北海道知事の決断と、おどける東京都知事
その女性の北海道知事は、マスコミを集めると記者会見を開いた。重大発表を行うと言う。
「……昨今の北海道情勢を鑑み、道(どう)は本州政府とは別に独自外交を開始します」
沈黙が訪れた。意味が分からない。なぜそんな事を言い出したのか?話は少し前に遡る。
その日、海上自衛隊、護衛隊群は北海道沖、日本海を北に向かって航行していた。演習だ。
イージス艦のCICが、ソナーで複数の魚雷を感知した。大きい。重魚雷か?
オペレーターが報告を上げる前に、警報が鳴り響き、爆発音がして船体が激しく揺れた。
「……攻撃か⁉」
艦長が、そのオペレーターに声を掛けると、船体が大きく傾いて、CICが電源をロストして真っ暗になった。金属が擦れる音がして、壁に亀裂が走った。CICが圧壊する。
艦長は、直感的に艦が致命的なダメージを受けたと判断した。
「総員退艦!」
だが間に合わなかった。イージス艦は轟沈した。僅か3分。隊員は殆ど助からなかった。
護衛隊群の中央にいた補給艦だけが助かった。空母1、イージス艦2、フリゲート艦4、潜水艦2喪失。僅か5分間の出来事だった。攻撃は全て魚雷。亡くなった隊員は無念だった。
雷速(らいそく)は音速を遥かに超えていた。海中を極超音速で魚雷が突っ走り、護衛隊群を瞬時に沈めてしまった。極超音速魚雷。概念的には存在したが、開発に成功していたと誰も聞いていない。SFめいていると、合衆国ですら、早い段階で開発計画を放棄している。
「……艦長。これは……」
補給艦の艦長は、オペレーターから指示を求められたが、即座に状況を判断できない。あの雷速は何だ?そしてあの雷跡(らいせき)は?魚雷は虹色に輝いていた。在り得ない。
「と、とにかく、横須賀に打電しろ!救助活動開始!」
大騒ぎになった。都内で国会議事堂がミサイル攻撃を受け、オンライン国会も、全世界的なネット障害に阻まれて、開催できず、混乱が広がっている最中の出来事だった。
生還した隊員の証言や、補給艦のログから、極超音速魚雷の存在が推定された。北方の大国が、極超音速魚雷を開発に成功したかもしれないと言われた。無論、そうでないという意見もあった。だが彼らは、合衆国に先んじて、極超音速ミサイルの開発に成功している。このミサイルは、イージスシステムを突破できる能力を持つが、極超音速魚雷は更なる新技術だった。
極超音速魚雷は、魚雷の頭に、水を切り裂く真空空間を作って推進する。海の中だが、空中と同じ条件を発生させて、魚雷をミサイルのように音速突破させるのだ。魚雷のミサイル化という表現が、概念的には正しいのかもしれない。構造は極超音速ミサイルとそう大差がない。
大型の重魚雷だが、狙われた最後、艦艇では躱せないし、防ぐ手段がない。大型の原子力潜水艦でないと、この重魚雷を運用できるプラットフォームはないとされた。
合衆国が、イージス艦にレーザーを装備して、飛来する超極音速ミサイルを防ぐ、新しいイージスシステムの開発に着手しているが、これに対する対策として、極超音速魚雷が考案された。海中だと、レーザーも大きく減衰するので、殆ど役に立たない可能性が高い。
イージスシステムに対する極超音速ミサイル。極超音速ミサイルに対するレーザーイージスシステム。レーザーイージスシステムに対する極超音速魚雷。こういう兵器開発の流れがある。今のところ、極超音速魚雷の対抗策が見つかっていない。無敵のアイディアだ。
翌日、ミストラル級強襲揚陸艦が二隻、ウラジオストックを出て、ゆっくりダラダラと北海道に向かっているという情報がネットを駆け巡った。動画まである。ソース不明の情報だったが、瞬く間に広がった。海上自衛隊は動けなかった。先の護衛隊群一個喪失が効いている。
航空自衛隊がF-2を4機発進させて、ミストラル級強襲揚陸艦に向かわせた。空対艦ミサイルを装備していたので、撃沈は可能だった。他に艦はなく、揚陸艦に大した防空兵器はない。だが永田町は攻撃を躊躇い、そのまま領海侵入を許し、あまつさえ北海道上陸を許した。
今度は陸上自衛隊の出番だった。慌てて緊急展開したが、包囲が間に合わず、沿岸の町を一つ奪われた。住民の大半は避難していたが、一部の人は町に留まったため、ミストラル級強襲揚陸艦からの上陸者と接触した。武装したロシア語の話者だった。ネットに情報が拡散する。
「武装したロシア語の話者たち」とは正確性を期した表現なのか、ある種の婉曲表現なのか、よく分からない。半島の北の小国からよく飛ぶミサイルを「飛翔体」と表現したのと似ている。
とにかく、不祥事だった。この武装したロシア語の話者たちが、奪われた町の住人たちと談笑するシーンがネットに広がった。自衛隊は何をやっている?日本政府は?だがこの時期、総理大臣が短期間で連続して交代しており、オンライン国会は障害ばかりで空転していた。
世界的な障害発生で不安定なくせに、この種の動画ばかり広がっていた。情報が操作されていると言われたが、どうする事もできなかった。皆、不安で関心を持っているため止まらない。
この北海道上陸の件と先の護衛隊群喪失の件で、日本政府は北方の大国に抗議を申し入れようとした。だが欧州大戦で西側に味方した報復で、政府関係者は全員出禁を喰らっていたので、誰も交渉ができなかった。外交の扉は閉ざされていた。合衆国にも頼めない。休業中だ。
北海道には、陸上自衛隊が二個師団、二個旅団いる。二隻のミストラル級強襲揚陸艦から上陸した、武装したロシア語話者たちの部隊は、せいぜい中隊規模だった。戦力は圧倒的に上だった。だが戦闘は行われず、町を包囲したまま、膠着状態に入ってしまった。
ネット上、町に残った住民の動画が話題になっていた。彼らは頻繁にこの武装したロシア語話者たちと交流をして、あたかも友好関係にあるかのように振る舞っていた。住民の中にもロシア語話者がいて、交流が進んでいた。動画が次々アップされ、日本人は視聴した。
この町に残った住民たちは、上陸した部隊を支援していると言われ始めた。だが彼らは友好を結んでいると言い、同時に自分の身の安全を確保していると語った。戦争なんて馬鹿らしい。話し合えば、「ほら、この通りだ」と言う住民まで現れた。ネット上、議論が起きた。
政府と自衛隊は信用を失いつつあった。敵の正体、敵の意図が不明であると言い続けて、警護出動しか発令しなかった。そして町を重包囲して、状況の変化を待つ日々だった。
シーンは冒頭の記者会見に戻る。マスコミは質問できず沈黙している。道知事は続けた。
「……今回の独自外交を始めるに当たって、道は都と何度も協議を進めて来ました」
女性の道知事の右隣に、東京都知事が、白い歯をキラリと光らせて、同席していた。
「北海道の皆さん、こんにちは。東京都知事です。東京都は北海道の皆さんを支援します」
マスコミは目を白黒させている。なぜここに都知事がいる?この会見は何だ?
「本州政府から誠意ある回答が得られない以上、道として必要な手段を取らざるを得ない」
道知事は言った。左隣にカーキ色の野戦服を着た男がいた。陸上自衛隊北部方面隊か?
「……方面総監部は、北海道知事の決断を支持します」
会見は、水を打ったように静まった。え?これは何?反乱?日本離脱?クーデタ?
「戦力自衛隊の皆さんの支持もあります。力を合わせてこの難局を乗り切りましょう」
道知事は言った。さりげなく独自名称が使われていたが、マスコミも冷静さを失っていた。
「……道知事、質問してよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「……その独自外交というのは、具体的にどういった事を指しているのでしょうか?」
「それは私から話そう」
なぜか東京都知事がマイクを握っていた。立ち上がって、地図を示した。
「まず手始めに、アラスカから訪問する。両者は地域的に利害を共にする事が多い」
東京都知事は、北海道もアラスカ州も、本土から飛び地である事を強調していた。
いや、訊きたいのはそんな事じゃないという雰囲気が流れたが、都知事の話は止まらない。
「……僕は今、カルフォルニア州知事とも同盟の話をしています」
これも爆弾発言だった。東京都とカルフォルニア州で同盟?一体どういう意味だ?
「姉妹都市の締結ではない?」
「今の世界情勢でそんな浅い関係ではダメだ。サバイバルできない」
「……まさか軍事同盟ですか?」
東京都知事は、白い歯を光らせながら、「アッハッハッハ」と笑い飛ばした。
「戦争なんかやりませんよ。国家じゃあるまいし。我々は自治体です。ただ平和に安全に暮らしたいだけです。だからそのために、必要な包括的な同盟関係を模索しているのです」
マスコミは沈黙した。これ以上、この記者会見をやっていいのか?という雰囲気さえ漂う。
「まず僕が範を示します。東京都とカルフォルニア州が仲良くなったら、次は北海道とアラスカ州が仲良くなればいい。何の問題もない!皆でハッピーになろうよ!」
都知事はタレント時代からの得意の決め台詞を発した。彼は韓流ドラマで名を馳せた。
だがその時、週刊ユウヒの女性記者が鋭く斬り込んだ。
「それは、国民の総意を得ているのでしょうか?案件的に、自治体の範囲を超えているように見えます。日本政府を通して、話し合うべき問題ではないでしょうか?」
やっとまともな質問が出たと、マスコミ側は安堵したが、女性の道知事が答えた。
「本州政府から誠意ある回答があれば聞きましょう。でもこの現状は何ですか?」
国会が開けず、予算が決められず、永田町は大混乱に陥っていて、北海道情勢に対応できない。市ヶ谷も政治判断がないと動けない。国民も、政府と自衛隊に冷たい目を向けていた。
「戦力自衛隊は、道知事から要請があれば戦います」
今度は方面総監部から爆弾発言が出た。ちょっと恨みが籠っている。最近の総理で、自衛隊は戦力ではないと発言した総理大臣がいて、当然他国と戦争は行えないと言っていた。
これは現場で、上陸したロシア語話者の武装勢力を包囲している隊員たちを怒らせた。自衛隊は戦力ではない。憲法ではそうかもしれないが、現場で上からの指示を待つ隊員たちの心を傷つけた。今、この状況で言う話ではない。だから現場で戦力自衛隊という言葉が生まれた。
それは警察で起きている特警の問題と似ていた。自衛隊内で派閥が公然化しようとしていた。
「では北海道は、政治面でも軍事面でも、日本政府の指示に従わないと?」
週刊ユウヒの女性記者はなお質問した。すると東京都知事がイライラしながら答えた。
「だから、僕たちは戦争なんかやらないって言っているでしょう?」
「……全て本州政府の回答次第です。これまで現状を維持して待て、しか回答がない」
女性の道知事も答えた。初めて日本政府が北海道に何と言っているのか判明した。問題だ。
「なるほど、道知事の立場は理解できました」
週刊ユウヒの女性記者は下がった。だが政府と言わず、本州政府と言っている辺り、怒りの大きさを伺わせた。道民感情までは分からないが、ある程度反映しているのかもしれない。
「とにかく、これからの時代、自治体と株式会社が世界を動かすんだから、国家なんか古い古い。当てにならない制度だよ。戦争ばっか起こすし。その点、自治体と株式会社は平和の落とし子だから安心さ。あとは皆で手を繋いでセーフティネットを張ればいい」
東京都知事は最近発刊した自分の本を手に、持論を展開し始める。道知事は黙っていた。
「……そのセーフティネットが、全ての国家を解体吸収する世界政府構想ですか?」
「それは皆で決める事だ。僕は皆が望む未来を後押しするだけだよ」
記者会見はそれで終わった。北海道知事の決断と、おどける東京都知事だ。
『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード73