
だがWissenschaft(科学)なので、当然、第三者検証性は問われる。この論文の真偽を問う者は、自ら被験者になって、この実験を追体験しなければならない。被験者は殺到した。
博士は、この論文で一躍有名になった。その後も類似の研究に取り組み、成果を上げた。キリスト教関係者から不道徳的であると批判されたが、これはデータでも立証された科学的真実である。何人たりとも侵せない。博士は性科学の名の下に、キリスト教関係者を折伏した。
そして博士は、ドイツを再び科学の分野で世界一にした。無論、それは性科学だったが。博士には野望があった。この真実を世界に広めて、革命を起こしたいと。労働と性の革命だ!だが博士は気が付いていなかった。それは変形マルクス主義の一形態に過ぎない事を。
だが野望実現のためには、さらなる研究が必要だ。特に女性胸部前方部位は重要だ。死命を分ける。そんな時、日本でパパ活なる理想的な研究環境が発生していると聞いた。これに乗らない手はない。性科学者は大学の教授を退任して、FTSというNGOに移籍した。
そこでは、悪魔営業という者が取り仕切っていて、宇宙人との共同研究テーマとして、新型サキュバスの開発という研究があった。人類の女性体の低能力者をベースに改造を施して、人工的なサキュバスを造るのが目的だ。宇宙のオーバー・テクノロジーが不断に使われる。
性科学者は、研究のため、娘を改造した。躊躇いはない。とうの昔に科学に魂を売り渡している。今更、レプタリアンの宇宙人と手を組む事に迷いなどない。妻も他界していない。娘は父の研究に興味があった。面白い事をやっていると言っていた。何か考えがあったようだ。
だが人格まで変容するというのは、想定していなかった。
急激に強化し過ぎたかも知れない。元々、普通の女の子だった娘に、強化改造を施した結果、力任せに戦うパワー・ファイターが出来上がってしまった。後から多少の戦闘訓練を施しても無駄だった。完全に自分は強いと思い込んでいる。勘違い娘の出来上がりだ。
LGBTQ仕様は、娘からの提案だった。自由に男女を行き来して、美しい男女を支配したい。娘はそう言っていた。そのため美しくなって、歌を歌うと言っていた。
このアイディアにレプタリアンが乗り、宇宙のオーバー・テクノロジーが投入された。結果、サキュバス弐号機は完成した。その性能はピーキーだ。
性科学者の研究は、最終的に男女の垣根を取っ払うものになってしまった。男が女に、女が男になる。それは果たして正しいのか?そもそも研究のテーマは、古のゲルマン人の昏くて黒い森から端緒を発している。彼らの戦争の習俗に、興味を持った事から始まった。
カエサル(注103)の『ガリア戦記』で、ゲルマン人とローマ人の戦いがあり、チアガールが登場した事が記されている。このチアガールは、若いゲルマン人の娘たちで、胸部前方部位を露出させながら、ゲルマン人の戦士たちを応援していた。ローマ人は目玉を落っことした。
戦場から少し離れた処で、彼女たちは踊っていたらしいのだが、これは当時のゲルマン人の習俗で、彼女たちはそういうやり方で、戦争を応援していた。だが本当にそういう応援で効果が出るのか?それが研究の出発点であり、その疑問の回答が、例の教授資格論文だった。
……だが随分、遠い処まで来てしまった。果たして私の研究は正しかったのか?
性科学者は、戦う娘を見てそう思った。恐ろしい姿をしている。最早、人ではない。変身を解除するスイッチはある。強制解除だ。だが今は戦闘中だ。解いたら危険だ。どうすべきか?
「……どうして人からエナジーを吸い取ろうとするの?」
その魔法少女は尋ねた。弐号機が爪を振るうが、ファンシーステッキで受け止める。
「魔法の源だからよ!それに美味しいし!」
サキュバスは人のエナジーを吸い取って、パワーに変換して活動している。自分のためだ。
「……サキュバスなんて不自然よ。やめようよ」
魔法少女は、戦闘を停止すると語り掛けた。だが弐号機は戦いをやめない。
「これは私の魔法よ!やりたいようにやって何が悪いの?」
「……あなたたちは人からエナジーを奪って、その力で人を支配しようとする。悪い事よ」
魔法少女は、とある量産型サキュバスの死を目撃している。あの結末は恐ろしい。
「大嫌いな奴には呪いをかけ、大好きな人は独り占めする。女の特権よ!何が悪いの?」
それは支配欲というものだ。一定の範囲を超えた時、社会の害となる。健全ではない。
「……だからと言って、こんなのやり過ぎだよ!」
魔法少女は、スマホをかざした。動画が流れている。アイドルが歌っている。
弐号機は地下アイドルだった。日本語が上手いドイツから来た少女という触れ込みで歌を歌っている。デスメタルから、バラードまで歌い熟す。衣装もアイドル系から、サキュバス系まで幅広い。とにかく人を集めて、虜にしている。目的はエナジーの収集だ。
だがファンの人たちは、どこかおかしな目つきで、熱狂している。そして曲が終わると、陰気になり、生気が消え失せた表情で、帰って行く。幸せそうじゃない。弐号機がステージで歌っている時だけ、異常なまでに熱狂している。エナジーを吸い取っているのだ。
弐号機の出力が高いのは、ファンからの膨大なエナジーに支えられているからだ。それが弐号機の秘密だった。だがあの量産型サキュバスの死と同じく、不幸な人たちが増える。
「Nicht gut. Alle sind glücklich.」(いいじゃない。皆、喜んでいるし)
弐号機はそう嘯(うそぶ)いた。だが魔法少女は言った。
「……Das ist falsch. Das macht niemanden glücklich.」(間違っている。皆、不幸にする)
どう考えても中毒性がある。普通の地下コンサートじゃない。魔女のサバトだ。
「私の肌を見て」
ツヤツヤだった。光輝いている。吸収したエナジーで、生命力が溢れている。
「……人からエナジーを奪って、それで自分を美しくするなんて、醜い事よ。魔女ね」
魔法少女がそう言うと、弐号機は激高した。
「Du benutzt Magie!」(お前も魔法を使っている!)
「……これは内在する力を、善行で高めたもの。私の運命を変換している」
魔法少女は、ちょっと不思議な事を言った。弐号機は意味が分からないという顔をした。
「Du bist ein Heuchler!」(お前は偽善者だ!)
会話はそれで終わった。そのまま二人は戦いを再開する。だが隣の戦いは終わっていた。2メートルを超える黒衣の男は退散していた。マグダラのマリアが駆け寄って来た。
形勢が逆転する。前回、弐号機はちくわで男性に変身した。また同じ事をやろうとするかもしれない。だが弐号機は変身できなかった。それどころか、完全に変身が解除されていた。
「Das ist das Ende. Das ist falsch.」(終わりだ。これは間違っている)
性科学者だった。弐号機の変身を解除するスイッチを押している。
「meine Tochter. Wir gehen nach Hause.」(娘よ、帰ろう)
だが弐号機は自力で再度変身した。だが頭をかきむしっている。光が漏れ始める。
「エナジーが暴走している!逃げて!」
マグダラのマリアがそう叫ぶと、魔法少女は壁際まで退避した。近くで父親とマスクド知事が戦っている。だが爆発が起きて、崩落した。東京都庁45階北展望室が崩壊する。その中心には暴れる弐号機がいたが、足元の床が崩れて、彼女は性科学者と共に姿を消した。
「……貴様とは来世決着を付ける」
マスクド都知事が、父親にそう言うと、崩落に巻き込まれて、姿を消して行った。
「お父さん、大丈夫?」
「……ああ、大丈夫だ。問題ない」
戦いに勝ち抜いた三人は集まった。戦いはいつだって虚しい。なぜ人は争い続けるのか。その後、サキュバス弐号機とドイツから来日した性科学者の姿を見た者はいなかった。
注103 Gaius Iulius Caesar(BC100~BC44)ローマの政治家。共和政下、終身独裁官。
『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺006